アッサラーム夜想曲
クロガネの応援歌 - 4 -
少しずつ、状況は好転していった。
ノーアは適度に周囲を頼るようになり、一方で人の三倍の努力を続けた。自分の力量の少し上、ぎりぎりこなせる受注に挑戦して、実力を少しずつ伸ばしていった。
今日も、終課の鐘が鳴ってもノーアは作業を続けている。そう難しくない平面装飾だが、根気のいる作業で、精緻な蔦模様を全面に入れなければならないものだ。
物言いたげなスヴェンの視線に動じることなく、鏨 を打つ横顔は真剣そのもので、疲労の色は見えるものの、いい顔をしている。
ノーアは、七日をかけて見事に受注を終えた。
「やるじゃん」
丁寧な装飾を見て、スヴェンは感心したようにいった。賞賛を受けて、ノーアは嬉しそうに肩から力を抜く。
「ありがとう!」
てらいのない笑顔でノーアがいうと、傍で見ていたパシャも肩を叩いた。
ノーアの努力は本物だ。
相変わらず作業に時間を要するが、精度は高い。謙虚な性質も変わらず、皆が嫌がる根気のいる作業にも率先して取り組む。
自然と、周囲の対応も変わっていった。
もてる技術を共有して、彼の成長を助けている。スヴェンの態度もここしばらくの間に軟化し、もたつくノーアに苛立ちながらも、好意的な助言をかけることが増えていった。ノーアもいい返せるようになってきたので、一方的ではない意見交換が成立するようになったのだろう。
善良な者が、努力を積む姿には勇気づけられるものだ。
人は成長するものだと、感じずにはいられない。
鏨 を持つ手つきも様になり、最初は右往左往していた材料選びにも、迷わず棚から持ちだすようになった。
十日を要した受注を、五日で終えるようになった。
自分の受注だけでなく、人の受注を意識するようにもなり、どのような装飾、工程を要するのか情報を得るようになった。
あんなに内気で臆病だったノーアが、自分から声をかけにいく姿を見た時、光希は思わず涙ぐんでしまった。
「あの子、成長したよね」
しみじみと呟く光希を見て、ケイトはほほえんだ。
「よく頑張っていますね」
彼の成長が、我がことのように嬉しい。
クロガネ隊は素晴らしい工房だ。彼等と共に働けることが、光希は嬉しかった。
怒涛の日々は過ぎてゆく。
大量受注の目途もたち、クロガネ隊の面々にも生気が戻ってきた。サイードも然り。彼は三人の歓迎会をしようと工房仲間に呼びかけた。
こういった誘いを、普段は遠慮する光希だが、この時は三人を歓迎してやりたいと思った。
「ジュリに訊いてみます。許可をもらえたら、僕もいきたいです」
即答で断らない光希を見て、サイードは破顔した。
「なんなら、総大将もご一緒されるといい」
「あは……訊いてみます」
断られるだろうなぁ、と思いつつ光希は頷いた。
三年近く傍にいるが、ジュリアスが私用で同僚と飲みにいく話は殆ど聞かない。稀にあっても、ヤシュムやナディアといった馴染みの面子に限る。私的な親睦会のような集まりには、一度も参加したことがないのではなかろうか?
