アッサラーム夜想曲
第4部:天球儀の指輪 - 39 -
アッサラームを覆う蒼穹の空を、哨戒 の飛竜が翔けてゆく。
陸路によるノーグロッジ作戦開始。アルサーガ宮殿、軍部保有の広大な滑走場に、歩兵隊、騎馬隊それぞれ第一から第七隊までの総勢五千名がずらりと隊伍 を為している。
先鋒隊は二輪装甲車に立つ歩兵隊総指揮のナディアと騎馬隊総指揮のヤシュムである。
歩兵隊第一隊には、ユニヴァースが所属する特殊部隊――別名、懲罰部隊も組み込まれている。
滑走場では進軍前の最終確認が行われていた。上官による最終点呼、装備確認、荷積みの確認。確認を終えた者から順次配置についてゆく。
その様子を、光希は滑走場に併設されている基地から眺めていた。
隣にはアンジェリカもいる。
彼女は婚約者であるナディアの見送りにきている。本人には来るなと言われたらしいが、その後ジュリに取り成してもらい、軍関係者として基地への立ち入りを許された。
「絶対に帰ってくるよ」
「はい……」
アンジェリカは既に号泣している。握りしめた薄絹は、涙を吸い過ぎてもはや機能していない。
ポケットから清潔なハンカチを取り出すと、勇気を出してアンジェリカに渡した。彼女はそれを握りめ、はにかむように笑ってみせる。
「ありがとうございます。お優しい殿下」
光希は照れくさげに頭を掻いた。
「いやぁ……僕と一緒なら、滑走場にも入れますよ。本当にここでいいの?」
「はい。ナディア様のお邪魔になっては、いけませんから」
健気な言葉に、ほろりとさせられる。
進軍前の最終確認は気が抜けないが、番が来るまでの間は、兵達も割と思い思いに過ごしている。家族と話している者、同僚と話している者、隊帽を顔に被せてうたた寝している者、武器の手入れに余念がない者……様々だ。
ユニヴァースは特殊部隊の仲間と楽しそうに話しこんでいた。
屈強な男達と比べると、長身のユニヴァースも華奢な方だが、肩を叩いて笑顔を交わす姿は対等に見える。
「殿下――っ!」
視線に気付いたユニヴァースは、光希を見るなり威勢よく叫んだ。つられて他の兵達までこちらを振り向く。
「行ってらっしゃい!」
注目を浴びて恥ずかしかったけれど、立ち上って大きく手を振った。向こうもぶんぶんと千切れんばかりに手を振ってくれる。
更に此方へ駆け寄ろうとしたところを、慌てふためいた周囲に止められた。背中から重石のように幾人も圧し掛かり、圧死しそうな勢いで地面を叩いている……。
ふと対岸のナディアと目が合い、弾かれたようにアンジェリカを見つめた。
「ナディアだよ」
「は、はい」
「ナディア――ッ!」
名を叫ぶと、控えめに手を振り返してくれた。ほらほらとアンジェリカを急かす。
せっかく視線をもらえたのに、彼女は顔を真っ赤にして今にも倒れそうな有様だ。
「大丈夫?」
「はい! こちらを見ていただけましたわ……」
またしてもアンジェリカは泣き出してしまった。
でも、気持ちは判る……。
前回は光希もジュリを見送る立場だった。目の前で飛竜に騎乗するジュリの雄姿に、胸がいっぱいになったことを覚えている。
出発準備が整うと、現場にジュリ、アースレイヤ、ジャファールが労いにやってきた。全将兵は右手を肩に置いて最敬礼する。
ジュリは総指揮のナディアとヤシュムの腕を叩いた。
「全軍、前進!」
号令と共に、総勢五千を超える、各隊ごとの分列行進が始まった。勇ましい蹄鉄や軍靴 の音が、アッサラームの蒼空に高らかに響き渡る。
彼等の壮途 の無事を祈るばかりである。
+
およそ四十日間に及ぶ陸路偵察任務は、中央での衝突もなく、ほぼ無傷でアッサラームへの帰還を遂げた。
また、この間にベルシアとの交渉が晴れて成立する。
花嫁 の引き渡しではなく、サルビアが約束していた倍の報酬をアッサラームから支払うことで決着がついた。
ベルシアの離反にサルビアは激怒したが、説得は諦め、間もなく総勢百万を越える大軍勢で侵攻を開始した。
その行軍経路は光希の予見した通り、広範囲に渡るものであった。
迎え撃つべく、アッサラームもジュリを先頭に、総勢三十万を越える軍勢を率いて、中央への進軍を開始。
ユニヴァースの所属する特殊部隊も解体され、中央広域戦――後の東西戦争に向けた編隊に組み込まれた。
光希は彼の身を案じたが、武功を狙うユニヴァースは果敢にも中央の前線を希望した。ジュリと同じ配置の、山岳の激戦区である。
