アッサラーム夜想曲
ハヌゥアビスの進撃 - 4 -
サルビア軍の重量級戦車、四足騎竜を相手に、アッサラーム軍は果敢に戦ったが、ノーヴァ壊滅に勢いづいたサルビア陣営に次第に押され始め、一時退却を余儀なくされた。
ムーン・シャイターンとハヌゥアビスの頂上決戦も中断され、互いの布陣を睨み合いながら野営地へと引き上げた。
戦場を闇夜が覆う――
アッサラーム軍は頑として占領した高地を降りはしなかったが、広大な空に散って行った多くの同胞を想い、空気はひたすらに重かった。
一方で、サルビア陣営は明るい。離れていても、浮かれている様子がよく判る……。
此岸 と彼岸 では、天と地ほどに差があった。
+
気丈なユニヴァースも、ノーヴァに散った五万もの同胞を想うと、流石に笑うことは難しかった。仲の良い飛竜隊の兵士も何人もいたのだ……。
ここも相当な激戦区だが、ノーグロッジの主戦力までを投じて一斉攻撃を受けたノーヴァは、どれほど苛烈を極めたことだろう。
やりきれない、重々しい気持ちに心を支配される。
ノーヴァに向かった将――ジャファールやアルスランは無事なのだろうか……。
空の要を担う重要な二人だ。失ったとあれば、この先の空中戦において相当な苦戦を強いられることだろう。
言葉もなく焚火を囲むアッサラーム兵達の前に、酒樽を乗せた荷車を引いて、アーヒムとヤシュムが労いにやって来た。
「お前ら、しけた面をするな。顔を上げろ!」
ヤシュムは手を叩いて、兵の合間を縫って歩いた。
「ノーヴァに散った同胞を想うのなら、顔を上げてみせよ。無念を晴らす機会なら、明日から幾らでもあるわ。今夜は呑み明かせ。濁りを溜め込むな」
アーヒム自ら、酒瓶を配って回っている。茴香 入りの火酒だ。
兵達の輪に交じって腰を下ろすと、豪快に酒を煽 った。杯に注ぎ足しては飲み干す。景気のいい飲みっぷりに、次第に周囲の兵達も表情を緩めて、酒に手を伸ばし始めた。
同胞やアッサラームを想い、泣き出す者は多い。心の内を吐露し、周囲と分かつことで傷を癒そうとしていた。
逝きし人との行きし日々を想いながら……。
ふと、離れたところで、サーベルを胸に抱いて空を仰ぎ見るムーン・シャイターンの姿に気付いた。
一人でいたいのだろうか……迷った末に、酒を手に近付くことにした。
「ムーン・シャイターン」
砂漠の覇王は、疲れた顔をしていた。
隣に腰を下ろしても何も言われなかったので、酒の入った杯を渡した。ムーン・シャイターンは、無言で喉に流しこむように煽る。
「私の神眼でも……ジャファール達の行方が視えないのです。ユニヴァースは、どうですか?」
「俺は、ムーン・シャイターンほど、遠視が利かないから……ハヌゥアビスと激戦したばかりで、神眼も霞んでいるのかもしれませんよ」
「――私が……もっと早く、決着を……いや……」
これほどまで、苦悩に揺れるムーン・シャイターンを初めて見た。何を言えばいいか判らず、空いた背中をバシッと叩いた。
「俺は、殿下じゃないんですからね。慰めてあげられませんよ」
冗談めかして言うと、彼はふっと鼻で笑った。
「いりませんよ、そんなもの」
「とんでもない神力の応酬でしたね。傍で見たかったけど……近寄れませんでした。空が落っこちてくるんじゃないかと思いましたよ」
「覚悟はしていましたが……流石に手強い。正直、花嫁 を手にしていない、以前の私の神力では押されていたと思います」
広げた掌に視線を落としながら、確信めいた口調で語る。
「じゃあ、今は?」
「もちろん、私が勝ちますよ」
ユニヴァースの問いに、一瞬の躊躇もなく勝利を宣言するや、不敵に笑って見せた。
