アッサラーム夜想曲

聖域の贄 - 28 -

 大カレル・ガレン屑鉄会社の従業員と憲兵、さらに神殿から派遣された神官の協力により、一月一〇日の粉砕機事故後に溶解した再生鉄から、くだん鋳物いもの屋、そしてカタリナ精機製作所に卸されたという裏付けがとれた。
 つまり断頭台は、三七五年三月三日に神殿からゴバ廃鉄置場に移送され、その年の記録的豪雨により行方不明となった後、経緯は不明だが、最終的に大カレル・ガレン屑鉄会社の廃棄場にたどり着いたことになる。
 しかし仕入記録には断頭台という項目が見つからないため、恐らく原型を留めていない屑鉄状態で運ばれてきたのだと予想される。
 粉砕機事故の起きた日から逆算すると、断頭台の屑鉄は、昨年の十三月から今年一月の間に運ばれてきたことになる。
 一月一〇日以降の卸先に関しては、几帳面な前責任者のハムラホビトの方針が幸いした。
 製造日、及び卸先とその日時まで、すべて帳面に記されていたのである。
 ジュリアスは帳面をもとに、棚卸された商品をカタリナ精機製作所に集めるよう捜査班に命じた。
「大カレル・ガレン鋼鉄会社ではなく?」
 と、捜査班全員の疑問をハイラートが代弁すると、ジュリアスは次のように説明した。
「他は持ち運び可能ですが、裁断機は四足騎獣並みの大きさです。移送は困難でしょうから、カタリナ精機製作所に集めて、祭儀もそこで行いましょう」
 よって捜査班は総出で、一覧に記載されている品を、全てカタリナ精機製作所に集めることになった。
 鉄板、鉄棒、刃物、車輪、蹄鉄ていてつ、耕作具や楽器、燭台から装飾品まで、様々なものが収集された。
 そのなかには、鋳物いもの屋の品々、療養所の花切り鋏、アーナトラ工房ののみも含まれている。
 営業停止命令がだされたカタリナ精機製作所には、大きな負担を強いることになったが、工場長は粛々と要請に応じた。
 彼は、長年のつきあいの従業員を、まさにその裁断機の製造中に事故で亡くしているのだ。先日の組合供儀くぎでは、痛々しい、打ちひしがれた様子で嗚咽を堪えていた。
 憲兵がくろがね収集に市街を奔走している間に、ジュリアスは大規模な退魔の祭儀を執り行うべく、皇太子アースレイヤの了承を得たうえで、星詠省“時の使徒”の長であり最高位神官シャトーウェルケのサリヴァンと調整を進めていた。
 彼はまた、アーナトラの裁判を担当している裁判長にも経緯を説明し、裁判を再開するよう訴えた。
 断頭台の背景と、大カレル・ガレン屑鉄会社での再生経緯をまとめた資料を提出すれば、勝訴は確実だ。祭儀を終えてからになるが、アーナトラは晴れて無罪放免となるだろう。
 五月一五日の黄昏どき、その旨をアーナトラ本人に伝えるべくジュリアスが神殿に赴くと、彼は俗界離れした質素な一室で静かに書き物をしていた。
 あの日・・・から、彼の日常は一変している。工房勤めも裁判もない今、長い沈黙と瞑想の時を、ここで過ごしているのだ。
 朗報を聞いたアーナトラの憔悴しょうすいした顔が、明るい微笑でぱっと輝いた。
「ありがとうございます。何もかも貴方様のおかげです。心から感謝しております」
 苦しみの果てに歓喜を見出し者の目で、アーナトラはジュリアスを見た。
 深々とお辞儀をする彼に、ジュリアスもねぎら いの言葉をかけてやった。しかしその後で、光希がアーナトラ工房を訪問した際に、土産を渡した青年について苦言を呈すことも忘れなかった。
 全く初耳であったアーナトラは、ひどく驚いた様子で狼狽えた。
「ご不快な思いをさせて誠に申し訳ありません。見所のある職工ですが……もし御宥恕ごゆうじょを頂くことが難しければ、私から破門を申し渡します」
 彼の心からの謝罪を、ジュリアスは冷静に受けとめた。
「アーナトラがそういうのですから、真に良い職工なのでしょう。采配は任せますが、金輪際、光希には近づけないでください」
 底知れぬ美しい青い瞳に、暫時ざんじ、アーナトラは魅入られた。冷淡であり、澄明ちょうめいであり、神聖でもある。このような眼差しは、彼をおいて他に知らない。
「……承知いたしました。寛大な御心に感謝いたします」
 我に返って感謝を述べると、ジュリアスは目に親しみの色をわずかに浮かべて、こう続けた。
「光希は貴方をとても信頼しています。今後も交流する機会はあるでしょう。どうか、これからも彼の良い友人でいてあげてください」
 感銘を受けたアーナトラは、目を潤ませた。
 決して多くは語らないのに、このひとの言葉には千鈞せんきんの重さがあると思う。窮地を救ってくれたばかりではなく、寛大な御心で希望を与えてくれたのだ。
 渾身の思いでクロッカス邸の造園を手掛けた時にも増してアーナトラは高揚を覚え、シャイターンとその花嫁ロザインに対して、生涯の忠誠を胸に誓ったのだった。

