DAWN FANTASY

4章:一つの解、全ての鍵 - 10 -

 いつもは涼しげな目元を赤くさせて、期待に目を輝かせているランティスを見ると、本当に彼に告白されたのだという実感がこみあげてきた。
「……私で、いいのでしょうか?」
 ランティスの瞳がきらりと輝いた。
「七海が良いのです。順序が逆になってしまいましたが、初めてくちづけた時から惹かれていました。最初は目的のために行動を共にしていましたが、いつのまにか私の意思で貴女を護り、くちびるを重ねて、想いを告げていました……心から愛しています」
 息をのむほど透き透った碧い瞳が、甘やかに蕩ける。
 七海は真っ赤になった。何と答えればいいか判らないほど混乱しているが、勃然と胸を満たした感情は、弾けるような喜びだった。
「私、なんていったらいいのか、驚いちゃって……ランティスさんは、私のことてっきり子供だと思っているんだとばかり」
「いいえ、七海はとても魅力的な女性ですよ。かわいくて、柔らかくて、優しくて、傍にいるだけで幸せな気持ちになれる。あまりに素晴らしくて、貴女が現実にいると思えない時がありますよ。全ては私の都合の良い夢ではないかと……そんな風に考えてしまうのです」
 七海は胸の奥がじんと甘く痺れるのを感じた。今この瞬間に、心臓が止まってしまいそうだった。それでもいい。人生で最も幸せな瞬間だから。
 感動のあまり、言葉を失っている七海を見て、ランティスは静かに席を立ち、七海の傍に跪いた。彼女の手をとり、そっと指先にキスをする。
「七海。私の恋人になっていただけますか?」
「……ほんとうに? 私……実は、もうすぐ三十になりますよ? そういえばランティスさんは、おいくつなんですか?」
「七海より長く生きていることは確かです」
 ランティスは意味深長にほほえんだ。
 年齢不詳の完璧な美貌は、目にも口元にもしわ一つなく、二十代半ばに見える。青い瞳の奥処おくかに宿る、深い叡智と霊光オーラだけが年齢をのぞかせていた。
「あっ、でも私、人間ですよ? ……いや、人間でいいのかもちょっと自信ないんですけど」
「貴女が何者でも構いません。私の方こそ妖精ですが、この愛を恐れずに受け取ってほしい。七海の心と魂を、全身全霊で愛しています。見知らぬ世界で不安に感じることも多いと思いますが、私が力になります。誰よりも近くで、貴女を護りたい。これからも……七海の傍にいることを、どうかゆるしていただけませんか?」
 ここまでいわれて、なびかない女がいるだろうか?
 臆病な七海も、もはや肯定以外の言葉は思い浮かばなかった。
 彼が人間であろうと、なかろうと、過去に何をしてきたとしても、そんなことはどうでもいい。今、七海は彼を無条件に愛している。七海の全てを彼に捧げても構わない。この想いを抑えつけたり、否定することはできない。
 彼のいない未来など想像できない――そう思う一方で、遠い世界に心を引き寄せられそうになる。
 懐かしい故郷ふるさと。愛おしい我が家。父と母、武蔵……かけがえのないひとたち。
(もう会えない)
 いろいろな想いが錯綜さくそうして、息がつまりそうになる。
 けれども――
 彼とであい、魔法にかけられてしまった以上、元の自分には戻れない。今この瞬間に決断をくだし、前に進んでいくしかないのだ。
「……私も、ランティスさんが好きです。一緒にいたい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「嬉しいです。とても嬉しいです」
 ランティスは無垢な子供みたいに、花が綻ぶような笑みを浮かべた。その笑顔のまばゆさに、七海は今度こそ心臓が止まってしまうと思った。
「ありがとう、七海」
 ランティスは身を起こすと、七海を両腕で抱きしめ、つま先を浮きあがらせた。そのままくるっと回転して、七海に小さな悲鳴をあげさせた。
「すみません、嬉しくてつい」
「いえ……」
「七海」
 ランティスは、照れて視線をあわせられない七海の顎に手をやり、そっと唇と重ねた。二度三度と触れあわせてから、しっとりと塞いだ。
 長いキスの後に、七海はランティスの胸に手を置いて顔をあげた。
「……その、これからランティスさんの棲んでいるところに、連れていってもらえるのですか?」
 手を握りしめられたまま、七海はおずおずと訊ねた。
「ええ、妖精の里を案内しますよ」
「妖精!」
 思わず弾んだ声をあげる七海を見て、ランティスはほほえんだ。
「美しい濃密な森に囲まれたところですよ。陽のした、星の光のした、せせらぎやにれもみの葉擦れの音が響いて、たえなる音楽を奏でるのです。しんとした谷間には、驚くほど澄明ちょうめいな川が流れていて、様々な鳥獣と妖精が憩っています。硝子細工のように可憐な花が咲いて、それはかぐわしい香りがしますよ。それに翡翠色の沼もあって、陽射しや月明かりに美しく照り輝くのです」
 ランティスは生き生きとした様子で、豊穣の森について滔々とうとうと語った。
「とても素敵なところなんですね」
 夢のようなお伽噺の世界を想像しながら、七海はうっとりした表情でいった。
「ええ……遠く離れていても、どれほど有為転変ういてんぺんが起ころうとも、森の不滅の魂がこの胸に響いてきて、あの原始の森へと引き寄せられるのです。我々妖精の生命の森であり、一生涯の始まりと終わりの住処すみかなのです」
 ランティスは言葉をきると、七海を見てほほえんだ。
「私が美しいと思うもの全て、七海に見せてあげたい。季節折々の森と星辰せいしん、宝石のような朝日に黄昏、星空と極北光オーロラ、谷や樹間の家並や、琥珀と水晶で造られた妖精王の美しい宮殿もありますよ」
「妖精王の宮殿!?」
 はしゃいだ声をあげる七海を見て、ランティスは笑った。
「ええ、水晶の金殿玉楼きんでんぎょくろうです」
「うわぁ、楽しみ!」
 その時遠くから、澄んだ角笛の音が聞こえてきた。
「……きたようですね」
 ランティスが立ちあがるのを見て、七海も席を立った。たちまち、丸卓が日傘が消え去る。
「いきましょう」
 差し伸べられた手をとって、七海もほほえんだ。
 刻一刻と明るくなっていく空の下を、白い鳥が群れ飛んでいく。
 世界は、なんて素晴らしい色で彩られているのだろう……妖精はきっと、この地に特別の祝福を賜ったのだ。
 手を繋いで、ふたりはゆっくり音のする方へと歩きだした。




