アッサラーム夜想曲

第4部:天球儀の指輪 - 35 -

 夢の中。
 茫漠ぼうばくたる空と砂漠の間を、光希はジュリの隣を馬に乗って駆けていた。最前線の先鋒隊だ。
 背後にはジャファールやアルスラン達も続いている。眼前には赤い旗を掲げる、埋め尽くさんばかりのサルビア兵。
 ジュリは臆することなく凛然と立ち向かう。
 青い双眸で前を見据えて、誰よりも先頭を走る。いつもと違うのは、その隣を光希も走っていることだ。襲いかかる敵をジュリと共に薙ぎ倒している。
 将たる姿で、一歩もひけをとることなくジュリを敵の刃から守る――

「……光希?」

 優しく肩をゆすられて、ふっと目が覚めた。
 夢かぁ――……。
 胸中を深い落胆と虚しさが襲う。あれは光希の願望が投影された、都合の良い夢だったのだ。思わず項垂れてると、ジュリに抱きしめられた。

「疲れましたか?」

「いや、今いい夢を見てさぁ……ジュリと同じ馬に乗るんじゃなくて、隣を並走するんだ。将として敵を蹴散らしてさ」

「将として?」

「そうだよ。あーあ……あれが、本当なら良かったのに。現実の僕は、何でこうも弱いんだろう」

「光希は弱くなんか、ありません」

 即答が返る。光希は瞼を半ば伏せ、沈黙した。

「腕力に欠けても、光希はいつでも前を向いている。心は立派なアッサラームの獅子です。貴方は私の癒しであり、希望であり、誇りです」

 手を包み込まれて、真摯な眼差しに告げられる。やるせなさを噛みしめながら、口元を緩めた。

「嬉しいよ、ありがとう……それでも僕は、ジャファール達が羨ましい。剣を持ちたかった」

 ふとジュリは表情を曇らせた。

「今日はすみませんでした。光希の誇りを傷つけるつもりは……」

 苦い思いが胸をよぎる。軍議の合間に石廊に連れ出され、か弱いと言われた。否定できないことが辛い。

「いいんだ……僕も悪かったから。もしジュリがベルシアの要求を迷わず受け入れていたら、傷ついたと思う。なのにあんな風に責めてごめん……」

 瞼に、優しい唇が触れる。三回繰り返されたところで顔をあげると、頬と唇にも触れるだけのキスが落ちた。

「交渉の余地はまだあるでしょう。光希は絶対に渡せませんが、他の物であれば応じる用意はあるのですから」

「開戦に間に合うかな……」

「いずれにせよ、間もなくノーグロッジ作戦を開始します。陸路偵察任務が明けたら、編隊を組んで中央に進軍します」

 進軍と聞いて鼓動が跳ねた。いよいよ始まるのだ。青い双眸を見つめて、光希は覚悟を決めて頷いた。

「ジュリ、あのね……」

 ある決意を伝えると、ジュリは思慮深げに黙考し……受け入れた。

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 次に光希が軍議に呼ばれた際、皆の前で宣言した。

「僕も出陣します」

 言い終わらぬうちから、室内はざわめいた。集まっていた将達から、驚きの声と静止の声が上がる。

「最後まで聞きなさい」

 他ならぬジュリの冷静な声で、場は静まる。

「戦うことはできませんが、進軍の士気を高めることならできるかも……できます。砂漠を抜けた先の通門拠点に僕も行きます。進軍の間はずっと、シャイターンの声を僕の口から皆に伝えます。アッサラームは必ず勝利するんだって!」

 震えそうになる唇を噛みしめて皆の顔を見渡すと、賞賛の眼差しを向けられていることに気付いた。

「ご立派になれられましたなぁ」

 知的な壮年の戦士、アーヒムはしみじみと呟いた。賛同する声がいくつも続く。
 誇らしさと喜びが胸にこみあげ、顔に熱が溜まった。
 照れくさげに笑みを噛み殺す光希の背中を、ジュリは優しく、けれど力強く叩いてくれた。

「花嫁こそアッサラームの希望の光。陸路に向かう隊にも、このことを伝えておくように。準備が整い次第、ノーグロッジ作戦を開始します。ナディア、ヤシュム、任せましたよ」

 総大将を見返す毅然とした視線は力強く、自信に満ち溢れている。彼等は礼節に則った、完璧な一礼で応えた。

「西の数は?」

 問いかけに、アースレイヤが応じる。彼は机上の地図に視線を落とすと、ベルヘブ西大陸の南に味方の駒模型を追加した。

「西大陸共同戦線も形になりつつあります。ついにザインが応じました。南のザイン、セラム、北はセラハンまで賛同し、西連合軍総勢三十万を越えたところです」

 周囲から「おぉっ!」と歓喜の声が上がる。
 東の軍勢には遠く及ばないが、勝率を出すための軍勢を満たしたのだ。
 百万と三十万……想像を絶する人の数だ。それだけの人間が、間もなく衝突する。
 光希は戦慄すら感じて、地図上に置かれた青いアッサラームの駒模型を見つめた。