アッサラーム夜想曲
幾千夜に捧ぐ恋歌 - 2 -
昼休み。クロガネ隊の工房。
机で物書きに熱中しているスヴェンの手元を、不思議そうな顔で同僚が覗きこんだ。
「……お前、何書いているのかと思えば、何書いてるんだ?」
「うわ、ちょっと見ないでくださいよ」
スヴェンは慌てて両手で手紙を隠した。
「どれどれ、見せてみろ」
背の高い隊員は手を伸ばすと、ひょいと手紙を取りあげ、興味深そうになかを覗きこんだ。
「うわぁーっ! やめて! 見ないでっ!!」
ぴょんぴょん跳ねるスヴェンの頭を押さえつけて、彼は声にだして読み始めた。
「“貴方は空に浮かぶ可憐な星”……ってなんじゃそりゃ」
愉快そうに笑う男を見て、興味を引かれた他の隊員も集まってきた。
真っ赤な顔で手紙を取り返そうとするスヴェンの手を阻み、彼は他の隊員にも手紙を見せた。
「ひぃ、恥ずかしいッ! 読まないでくださいッ」
「ぶはっ。面白い奴だとは思っていたけど、想像以上に面白いな」
「煩いっスよ! 俺の恋心を、からかわないでください」
スヴェンが涙目になって怒ると、先輩もかわいそうに思ったらしく、悪かったよと侘びて手紙を返してやった。
「褒めてるんだよ。ていうか、お前はまだケイトのこと諦めてなかったのか?」
「まだ、ってなんですか? これからですよ、俺の戦いは」
「……勝ち目はないんじゃないのか?」
少々気の毒そうな顔で男がいうと、スヴェンは拗ねたように頬杖をつき、ようやく戻ってきた手紙を悩ましげに見つめた。
「こんなに好きなのに……」
ほぅ……ため息をつく少年の肩を、先輩隊員は慰めるように叩いた。
「スヴェン、失恋の特効薬は新しい恋だぜ? 誰かいい子を紹介してもらえよ」
「まだ、失恋したわけじゃないですよ」
屹 とスヴェンが睨むと、取り囲む同僚たちは肩をすくめてみせた。
「要は、望み薄なケイトの尻を追いかけるより、他に目を向けたらどうだって話だよ」
「んなっ!? 下世話ですよッ! ケイト先輩の尻って、尻って……何を想像しているんですか!?」
がたっと席を立ち、鼻を押えてスヴェンは喚いた。手の隙間から、赤い血がぽたりと滴る。
「落ち着け。下世話なのはお前だ。なんで鼻血噴いてんだ? どっかで抜いてきた方がいいんじゃねぇか?」
「抜いてこいって!? 俺のケイト先輩になんて暴言をッ!!」
「――何の話ですか?」
大人しいケイトにしては、冷たい声で一同を見渡した。
途中から会話を聞いていた光希とケイトは、騒がしい空気の理由が判らず首を傾げていたが、真っ赤な顔のスヴェン、にやにやしている隊員たちを見て、なんとなく想像がついた。
硬直したスヴェンの手から、はらり、手紙が零れ落ちた。風の悪戯で、よりによってケイトの足元にそれは転がった。
「よせ……」
誰かが、深刻そうに呟いた。
ケイトは零れ落ちる髪を耳にかけながら、手紙を拾った。
小さな紙切れに目を注ぐケイトを見て、光希はなんとなく不安を覚えた。ひょいと顔を寄せて、なかを覗きこむ。素早く目を走らせて内容を確認すると、ケイトの様子を窺った。不思議な光彩の瞳がスヴェンに向けられる。スヴェンの顔が緊張に強ばるのを見て、
「――それ、僕が書いたんだ」
気がつけば、光希は口走っていた。
「「「へ?」」」
頓狂な声があちこちからあがった。
「やだなァ、人の書いたものを、そんな風に暴くものじゃないよ」
「殿下が? ……スヴェンの署名がありますけど」
ケイトは訝しげに光希を見た。
「ウン。共同創作なんだ。表現の幅を広げたいと思って、スヴェンと恋文の練習していたんだ」
「練習ですか?」
「そうそう。文字の練習にもなるし、感受性が高まるかなと思って」
自分でも苦しいものを感じたが、集まった面々は、安堵したような顔で頷いた。
「なんだ、そういうことか。悪かったな、スヴェン。笑ったりして」
和やかに転じた空気に便乗するように、スヴェンは陽気な笑みを浮かべている。ケイトだけは疑惑に満ちた眼差し向けてきたが、光希は笑顔で跳ね返した。
少年の恋心が、これ以上傷つくのを見たくなかったのだ。
しかし、この場は丸く収まったが、この一件は思わぬ展開を招くことになる。
クロガネ隊のなかで、意中の相手に恋文をしたためる不思議な流行が起きたのだ。次第に輪は広まり、製鉄班や内勤者に限らず、軍舎全体へと浸透していった。