 その日の夜、あたりには濃い霧がでており、空に浮かぶ青い星は後光の射す聖者のように儚く、神々しい淡い光をアッサラームに投げかけていた。
 ジュリアスがクロッカス邸に帰った時、光希は居室で読書をしながら、焼栗と乾燥柘榴ざくろを食べていた。
「ただいま、光希」
 部屋に入ってきたジュリアスを見て、光希は寝椅子から身を起こした。
「お帰りなさい」
 小さな木の実を頬張る光希を見て、栗鼠のようだとジュリアスは視線で愛でる。
「何を食べているのですか?」
「焼栗。食べる?」
 光希が栗を指でつまんでさしだすと、ジュリアスは隣に腰かけて口をあけた。
「美味しい?」
 素朴な甘さを味蕾みらいに覚えながら、ジュリアスは笑顔で頷く。
「最近、小腹が空いたら、木の実や果物を食べるようにしているんだ。間食を増やすことで、一回の食事量を減らすんだよ」
「減量のためですか?」
「そう。ただ僕の場合、小分けに食べる量がたぶん適量を超えているから、効果は薄い気がするんだけども……」
 悩みの大半が解消されたせいか、この数日、減殺げんさいしていた食欲が戻りつつあるのだ。心穏やかでいられるのは嬉しいが、旺盛な食欲は新たな悩みの種になりそうだった。
「ふふ……空腹を我慢するよりいいですよ。何でも美味しく食べてください」
 ジュリアスはほほえむと、光希の頬にキスをした。
「ん……ジュリは今日はどうだった?」
「朗報がありますよ。アーナトラの裁判の再開が決まりました。無罪放免は確実でしょう」
「本当!?」
 光希は身を乗りだしてジュリアスに迫ると、青い瞳をのぞきこみ真実を認めてから、ゆっくり全身の緊張を緩めた。
「良かったぁ~……」
 心底ほっとしたように囁いたあと、上目遣いにジュリアスを見つめた。
「アーナトラさんに、手紙を書いてもいいかな?」
「構いませんよ。落ち着いたら、見舞いにいきましょうか」
「いいの?」
「ええ」
 思わず光希はにっこりした。
 ――僕のためにそうしてくれるの?
 そういいそうになったが、口にはださなかった。実際その通りだと判っていたから。
「忙しいのに、ありがとう」
 ぎゅっとジュリアスの腕にしがみつくと、彼は蕾が花開くように笑った。
「貴方のためなら、いくらでも時間を作りますよ」
 微笑する時ですら硬質な水晶を思わせるジュリアスが、光希の前でだけは、こんな風に優しく笑ってくれる。光希には、それがとても嬉しかった。