 0話の続きにして、結び。

 このままでは、黄金塔ジルカヴェの封印は破られてしまう。そうなれば、最悪のわざわい現世うつしよに噴きだすだろう。
 誰かが、黄金塔ジルカヴェに入り、囚われた魂を解放しない限り――

 世界を経巡へめぐり、星辰せいしんを観測していえたランティスは、とある晩に夢を視た。
 それは、同胞の窮地を知らせるものだった。
 黄金塔ジルカヴェの封印が、破られようとしている。
 修復するために仲間が塔に入ったけれど、魂を囚われてしまった。
 黄金塔ジルカヴェは妖気を孕み続け、もはや魔塔に変わってしまったのだ。
 その影響は計り知れない。青とした樹々は枯れ、生き物は死に絶え、腐敗し、川は淀んでいく……
 妖精の故郷ふるさと、生命の始まりと終わり――原始の森が蝕まれていく。
 魔塔を浄化するには、囚われた魂を解放するしかない――
 夢から醒めた時、開いた掌に、仄青い光を放つ宇宙樹ユグドラシルの葉があった。
 啓示を受けたランティスは、すぐに生まれ育った里に向かった。
 長い放浪から戻った彼を、同胞たちは歓呼で迎えいれた。

“ユトの啓示を受けました。塔にいって参ります。黄金を取り戻し、囚われの魂を解放してご覧にいれましょう”

 彼が告げると、同胞たちは期待に目を輝かせながらも、心配そうに見送った。
 これまでに大勢が塔に挑み、誰ひとりとして還ってこなかったのである。
 ――だが、ランティスならば、成し遂げられるかもしれない。
 彼は、美しい玻璃の四枚羽をもち、妖精王ユトの子孫であり、世界最高峰の魔道士のひとりにして、眷属らの困難にたびたび光明を照らしてきた、偉大なる大賢者なのである。

 かくしてさいは投げられ、ランティスは単独で黄金塔ジルカヴェに脚を踏み入れた。
 偉大なる魔法遣いは、叡智と勇気で道を拓き、恐れずに暗闇を進んだ。
 長い長い苦闘万難を乗り越え、やがて世界樹ユグドラシルに導かれて“鍵の間”に辿り着く。
 黄金の結界を敷き直したあと、世界の秘鑰ウテ・カ・エリキサで異界の門を開き、疫癘えきれいの妖魔を送り返すのだ。
 ――が、まさか鍵が、女性の姿で顕れるとは思っていなかった。
 ましてや幾星霜もの間冷静でいた心に火を灯し、恋めし胸の高鳴りを覚えることになろうとは、夢にも思っていなかったのである。

 世界は、無数の冒険と驚きにちている。