DAWN FANTASY

4章:一つの解、全ての鍵 - 5 -

「……ここは、危険ヤドラ?」
 大丈夫だとは思ったが、念の為訊ねてみた。
いいえセテオ。****ダイジョウブ」
 ランティスがすぐに否定したので、七海は今度こそ肩から力を抜いて、ゆっくりと辺りを見渡した。
 琥珀を溶かしたような光が全身に降り注ぐ。
 なんて美しいのだろう……ティ・ティ・パプラスのように、爽やかな空気のなか潤いと甘さを含み、清浄な光に充ちている。
 不意に風がふいて、正体不明の光の群が、ランティスと七海の方に向かって迫ってきた。
「うわっ」
 驚いた七海は、躰を反転させてランティスに全身でしがみついた。はっきりと認識できなかったが、蠢く虫に見えたのだ。
「七海、********ダイジョウブ****」
 ランティスが穏やかな口調で囁いている。七海はおっかなびっくり、背後を振り向いた。そして大きく目を瞠った。
「わぁ……」
 視界がきらきらと輝いている。
 黄金にかがやく薔薇の繚乱――虫と錯覚したのは、花びらの放つ燦きだったのだ。
 雲雀ひばりがさえずっている。
 壺中こちゅう天のなかで微睡むみたいに、現実を超えた美と幻妖と浪漫とが、どこまでも続いていて、地平線がほのぼの霞んでいる。
 ありえない光景と思うが、この塔では全てがありえない。二律背反が頻発する、霊妙神秘と摩訶不思議なる異次元空間だ。
 だから、目の前の光景は本物。
 この時間、この空間は、世界樹のくれた束の間の休息なのかもしれない。
 塔からでられたわけではないが、それでも七海は嬉しかった。とても穏やかで、静かで、あたたかくて、心を癒やされる。
 しばらくの間、ふたりは黙りこみ、燦めく世界を眺めながら、心地の良い沈黙を過ごした。
 ランティスは典雅な所作で、薔薇を一輪摘み取った。
 彼が一歩を詰めた時、七海の心臓は大きく鼓動を打った。
 澄み透った碧い眸で七海を見つめている。優しい微笑を湛えて。
 どんな言葉も思い浮かばなかった。影を縫い留められてしまったかのように、一歩も動くことができなかった。
 爪の先まで美しい手が、艷やかな黄金色の薔薇を一輪さしだす。
 七海の頬が薄紅色に染まる。金細工のような薔薇を、震える手で受け取った。
ありがとうございますソムニア……」
 生まれてはじめて、男性から花をもらった。こんな風に、まるで崇めるように、想いを捧げるように、花を贈られたことは、これまでの人生で一度もなかった。
愛していますイト ラーア ジュ……七海。私の愛しい人ココ セラーナ……」
 彼は長身をかがめて、七海の髪を一筋手にとり、そっとキスをした。黄昏をもらい受けて、長い睫毛が濡れたように光っている。
 ――愛している。
 とてつもなく大きな感情が、七海の心と躰と魂をかけめぐった。
「……私も好きです。愛していますイト ラーア ジュ
 覚えたばかりの言葉は、とても美しくて、優しくて、こわれそうなほど繊細な響きだった。
 ランティスの目が喜びに輝いた。深い愛情と、崇敬の想いをたたえて、眼差しがとろけそうなほど甘くなる。
 顔が燃えるように熱くなって、視線をあっちこっち彷徨わせていると、指先が顎に触れて顔を上向かされた。
(うわぁ、綺麗……)
 こんなにも間近にあって、金色に染まる睫毛のあいだで瞬いている碧い瞳に見惚れてしまう。見るたびに、色味の異なる青い瞳は、今はとても柔らかくて、甘くて、七海の心に優しく染み入ってくる。
 彼は、ゆっくりと顔を近づけて、七海が生涯忘れられないであろうキスをした。
 柔らかくて、優しくて、これまでの月日、遠く離れている世界の距離を融かすような……
 そっと顔を離して、見つめあう。
 棲む世界の違うひとだと判っている。一緒にいることで、困難を伴うであろうことも。それでも、彼の傍にいたいと思った。ランティスのようなひとには、二度と出会えないと思うから。
 生涯ただ一人のひと――
 胸においた掌から、いつもより速い鼓動が伝わってくる。とても満ち足りた気分で、なぜだか涙がでそうになる……こんなふうに感じたことは、人生で一度もなかった。
 すぐそばにで見つめあい、どちらからともなく、再び唇を重ねた。
 黄昏に照らされた庭園で、薔薇の香りに包まれ、穏やかな微風に吹かれながら……唇が溶け重なる。
 言葉はいらなかった。