光希はジュリと共に、総勢二十三万――ほぼ全軍を従えて、後方支援の拠点となる通門拠点を目指した。
陸路によるノーグロッジ作戦開始。アルサーガ宮殿、軍部保有の広大な滑走場に、歩兵隊、騎馬隊それぞれ第一から第七隊までの総勢五千名がずらりと
先鋒隊は二輪装甲車に立つ歩兵隊総指揮のナディアと騎馬隊総指揮のヤシュムである。
歩兵隊第一隊には、ユニヴァースが所属する特殊部隊――別名、懲罰部隊も組み込まれている。
滑走場では進軍前の最終確認が行われていた。上官による最終点呼、装備確認、荷積みの確認。確認を終えた者から順次配置についてゆく。
その様子を、光希は滑走場に併設されている基地から眺めていた。
隣にはアンジェリカもいる。
彼女は婚約者であるナディアの見送りにきている。本人には来るなと言われたらしいが、その後ジュリに取り成してもらい、軍関係者として基地への立ち入りを許された。
「絶対に帰ってくるよ」
「はい……」
アンジェリカは既に号泣している。握りしめた薄絹は、涙を吸い過ぎてもはや機能していない。
ポケットから清潔なハンカチを取り出すと、勇気を出してアンジェリカに渡した。彼女はそれを握りめ、はにかむように笑ってみせる。
「ありがとうございます。お優しい殿下」
光希は照れくさげに頭を掻いた。
「いやぁ……僕と一緒なら、滑走場にも入れますよ。本当にここでいいの?」
「はい。ナディア様のお邪魔になっては、いけませんから」
健気な言葉に、ほろりとさせられる。
進軍前の最終確認は気が抜けないが、番が来るまでの間は、兵達も割と思い思いに過ごしている。家族と話している者、同僚と話している者、隊帽を顔に被せてうたた寝している者、武器の手入れに余念がない者……様々だ。
ユニヴァースは特殊部隊の仲間と楽しそうに話しこんでいた。
屈強な男達と比べると、長身のユニヴァースも華奢な方だが、肩を叩いて笑顔を交わす姿は対等に見える。
「殿下――っ!」
視線に気付いたユニヴァースは、光希を見るなり威勢よく叫んだ。つられて他の兵達までこちらを振り向く。
「行ってらっしゃい!」
注目を浴びて恥ずかしかったけれど、立ち上って大きく手を振った。向こうもぶんぶんと千切れんばかりに手を振ってくれる。
更に此方へ駆け寄ろうとしたところを、慌てふためいた周囲に止められた。背中から重石のように幾人も圧し掛かり、圧死しそうな勢いで地面を叩いている……。
ふと対岸のナディアと目が合い、弾かれたようにアンジェリカを見つめた。
「ナディアだよ」
「は、はい」
「ナディア――ッ!」
名を叫ぶと、控えめに手を振り返してくれた。ほらほらとアンジェリカを急かす。
せっかく視線をもらえたのに、彼女は顔を真っ赤にして今にも倒れそうな有様だ。
「大丈夫?」
「はい! こちらを見ていただけましたわ……」
またしてもアンジェリカは泣き出してしまった。
でも、気持ちは判る……。
前回は光希もジュリを見送る立場だった。目の前で飛竜に騎乗するジュリの雄姿に、胸がいっぱいになったことを覚えている。
出発準備が整うと、現場にジュリ、アースレイヤ、ジャファールが労いにやってきた。全将兵は右手を肩に置いて最敬礼する。
ジュリは総指揮のナディアとヤシュムの腕を叩いた。
「全軍、前進!」
号令と共に、総勢五千を超える、各隊ごとの分列行進が始まった。勇ましい蹄鉄や
彼等の
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およそ四十日間に及ぶ陸路偵察任務は、中央での衝突もなく、ほぼ無傷でアッサラームへの帰還を遂げた。
また、この間にベルシアとの交渉が晴れて成立する。
ベルシアの離反にサルビアは激怒したが、説得は諦め、間もなく総勢百万を越える大軍勢で侵攻を開始した。
その行軍経路は光希の予見した通り、広範囲に渡るものであった。
迎え撃つべく、アッサラームもジュリを先頭に、総勢三十万を越える軍勢を率いて、中央への進軍を開始。
ユニヴァースの所属する特殊部隊も解体され、中央広域戦――後の東西戦争に向けた編隊に組み込まれた。
光希は彼の身を案じたが、武功を狙うユニヴァースは果敢にも中央の前線を希望した。ジュリと同じ配置の、山岳の激戦区である。
光希はジュリと共に、総勢二十三万――ほぼ全軍を従えて、後方支援の拠点となる通門拠点を目指した。