「その調子ですよ!」
ふと笑顔で見つめ合っていることに気付き、愕然とした。男を慰める趣味はない。花嫁は別として……。
「まぁ……ムーン・シャイターンに何かあっても、殿下のことは心配しないでください。俺が――ぐは……っ!」
横腹をいきなり蹴られた。
「……」
「いってぇ……っ!」
本気で痛い。謝りもしない、すかした態度に少し苛立ちを覚えた。人が、空気を和まそうと……。
恨みがましい視線で睨んでいると、br>
「おう、楽しそうだな。二人して」
ヤシュムとアーヒムが傍へやって来た。「飲み比べしよう」と、勝手に空いた杯に酒を注ぎ始める。
「あれだな、お前はいい性格しているな。公開懲罰を受けて、此処まであっけらかんとしている奴は初めて見たぞ」
ヤシュムは感心したように、ユニヴァースを見つめた。
「いやー正直、極刑もありえたと思うので、鞭打ちで済んで良かったなーと……」
とはいえ、思い出すだけで失神しそうになる。これまで生きてきた中で、あれほどの苦痛はない。今の蹴りもなかなか痛かったが……。
「うむ……お前、よく生きてるな」
アーヒムはしみじみと呟くと、豪快に酒を煽った。しかも人の杯を見て空と判るや、なみなみ注いでくる。
何杯目か判らぬ杯を見て、遠い眼差しになる。明日、泥酔して戦いにならなかったらどうするのだろう……。
「飲んでおけ」
心を読まれたのかと思った。アーヒムに「ありがたく」と告げると、空に浮かぶ青い星を見上げて、酒を満たした杯を掲げた。
――アッサラームの同胞よ。どうか安らかに……
ノーヴァの敵は必ずとってみせる。一気に喉の奥に流しこんだ。腹の底から燃え上がるようだ。
隣を見れば、ムーン・シャイターンも同じように酒を流しこんでいた。口元を乱暴に拭うと、瞳に強い光を宿して全員の顔を見渡した。
「ノーヴァを落としたサルビアのことは、アースレイヤとルーンナイトに託す。中央の使命は、ただ一つ――ハヌゥアビスに決勝することだ。ナディアに来てもらう」
「「御意」」
全員が再び杯を掲げた。この喉を流れる熱を、決して忘れはしまい――。
ムーン・シャイターンとハヌゥアビスの頂上決戦も中断され、互いの布陣を睨み合いながら野営地へと引き上げた。
戦場を闇夜が覆う――
アッサラーム軍は頑として占領した高地を降りはしなかったが、広大な空に散って行った多くの同胞を想い、空気はひたすらに重かった。
一方で、サルビア陣営は明るい。離れていても、浮かれている様子がよく判る……。
+
気丈なユニヴァースも、ノーヴァに散った五万もの同胞を想うと、流石に笑うことは難しかった。仲の良い飛竜隊の兵士も何人もいたのだ……。
ここも相当な激戦区だが、ノーグロッジの主戦力までを投じて一斉攻撃を受けたノーヴァは、どれほど苛烈を極めたことだろう。
やりきれない、重々しい気持ちに心を支配される。
ノーヴァに向かった将――ジャファールやアルスランは無事なのだろうか……。
空の要を担う重要な二人だ。失ったとあれば、この先の空中戦において相当な苦戦を強いられることだろう。
言葉もなく焚火を囲むアッサラーム兵達の前に、酒樽を乗せた荷車を引いて、アーヒムとヤシュムが労いにやって来た。
「お前ら、しけた面をするな。顔を上げろ!」
ヤシュムは手を叩いて、兵の合間を縫って歩いた。
「ノーヴァに散った同胞を想うのなら、顔を上げてみせよ。無念を晴らす機会なら、明日から幾らでもあるわ。今夜は呑み明かせ。濁りを溜め込むな」
アーヒム自ら、酒瓶を配って回っている。
兵達の輪に交じって腰を下ろすと、豪快に酒を
同胞やアッサラームを想い、泣き出す者は多い。心の内を吐露し、周囲と分かつことで傷を癒そうとしていた。