その日の夜。屋敷に戻ってきたジュリアスを捕まえて、光希は早速切りだした。
「ジュリ、歓迎会にいってもいいかな?」
「歓迎会?」
「クロガネ隊の皆で、新人歓迎会をするんだ。最近ようやく落ち着いたし、僕もいきたい」
「場所はどこですか?」
「詳しくは知らないけど、サンマール広場の周辺みたい」
「いつ?」
「まだ決まってない。早ければ三日後?」
思案気な顔になるジュリアスを見て、光希は続けた。
「一応、帽子と覆面はつけていくよ。隅に座っていれば、人目につかないと思う。アージュも連れていくから、いいかな?」
「判りました」
「えっ、本当!?」
「店を貸し切って、見えないところに護衛を配置します。軍車で、送迎をさせてくれるなら」
「了解! ありがとう!」
嬉しそうに笑う光希を見て、ジュリアスも表情を緩めた。
「たまには、いい気分転換になるでしょう。楽しんできてください」
まさか本当に許可が下りるとは思っていなかった光希は、満面の笑みで頷いた。
「ジュリも一緒にいく?」
「私がいては、皆を緊張させてしまいますよ」
「そんなことないよ。喜ぶと思うよ」
何より光希が嬉しい。ジュリアスは微笑を浮かべると、腰をかがめて光希の額に唇を落とした。
「私のことは気にせず、楽しんでいらっしゃい」
「……そう?」
まぁ彼の答えは最初から判っていたので、光希もしつこく誘うような真似はしなかった。
「後で話を聞かせてくださいね」
「うん、判った。今度二人で飲みにいこうね」
手を繋いで笑みかけると、ジュリアスも嬉しそうに頷いた。
翌日。
許可が下りたことをサイードに報告すると、工房仲間達の顔が輝いた。光希が彼等と軍事施設外で飲食を共にするのは、これが初めてかもしれない。
どこから聞きつけたのか、ヤシュムとユニヴァースが工房にやってきて、出席したいとサイードに交渉し始めた。
「いやぁ、殿下と飲めるなんてめったにないし!」
へらりと笑うユニヴァースを、サイードは隻眼を眇めて呆れたように見下ろしている。
「こいつはともかく、お前もか?」
視線を向けられて、ヤシュムはからりと笑った。
「酒が飲めると聞いてやってきたぞ!」
「一応、うちの新人の歓迎会なんだがな」
「なら、うちも第一騎馬隊から適当に新人を連れてくる。殿下と一緒に呑めるなんて僥倖 、滅多にないから喜ぶだろう」
「適当に連れてくるな」
面倒そうな顔をするサイードを見て、ヤシュムは哄笑 を飛ばした。
賑やかな様子を笑顔で眺めている光希の隣にユニヴァースがやってきて、興味深そうにこう訊ねた。
「それにしても、よく許可が下りましたね。もしかして、総大将もくるんですか?」
「いや、ジュリはこない。アージュはくるよ」
ね、と後ろを向くと、同意を求められた青年は、どうでも良さそうな視線をユニヴァースに投げた。ついでに一言。
「邪魔」
「俺が? 酷くない?」
「面倒」
「ふふん、俺は殿下と楽しく飲むんだ。羨ましいだろう? お前はしっかり警護を務めろよ」
「……」
空気がひんやり冷たくなるのを感じて、光希は二人に間に割って入った。
「ほらほら、喧嘩しないで。ちょっとくらい、アージュも飲んで平気だよ。外にも護衛はいるだろうから」
「殿下は、優しいなぁ」
大袈裟に腕を拡げて抱き着く真似をするユニヴァースの顔面を、ローゼンアージュは無言で鷲掴んだ。
くぐもった声で意味不明に喚くユニヴァ―スの姿に、光希は愉快な気持ちを味わった。
ノーアは適度に周囲を頼るようになり、一方で人の三倍の努力を続けた。自分の力量の少し上、ぎりぎりこなせる受注に挑戦して、実力を少しずつ伸ばしていった。
今日も、終課の鐘が鳴ってもノーアは作業を続けている。そう難しくない平面装飾だが、根気のいる作業で、精緻な蔦模様を全面に入れなければならないものだ。
物言いたげなスヴェンの視線に動じることなく、
ノーアは、七日をかけて見事に受注を終えた。
「やるじゃん」
丁寧な装飾を見て、スヴェンは感心したようにいった。賞賛を受けて、ノーアは嬉しそうに肩から力を抜く。
「ありがとう!」
てらいのない笑顔でノーアがいうと、傍で見ていたパシャも肩を叩いた。
ノーアの努力は本物だ。
相変わらず作業に時間を要するが、精度は高い。謙虚な性質も変わらず、皆が嫌がる根気のいる作業にも率先して取り組む。
自然と、周囲の対応も変わっていった。
もてる技術を共有して、彼の成長を助けている。スヴェンの態度もここしばらくの間に軟化し、もたつくノーアに苛立ちながらも、好意的な助言をかけることが増えていった。ノーアもいい返せるようになってきたので、一方的ではない意見交換が成立するようになったのだろう。
善良な者が、努力を積む姿には勇気づけられるものだ。
人は成長するものだと、感じずにはいられない。
十日を要した受注を、五日で終えるようになった。
自分の受注だけでなく、人の受注を意識するようにもなり、どのような装飾、工程を要するのか情報を得るようになった。
あんなに内気で臆病だったノーアが、自分から声をかけにいく姿を見た時、光希は思わず涙ぐんでしまった。
「あの子、成長したよね」
しみじみと呟く光希を見て、ケイトはほほえんだ。
「よく頑張っていますね」
彼の成長が、我がことのように嬉しい。
クロガネ隊は素晴らしい工房だ。彼等と共に働けることが、光希は嬉しかった。
怒涛の日々は過ぎてゆく。
大量受注の目途もたち、クロガネ隊の面々にも生気が戻ってきた。サイードも然り。彼は三人の歓迎会をしようと工房仲間に呼びかけた。
こういった誘いを、普段は遠慮する光希だが、この時は三人を歓迎してやりたいと思った。
「ジュリに訊いてみます。許可をもらえたら、僕もいきたいです」
即答で断らない光希を見て、サイードは破顔した。
「なんなら、総大将もご一緒されるといい」
「あは……訊いてみます」
断られるだろうなぁ、と思いつつ光希は頷いた。
三年近く傍にいるが、ジュリアスが私用で同僚と飲みにいく話は殆ど聞かない。稀にあっても、ヤシュムやナディアといった馴染みの面子に限る。私的な親睦会のような集まりには、一度も参加したことがないのではなかろうか?
