アッサラーム夜想曲
中央山岳狭路の戦い - 2 -
中央山岳狭路での二日目の戦い。
翌朝は早くから陣を並べた。サルビアも負けじと早くから朝飯を澄ませて、陣立てを整えている。
狭路の向こうに靡 く赤い旗を眺めていると、ヤシュムが傍へやってきた。立ちこめる靄を見て、うんざりしたように「砂漠が恋しい……」とぼやく。全く同感である。
「ヤシュム、そのなりで行くのか?」
ヤシュムは鎧も隊帽も全て外し、背中にサーベルをくくりつけた、生身に近い出で立ちだった。手には杖と革紐が握られている。
「兵にも同じ格好をさせてるぞ。合図を心待ちにしている」
「風に煽られて、落ちるなよ」
ヤシュムはにやりと笑うと「お前こそ、死ぬなよ」と肩を叩いてきた。
間もなく陣は整った。
騎乗したムーン・シャイターンに視線で問われて、いつでも、と敬礼で応える。若き覇王は黒牙をすらりと抜き放つと、誰よりも先に敵陣へ駆けた。
オォッ!!
狭路を恐れず疾駆するムーン・シャイターンに、勇猛果敢な第一歩兵隊が鬨 の声を上げて続く。
サルビアの重装歩兵隊も鋼鉄の盾を前に突き出して、分厚い鋼の壁を築き上げた。それを、ものともせずにムーン・シャイターンが乗り越えてゆく――。
「道が開いたぞぉ! 続け――っ!!」
腹から声を出した。
昨日の敗退に苦い思いを味わった前線の新兵は、剣を合わせた当初こそ及び腰だったが、次第に瞳に闘志を宿して声を張り上げた。
攻め込みもしないかわりに、押されもせず前線で踏ん張る陽動作戦の副次効果だ。自分達の力で前線を保てているのだと、自信を取り戻したのだろう。
「あそこだ! シャイターンがいるぞ!」
敵の声に、ムーン・シャイターンの姿を探した。
金色の髪が風に靡く様は、戦場においてもよく目立つ。しかし下馬して斬り込むとは、陽動にしてもやり過ぎだ。思わず舌打ちすると、ムーン・シャイターンの傍に馬を寄せた。
「下がられよ!」
闘志に燃える青い瞳がアーヒムを仰ぎ見る。サルビア兵を前に、シャイターンの支配が大分強まっているようだ。それでも、深入りし過ぎたことを自覚したように前線を下がった。
「総大将が景気よく前へ出過ぎですぞ! 目をつけられる!」
「済まない」
向こうの布陣の中心には、将を守る手練れがいる。敵の最強部分との激突は、序盤では避けたかった。せっかく高まった士気が下がってしまう。
「一度下がります。ここは任せました!」
ムーン・シャイターンから前線を引き継ぐと、押し込んでは引いて、日が暮れるまで不退の姿勢で耐え抜いた。
二日目が終わる――。
アッサラーム、サルビアの両軍共に手ごたえを感じて、それぞれ野営地へと引き上げた。
こちらは重装歩兵隊を相手に渡り合えたという自信、あちらは前線を防衛しきった自信である。敵と味方の双方を欺いた、大掛かりな心理戦に成功したのだ!