逝きし人との行きし日々を想いながら……。
ふと、離れたところで、サーベルを胸に抱いて空を仰ぎ見るムーン・シャイターンの姿に気付いた。
一人でいたいのだろうか……迷った末に、酒を手に近付くことにした。
「ムーン・シャイターン」
砂漠の覇王は、疲れた顔をしていた。
隣に腰を下ろしても何も言われなかったので、酒の入った杯を渡した。ムーン・シャイターンは、無言で喉に流しこむように煽る。
「私の神眼でも……ジャファール達の行方が視えないのです。ユニヴァースは、どうですか?」
「俺は、ムーン・シャイターンほど、遠視が利かないから……ハヌゥアビスと激戦したばかりで、神眼も霞んでいるのかもしれませんよ」
「――私が……もっと早く、決着を……いや……」
これほどまで、苦悩に揺れるムーン・シャイターンを初めて見た。何を言えばいいか判らず、空いた背中をバシッと叩いた。
「俺は、殿下じゃないんですからね。慰めてあげられませんよ」
冗談めかして言うと、彼はふっと鼻で笑った。
「いりませんよ、そんなもの」
「とんでもない神力の応酬でしたね。傍で見たかったけど……近寄れませんでした。空が落っこちてくるんじゃないかと思いましたよ」
「覚悟はしていましたが……流石に手強い。正直、
広げた掌に視線を落としながら、確信めいた口調で語る。
「じゃあ、今は?」
「もちろん、私が勝ちますよ」
ユニヴァースの問いに、一瞬の躊躇もなく勝利を宣言するや、不敵に笑って見せた。
「その調子ですよ!」
ふと笑顔で見つめ合っていることに気付き、愕然とした。男を慰める趣味はない。花嫁は別として……。
「まぁ……ムーン・シャイターンに何かあっても、殿下のことは心配しないでください。俺が――ぐは……っ!」
横腹をいきなり蹴られた。
「……」
「いってぇ……っ!」
本気で痛い。謝りもしない、すかした態度に少し苛立ちを覚えた。人が、空気を和まそうと……。
恨みがましい視線で睨んでいると、br>
「おう、楽しそうだな。二人して」
ヤシュムとアーヒムが傍へやって来た。「飲み比べしよう」と、勝手に空いた杯に酒を注ぎ始める。
「あれだな、お前はいい性格しているな。公開懲罰を受けて、此処まであっけらかんとしている奴は初めて見たぞ」
ヤシュムは感心したように、ユニヴァースを見つめた。
「いやー正直、極刑もありえたと思うので、鞭打ちで済んで良かったなーと……」
とはいえ、思い出すだけで失神しそうになる。これまで生きてきた中で、あれほどの苦痛はない。今の蹴りもなかなか痛かったが……。
「うむ……お前、よく生きてるな」
アーヒムはしみじみと呟くと、豪快に酒を煽った。しかも人の杯を見て空と判るや、なみなみ注いでくる。
何杯目か判らぬ杯を見て、遠い眼差しになる。明日、泥酔して戦いにならなかったらどうするのだろう……。
「飲んでおけ」
心を読まれたのかと思った。アーヒムに「ありがたく」と告げると、空に浮かぶ青い星を見上げて、酒を満たした杯を掲げた。
――アッサラームの同胞よ。どうか安らかに……
ノーヴァの敵は必ずとってみせる。一気に喉の奥に流しこんだ。腹の底から燃え上がるようだ。
隣を見れば、ムーン・シャイターンも同じように酒を流しこんでいた。口元を乱暴に拭うと、瞳に強い光を宿して全員の顔を見渡した。
「ノーヴァを落としたサルビアのことは、アースレイヤとルーンナイトに託す。中央の使命は、ただ一つ――ハヌゥアビスに決勝することだ。ナディアに来てもらう」
「「御意」」
全員が再び杯を掲げた。この喉を流れる熱を、決して忘れはしまい――。