その日の夜。屋敷に戻ってきたジュリアスを捕まえて、光希は早速切りだした。
「ジュリ、歓迎会にいってもいいかな?」
「歓迎会?」
「クロガネ隊の皆で、新人歓迎会をするんだ。最近ようやく落ち着いたし、僕もいきたい」
「場所はどこですか?」
「詳しくは知らないけど、サンマール広場の周辺みたい」
「いつ?」
「まだ決まってない。早ければ三日後?」
思案気な顔になるジュリアスを見て、光希は続けた。
「一応、帽子と覆面はつけていくよ。隅に座っていれば、人目につかないと思う。アージュも連れていくから、いいかな?」
「判りました」
「えっ、本当!?」
「店を貸し切って、見えないところに護衛を配置します。軍車で、送迎をさせてくれるなら」
「了解! ありがとう!」
嬉しそうに笑う光希を見て、ジュリアスも表情を緩めた。
「たまには、いい気分転換になるでしょう。楽しんできてください」
まさか本当に許可が下りるとは思っていなかった光希は、満面の笑みで頷いた。
「ジュリも一緒にいく?」
「私がいては、皆を緊張させてしまいますよ」
「そんなことないよ。喜ぶと思うよ」
何より光希が嬉しい。ジュリアスは微笑を浮かべると、腰をかがめて光希の額に唇を落とした。
「私のことは気にせず、楽しんでいらっしゃい」
「……そう?」
まぁ彼の答えは最初から判っていたので、光希もしつこく誘うような真似はしなかった。
「後で話を聞かせてくださいね」
「うん、判った。今度二人で飲みにいこうね」
手を繋いで笑みかけると、ジュリアスも嬉しそうに頷いた。
翌日。
許可が下りたことをサイードに報告すると、工房仲間達の顔が輝いた。光希が彼等と軍事施設外で飲食を共にするのは、これが初めてかもしれない。
どこから聞きつけたのか、ヤシュムとユニヴァースが工房にやってきて、出席したいとサイードに交渉し始めた。
「いやぁ、殿下と飲めるなんてめったにないし!」
へらりと笑うユニヴァースを、サイードは隻眼を眇めて呆れたように見下ろしている。
「こいつはともかく、お前もか?」
視線を向けられて、ヤシュムはからりと笑った。
「酒が飲めると聞いてやってきたぞ!」
「一応、うちの新人の歓迎会なんだがな」
「なら、うちも第一騎馬隊から適当に新人を連れてくる。殿下と一緒に呑めるなんて
「適当に連れてくるな」
面倒そうな顔をするサイードを見て、ヤシュムは
賑やかな様子を笑顔で眺めている光希の隣にユニヴァースがやってきて、興味深そうにこう訊ねた。
「それにしても、よく許可が下りましたね。もしかして、総大将もくるんですか?」
「いや、ジュリはこない。アージュはくるよ」
ね、と後ろを向くと、同意を求められた青年は、どうでも良さそうな視線をユニヴァースに投げた。ついでに一言。
「邪魔」
「俺が? 酷くない?」
「面倒」
「ふふん、俺は殿下と楽しく飲むんだ。羨ましいだろう? お前はしっかり警護を務めろよ」
「……」
空気がひんやり冷たくなるのを感じて、光希は二人に間に割って入った。
「ほらほら、喧嘩しないで。ちょっとくらい、アージュも飲んで平気だよ。外にも護衛はいるだろうから」
「殿下は、優しいなぁ」
大袈裟に腕を拡げて抱き着く真似をするユニヴァースの顔面を、ローゼンアージュは無言で鷲掴んだ。
くぐもった声で意味不明に喚くユニヴァ―スの姿に、光希は愉快な気持ちを味わった。