当然アーヒムらも手ごたえを感じていた。
野営地に戻りムーン・シャイターンと合流すると、伝令から首尾よくヤシュムが配置についたと知らせを受ける。思わず、互いの肩を叩かずにはいられなかった。
「よくやりました」
「貴方も!」
アーヒムはほくそ笑んだ。サルビアはさぞ甘美な優越感に酔いしれているのだろうが、それも今夜までだ。
+
中央山岳狭路での三日目の戦い。
不慣れな山岳での闘いということもあり、兵達の顔に疲労が見え始めていた。
騎乗しているムーン・シャイターンはどうかと隣を窺うと……こちらは流石に涼しい顔をしている。
「向こうの陣が整ったら、半刻置いて下げましょう」
「御意」
昨日よりも更に早い時間に陣を完成させた。サルビアへの嫌がらせだ。向こうも慌てて布陣を急いでいる。
準備が整い、暫し睨み合った後に、アーヒムは前線を解いて狭路の奥へと退却させた。
剣も交えず退却するアッサラーム軍を見て、サルビアは声も高らかに野次を飛ばしてきた。それを拾い、血気づく若い兵士に「下がれ!」と何度も言う必要があった。
早朝から苦労して陣を引いたのに、あっけない退却に兵達も不満そうにしていたが、野営地に戻り昼まで自由に過ごせと言うと、大半の者は喜んだ。
アーヒムも腹ごしらえしようと天幕へ寄ると、騎乗したムーン・シャイターンが傍へ寄ってきた。
「上出来です、アーヒム」
「ムーン・シャイターン。作戦通りです。しかし、新兵は煩くて敵いませんな……何度か、斬り捨てそうになりましたよ」
「ふ、いい働きでしたよ。ここが超越困難な障害地形で助かりました。向こうは一歩も動けず、あの装備で待機せざるをえないのですから」
ムーン・シャイターンの痛快な台詞に、アーヒムも大きく頷いた。
「今のうちに休んでおきましょう。昼過ぎから大仕事が待っていますぞ」
狙い通り、昼を過ぎると、サルビア兵はすっかり疲弊しきっていた。待てど敵は来ぬと見切りをつけ、もとの野営地へ引き返し始める。
その隙に、密かに各隊に出撃準備を急がせた。
こちらはたっぷり休憩をとり、昼飯も食べている。くだびれたサルビア兵など敵ではない。
「ムーン・シャイターン、私は左から」
「判りました。では右から」
互いに先頭を率いて駆け出すと、敵の背中を左右から叩いた。
「攻めて来たぞぉ――っ!!」
「止めろぉ――っ!!」
慌てふためいたサルビア兵は陣を戻そうとするが、今こそ疾駆するムーン・シャイターンの黒牙が将を捕える。
ただの一閃で将の首を落とし、続けざまに周囲を固める選り抜きの精鋭を斬り伏せる。惚れ惚れするような剣捌きだ。
オオォォ――ッ!!
地面を揺らすような、歓喜の声が湧き起こった。
アーヒムも拳を握りしめて「いよぉし!」と吠えずにはいられなかった。
その機を逃さず、絶壁を駆け上がってきたヤシュムの率いる三百の精鋭が、弱り切ったサルビアの重装歩兵隊を勢いよく蹴散らし始めた。
彼等が敵を斬り結ぶたびに、士気が高まってゆくのを肌に感じる。勝利への追い風は、完全にアッサラーム軍に吹いていた。
決着は近い!
数名の精鋭を率いて空いた平地を全力で駆け上がると、赤い旗の閃く高地を目指した。あそこを占領すれば、この戦いは終わったも同然だ。
敵が矢を番える間もなく、一気に斬り込んだ。
彼我 入り乱れての接近戦ともなれば、サルビアの得意とする長技――遠間からの正確な騎射など、最早何の役にも立たない。
「戦意無い者は、どけぇいっ!」
指揮系統もなく狼狽える敵兵を散らすと、丘の上に青い双竜の旗を突き立てた。風に揺れる旗を見上げて、アッサラームの全将兵から一際大きな歓声が起こる。
オオォォ――ッ!!
騎乗して駆けてくるヤシュムを見つけて、こちらも馬を走らせた。互いに薄汚れてはいるが、大した怪我はしていない。
「ヤシュム! 無事か!」
「おおっ! やったな!」
ムーン・シャイターンの姿を探すと、ぬかりなく残兵を散らしていた。そんなもの、部下に任せておけば良いものを……。
「この一勝は大きいぞ……」
ヤシュムがしみじみと呟く。その通りだ。中腹の高地を抑えたのだ。近付くサルビア兵がいれば、次は一気に斜面を駆け下りて襲える。
「――さて、迎えに上がるとするか。我らがムーン・シャイターンを……」
ヤシュムは苦笑を漏らした。
「先頭を駆ける御姿は、神剣闘士 になられた今も、お変わりないな」
「全くだ。時々首を捕まえて引き戻したくなるわ」
「はは、前線は荒れたか」
「いや、作戦通りだ。大した御方だよ」
ヤシュムと並んで傍へ寄ると、淡々と剣を振るっていたムーン・シャイターンの顔が、明るく輝いた。
「二人共、やりましたね」
ムーン・シャイターンの労いの言葉に、最敬礼で応える。
彼と戦場に立つと心労は増すが、他では決して味わえない高揚を得られるのも確かだ。ヤシュムも同じであろう。彼の前に膝を折る者は皆、結局のところ彼に惚れ込んでいるのだ。
それに、いい笑顔を見せるようになられた。
虚ろに剣を振るう姿を知っているだけに、彼の笑顔の貴重さが分かる。花嫁 を得て彼は変わった。
通門拠点にいる皆にも、早くこの吉報を届けてやりたい。特に花嫁には、改めて感謝を捧げたいと思うのであった。
翌朝は早くから陣を並べた。サルビアも負けじと早くから朝飯を澄ませて、陣立てを整えている。
狭路の向こうに
「ヤシュム、そのなりで行くのか?」
ヤシュムは鎧も隊帽も全て外し、背中にサーベルをくくりつけた、生身に近い出で立ちだった。手には杖と革紐が握られている。
「兵にも同じ格好をさせてるぞ。合図を心待ちにしている」
「風に煽られて、落ちるなよ」
ヤシュムはにやりと笑うと「お前こそ、死ぬなよ」と肩を叩いてきた。
間もなく陣は整った。
騎乗したムーン・シャイターンに視線で問われて、いつでも、と敬礼で応える。若き覇王は黒牙をすらりと抜き放つと、誰よりも先に敵陣へ駆けた。
オォッ!!