早朝や黄昏時に、不定期で恋文の朗読会なるものが開かれ、きっかけを作った光希はしばしば招かれるようになった。
光希の綴る拙い言葉の恋文は、意外とウケが良かった。
最初は嘘の延長線上で、渋々奇妙な流行に乗っていた光希だが、次第に楽しむようになり、率先して朗読会に参加したりもした。
恋文は、初めのうちはジュリアスを想い浮かべて書いていたのだが、今では、架空の誰かに宛てた、恋する乙女のような文を書くこともあった。
一月が経っても、熱は冷めやらず。どの恋文が最も優れているか、内輪で競いあうことになった。
「ぜひ、殿下もご参加ください」
周囲から熱心に誘われて、光希は引き攣った顔で了承する羽目になった。
「参加されるんですって? 頑張ってくださいね」
この流行のきっかけにされたケイトは、少々根に持っているらしく、光希が大会に出ると知ってからかってきた。
「……どうも。頑張るよ。ケイトに宛てて書こうかな」
「いいですよ?」
意地悪のつもりでいったら、ケイトも負けじといい返してきた。互いに、ふふふ、と笑顔で応じる。
「どうせ、爆笑ものだと侮っているんでしょ? いっておくけど、大分マシになってきたんだよ。皆の前で赤面するのは、果たしてどちらかな?」
「いいんですか? 俺のために恋文を書いてくださるなんて、シャイターンが知れば何ておっしゃるか」
「う」
小さく呻く光希を見て、ケイトはくすりと微笑した。
「全く、人が好いんですから。簡単に周囲に乗せられて、後悔しているでしょう?」
「うぐ……まぁ。いや、出席するよ。もう返事しちゃったし」
「えぇ?」
今度こそ、ケイトは不満そうな声をあげた。
「ジュリにはいわないよ。わざわざ教える必要もないし」
「殿下、あまりいい考えとはいえませんよ」
ケイトは真面目な顔で苦言を呈した。
「うーん……」
光希も腕を組んで考えこんだ。ジュリアスが知ったら怒るだろうか? 朗読会で恋文を競いあうなんて、普通なら笑い話で済むが、意外と嫉妬深いジュリアスを思うと、なんともいえない。
「……出席するのは、これを最後にするよ」
光希の言葉に、ケイトは仕方なさそうに肩をすくめてみせた。
机で物書きに熱中しているスヴェンの手元を、不思議そうな顔で同僚が覗きこんだ。
「……お前、何書いているのかと思えば、何書いてるんだ?」
「うわ、ちょっと見ないでくださいよ」
スヴェンは慌てて両手で手紙を隠した。
「どれどれ、見せてみろ」
背の高い隊員は手を伸ばすと、ひょいと手紙を取りあげ、興味深そうになかを覗きこんだ。
「うわぁーっ! やめて! 見ないでっ!!」
ぴょんぴょん跳ねるスヴェンの頭を押さえつけて、彼は声にだして読み始めた。
「“貴方は空に浮かぶ可憐な星”……ってなんじゃそりゃ」
愉快そうに笑う男を見て、興味を引かれた他の隊員も集まってきた。
真っ赤な顔で手紙を取り返そうとするスヴェンの手を阻み、彼は他の隊員にも手紙を見せた。
「ひぃ、恥ずかしいッ! 読まないでくださいッ」
「ぶはっ。面白い奴だとは思っていたけど、想像以上に面白いな」
「煩いっスよ! 俺の恋心を、からかわないでください」
スヴェンが涙目になって怒ると、先輩もかわいそうに思ったらしく、悪かったよと侘びて手紙を返してやった。
「褒めてるんだよ。ていうか、お前はまだケイトのこと諦めてなかったのか?」
「まだ、ってなんですか? これからですよ、俺の戦いは」
「……勝ち目はないんじゃないのか?」
少々気の毒そうな顔で男がいうと、スヴェンは拗ねたように頬杖をつき、ようやく戻ってきた手紙を悩ましげに見つめた。
「こんなに好きなのに……」
ほぅ……ため息をつく少年の肩を、先輩隊員は慰めるように叩いた。
「スヴェン、失恋の特効薬は新しい恋だぜ? 誰かいい子を紹介してもらえよ」
「まだ、失恋したわけじゃないですよ」
「要は、望み薄なケイトの尻を追いかけるより、他に目を向けたらどうだって話だよ」
「んなっ!? 下世話ですよッ! ケイト先輩の尻って、尻って……何を想像しているんですか!?」
がたっと席を立ち、鼻を押えてスヴェンは喚いた。手の隙間から、赤い血がぽたりと滴る。
「落ち着け。下世話なのはお前だ。なんで鼻血噴いてんだ? どっかで抜いてきた方がいいんじゃねぇか?」