狭路を恐れず疾駆するムーン・シャイターンに、勇猛果敢な第一歩兵隊が
サルビアの重装歩兵隊も鋼鉄の盾を前に突き出して、分厚い鋼の壁を築き上げた。それを、ものともせずにムーン・シャイターンが乗り越えてゆく――。
「道が開いたぞぉ! 続け――っ!!」
腹から声を出した。
昨日の敗退に苦い思いを味わった前線の新兵は、剣を合わせた当初こそ及び腰だったが、次第に瞳に闘志を宿して声を張り上げた。
攻め込みもしないかわりに、押されもせず前線で踏ん張る陽動作戦の副次効果だ。自分達の力で前線を保てているのだと、自信を取り戻したのだろう。
「あそこだ! シャイターンがいるぞ!」
敵の声に、ムーン・シャイターンの姿を探した。
金色の髪が風に靡く様は、戦場においてもよく目立つ。しかし下馬して斬り込むとは、陽動にしてもやり過ぎだ。思わず舌打ちすると、ムーン・シャイターンの傍に馬を寄せた。
「下がられよ!」
闘志に燃える青い瞳がアーヒムを仰ぎ見る。サルビア兵を前に、シャイターンの支配が大分強まっているようだ。それでも、深入りし過ぎたことを自覚したように前線を下がった。
「総大将が景気よく前へ出過ぎですぞ! 目をつけられる!」
「済まない」
向こうの布陣の中心には、将を守る手練れがいる。敵の最強部分との激突は、序盤では避けたかった。せっかく高まった士気が下がってしまう。
「一度下がります。ここは任せました!」
ムーン・シャイターンから前線を引き継ぐと、押し込んでは引いて、日が暮れるまで不退の姿勢で耐え抜いた。
二日目が終わる――。
アッサラーム、サルビアの両軍共に手ごたえを感じて、それぞれ野営地へと引き上げた。
こちらは重装歩兵隊を相手に渡り合えたという自信、あちらは前線を防衛しきった自信である。敵と味方の双方を欺いた、大掛かりな心理戦に成功したのだ!
当然アーヒムらも手ごたえを感じていた。
野営地に戻りムーン・シャイターンと合流すると、伝令から首尾よくヤシュムが配置についたと知らせを受ける。思わず、互いの肩を叩かずにはいられなかった。
「よくやりました」
「貴方も!」
アーヒムはほくそ笑んだ。サルビアはさぞ甘美な優越感に酔いしれているのだろうが、それも今夜までだ。
+
中央山岳狭路での三日目の戦い。
不慣れな山岳での闘いということもあり、兵達の顔に疲労が見え始めていた。
騎乗しているムーン・シャイターンはどうかと隣を窺うと……こちらは流石に涼しい顔をしている。
「向こうの陣が整ったら、半刻置いて下げましょう」
「御意」
昨日よりも更に早い時間に陣を完成させた。サルビアへの嫌がらせだ。向こうも慌てて布陣を急いでいる。
準備が整い、暫し睨み合った後に、アーヒムは前線を解いて狭路の奥へと退却させた。
剣も交えず退却するアッサラーム軍を見て、サルビアは声も高らかに野次を飛ばしてきた。それを拾い、血気づく若い兵士に「下がれ!」と何度も言う必要があった。
早朝から苦労して陣を引いたのに、あっけない退却に兵達も不満そうにしていたが、野営地に戻り昼まで自由に過ごせと言うと、大半の者は喜んだ。
アーヒムも腹ごしらえしようと天幕へ寄ると、騎乗したムーン・シャイターンが傍へ寄ってきた。
「上出来です、アーヒム」
「ムーン・シャイターン。作戦通りです。しかし、新兵は煩くて敵いませんな……何度か、斬り捨てそうになりましたよ」
「ふ、いい働きでしたよ。ここが超越困難な障害地形で助かりました。向こうは一歩も動けず、あの装備で待機せざるをえないのですから」
ムーン・シャイターンの痛快な台詞に、アーヒムも大きく頷いた。
「今のうちに休んでおきましょう。昼過ぎから大仕事が待っていますぞ」
狙い通り、昼を過ぎると、サルビア兵はすっかり疲弊しきっていた。待てど敵は来ぬと見切りをつけ、もとの野営地へ引き返し始める。
その隙に、密かに各隊に出撃準備を急がせた。
こちらはたっぷり休憩をとり、昼飯も食べている。くだびれたサルビア兵など敵ではない。
「ムーン・シャイターン、私は左から」
「判りました。では右から」
互いに先頭を率いて駆け出すと、敵の背中を左右から叩いた。
「攻めて来たぞぉ――っ!!」
「止めろぉ――っ!!」
慌てふためいたサルビア兵は陣を戻そうとするが、今こそ疾駆するムーン・シャイターンの黒牙が将を捕える。
ただの一閃で将の首を落とし、続けざまに周囲を固める選り抜きの精鋭を斬り伏せる。惚れ惚れするような剣捌きだ。
オオォォ――ッ!!
地面を揺らすような、歓喜の声が湧き起こった。
アーヒムも拳を握りしめて「いよぉし!」と吠えずにはいられなかった。
その機を逃さず、絶壁を駆け上がってきたヤシュムの率いる三百の精鋭が、弱り切ったサルビアの重装歩兵隊を勢いよく蹴散らし始めた。
彼等が敵を斬り結ぶたびに、士気が高まってゆくのを肌に感じる。勝利への追い風は、完全にアッサラーム軍に吹いていた。
決着は近い!
数名の精鋭を率いて空いた平地を全力で駆け上がると、赤い旗の閃く高地を目指した。あそこを占領すれば、この戦いは終わったも同然だ。
敵が矢を番える間もなく、一気に斬り込んだ。
「戦意無い者は、どけぇいっ!」
指揮系統もなく狼狽える敵兵を散らすと、丘の上に青い双竜の旗を突き立てた。風に揺れる旗を見上げて、アッサラームの全将兵から一際大きな歓声が起こる。
オオォォ――ッ!!
騎乗して駆けてくるヤシュムを見つけて、こちらも馬を走らせた。互いに薄汚れてはいるが、大した怪我はしていない。
「ヤシュム! 無事か!」
「おおっ! やったな!」
ムーン・シャイターンの姿を探すと、ぬかりなく残兵を散らしていた。そんなもの、部下に任せておけば良いものを……。
「この一勝は大きいぞ……」
ヤシュムがしみじみと呟く。その通りだ。中腹の高地を抑えたのだ。近付くサルビア兵がいれば、次は一気に斜面を駆け下りて襲える。
「――さて、迎えに上がるとするか。我らがムーン・シャイターンを……」
ヤシュムは苦笑を漏らした。
「先頭を駆ける御姿は、
「全くだ。時々首を捕まえて引き戻したくなるわ」
「はは、前線は荒れたか」
「いや、作戦通りだ。大した御方だよ」
ヤシュムと並んで傍へ寄ると、淡々と剣を振るっていたムーン・シャイターンの顔が、明るく輝いた。
「二人共、やりましたね」
ムーン・シャイターンの労いの言葉に、最敬礼で応える。
彼と戦場に立つと心労は増すが、他では決して味わえない高揚を得られるのも確かだ。ヤシュムも同じであろう。彼の前に膝を折る者は皆、結局のところ彼に惚れ込んでいるのだ。
それに、いい笑顔を見せるようになられた。
虚ろに剣を振るう姿を知っているだけに、彼の笑顔の貴重さが分かる。
通門拠点にいる皆にも、早くこの吉報を届けてやりたい。特に花嫁には、改めて感謝を捧げたいと思うのであった。