「抜いてこいって!? 俺のケイト先輩になんて暴言をッ!!」
「――何の話ですか?」
大人しいケイトにしては、冷たい声で一同を見渡した。
途中から会話を聞いていた光希とケイトは、騒がしい空気の理由が判らず首を傾げていたが、真っ赤な顔のスヴェン、にやにやしている隊員たちを見て、なんとなく想像がついた。
硬直したスヴェンの手から、はらり、手紙が零れ落ちた。風の悪戯で、よりによってケイトの足元にそれは転がった。
「よせ……」
誰かが、深刻そうに呟いた。
ケイトは零れ落ちる髪を耳にかけながら、手紙を拾った。
小さな紙切れに目を注ぐケイトを見て、光希はなんとなく不安を覚えた。ひょいと顔を寄せて、なかを覗きこむ。素早く目を走らせて内容を確認すると、ケイトの様子を窺った。不思議な光彩の瞳がスヴェンに向けられる。スヴェンの顔が緊張に強ばるのを見て、
「――それ、僕が書いたんだ」
気がつけば、光希は口走っていた。
「「「へ?」」」
頓狂な声があちこちからあがった。
「やだなァ、人の書いたものを、そんな風に暴くものじゃないよ」
「殿下が? ……スヴェンの署名がありますけど」
ケイトは訝しげに光希を見た。
「ウン。共同創作なんだ。表現の幅を広げたいと思って、スヴェンと恋文の練習していたんだ」
「練習ですか?」
「そうそう。文字の練習にもなるし、感受性が高まるかなと思って」
自分でも苦しいものを感じたが、集まった面々は、安堵したような顔で頷いた。
「なんだ、そういうことか。悪かったな、スヴェン。笑ったりして」
和やかに転じた空気に便乗するように、スヴェンは陽気な笑みを浮かべている。ケイトだけは疑惑に満ちた眼差し向けてきたが、光希は笑顔で跳ね返した。
少年の恋心が、これ以上傷つくのを見たくなかったのだ。
しかし、この場は丸く収まったが、この一件は思わぬ展開を招くことになる。
クロガネ隊のなかで、意中の相手に恋文をしたためる不思議な流行が起きたのだ。次第に輪は広まり、製鉄班や内勤者に限らず、軍舎全体へと浸透していった。
早朝や黄昏時に、不定期で恋文の朗読会なるものが開かれ、きっかけを作った光希はしばしば招かれるようになった。
光希の綴る拙い言葉の恋文は、意外とウケが良かった。
最初は嘘の延長線上で、渋々奇妙な流行に乗っていた光希だが、次第に楽しむようになり、率先して朗読会に参加したりもした。
恋文は、初めのうちはジュリアスを想い浮かべて書いていたのだが、今では、架空の誰かに宛てた、恋する乙女のような文を書くこともあった。
一月が経っても、熱は冷めやらず。どの恋文が最も優れているか、内輪で競いあうことになった。
「ぜひ、殿下もご参加ください」
周囲から熱心に誘われて、光希は引き攣った顔で了承する羽目になった。
「参加されるんですって? 頑張ってくださいね」
この流行のきっかけにされたケイトは、少々根に持っているらしく、光希が大会に出ると知ってからかってきた。
「……どうも。頑張るよ。ケイトに宛てて書こうかな」
「いいですよ?」
意地悪のつもりでいったら、ケイトも負けじといい返してきた。互いに、ふふふ、と笑顔で応じる。
「どうせ、爆笑ものだと侮っているんでしょ? いっておくけど、大分マシになってきたんだよ。皆の前で赤面するのは、果たしてどちらかな?」
「いいんですか? 俺のために恋文を書いてくださるなんて、シャイターンが知れば何ておっしゃるか」
「う」
小さく呻く光希を見て、ケイトはくすりと微笑した。
「全く、人が好いんですから。簡単に周囲に乗せられて、後悔しているでしょう?」
「うぐ……まぁ。いや、出席するよ。もう返事しちゃったし」
「えぇ?」
今度こそ、ケイトは不満そうな声をあげた。
「ジュリにはいわないよ。わざわざ教える必要もないし」
「殿下、あまりいい考えとはいえませんよ」
ケイトは真面目な顔で苦言を呈した。
「うーん……」
光希も腕を組んで考えこんだ。ジュリアスが知ったら怒るだろうか? 朗読会で恋文を競いあうなんて、普通なら笑い話で済むが、意外と嫉妬深いジュリアスを思うと、なんともいえない。
「……出席するのは、これを最後にするよ」
光希の言葉に、ケイトは仕方なさそうに肩をすくめてみせた。