アッサラーム夜想曲

第4部:天球儀の指輪 - 32 -

 戦略会議室には、明晰な貴顕きけん驍将ぎょうしょうが全員集まっていた。
 彼等の中心にジュリは立ち、傍にはアースレイヤやルーンナイトの姿もある。
 重厚な雰囲気の室内は、天上も高く広々とした造りなのに、彼等の存在感のせいか手狭に感じられた。張りつめた緊張感と好戦的な殺気に満ちている。
 中央に置かれた大理石の円卓には、巨大な羊皮紙の地図が敷かれ、模型の駒が無数に配置されている。いかにも難解な戦略が展開されていた。
 光希の訪れにより、軍議は中断され全員の眼がこちらを向く。

「光希、こちらへ」

 呼ばれて、そろりと円卓に近づいた。ジュリの隣に座ると、励ますように肩を抱きしめられる。思慮深い眼差しを見返して頷くと、ジュリは凛々しい笑みを浮かべた。

「先ずは光希から、判る範囲で予見した内容を教えてください」

「はい。初めに……シャイターンの啓示は、日によって内容が変わります。一つの未来に対して、幾通りもの可能性があります。ですから、僕が見た光景は可能性の一つとしてお聞きください」

 全員の視線が光希に集中している。手に汗を掻きながら席を立つと、机に置かれた地図を眺めた。
 聖都アッサラームのバルヘブ西大陸と、敵サルビアのバルヘブ東大陸は、広大な海により隔てられている。東西の巨大な大陸を、細い陸地と細かい島々が橋を渡すように繋いでおり、この中央の細い路を、中央大陸と呼んでいる。

「東連合軍の規模は百万を越えます。ですが、老獪ろうかいなサルビアは、この軍勢を隠して進軍します。中央大陸には半数以下の人数で進み、残りを広大な空に分散して進んできます」

 兵力を示唆する木製の駒を、地図の上に分散して置いた。中央大陸、中央大陸の上下の海域、ノーグロッジ海域、ノーヴァ海域……これだけでも三か所に分散している。更に細かく駒を置いていくと、次第に居並ぶ顔から色が失せた。
 彼等が青褪めるのも無理はない――。
 東連合軍に対抗して、ジュリ達も西大陸の諸侯に呼びかけて連合軍を募っている。それでも、総勢三十万に満たないと聞いていた。

「馬鹿な、聖戦後だというのに、東はどれだけ力を残しているのだ……!」

「ここまで広範囲で攻めて来るというのか!?」

「半数以下といえど、こちらの戦力を遥かに凌ぐ軍勢ではないか。中央とて味方ではない、圧倒的に不利だぞ……」

「忌々しい蛮族が、開戦場を設ければ義理に応えたとでも思っているのだ」

「どう手をつければ、いいのだ……」

 不安は細波さざなみのように伝播でんぱする。将達は顔を見合わせ、中には項垂れる者もいた。
 いくら予見しても、それで彼等の不安を取り除けるとは限らないのだ。
 机に置いた手が震えそうになった時、その手に大きな手を重ねられた。ジュリは席を立つと、将達を見据えて声を張った。

「――狼狽えるな! お前達が戦わねば、アッサラームは滅ぶんだぞ! 何万何十万という規模で人が死にます。判っているのですか」

 水を打ったような静けさが室内を満たす。

「今この場に集う軍事の要だけが、情勢を把握し、アッサラームを救う策を考えることができるのです。全員顔を上げなさい。光希の言葉に耳を傾けて、地図を見て。諦めることは、私が許さない!」

 わだかまった絶望を、一喝する。手の暖かさを感じながら、胸に熱いものがこみあげてきた。

「アッサラームの獅子が、百万を相手に負けるものか。そうでしょう?」

 今やここにいる全員が、食い入るようにジュリを見つめている。集まる視線を臆せず凛と見返し、笑みすら浮かべて力強く言い放つ。

「ハヌゥアビスの宝石は私が砕いてみせる。乾坤一擲けんこんいってき、我等にあり! 黒牙を抜いてみせろ!」

「「「オォッ!!」」」

 まるで戦場のように全員が吠えた。巨大な覇気が室内に渦巻く。
 息を吹き返した将達は、目を皿のようにして再び地図を眺め始めた。光希の予測する行軍経路を見て、悲観するのではなく活路を探して言葉を紡ぐ。

「中央を本勢と見せかけたい東の裏を掻くには、こちらも中央に本勢を当てなくては……」

「広域に渡っていようがいまいが数に開きがある、奇襲を仕掛けるほかあるまい」

「ノーヴァの広大な空はジャファールに任せよう。八十八の変化に富む飛竜編隊なら、奇襲攻撃にも優れている」

 全員が地図を覗きこみ、駒を進めては戻し……実に数日に渡って何通りもの戦略を考えた。
 光希は日が暮れると公宮に戻されたが、将達は軍舎で仮眠を取り、眼を覚ませば軍議を再開した。
 ようやく、東連合軍総勢百万に対する、西連合軍総勢三十万の闘いに勝算が見え始めたが、皆思うところは一つであった。

「いずにせよ、中央は最も血が流れる。過酷な前線になるだろう……」

 一人が言うと、全員が重々しく頷いた。見通しの悪い山岳での戦いに、飛竜や重騎兵隊はおろか、騎馬隊ですら容易に動かすことは難しい。血で血を洗う、修羅の世界。過酷な肉弾戦となる。

「中央は私が出ます」

 ジュリは一瞬の躊躇なく言い切った。全員が首肯で応じる。
 光希は内心で暗いため息をついた。そう言うだろうと、知っていた。判っていた。
 でも、止めたい。そんなに前に行かないで欲しい。総大将なら、もっと後ろで構えていてもいいではないか……!
 顔を伏せて歪んだ表情を隠していると、息を切らして伝令が部屋に入ってきた。

「失礼いたします! 先程、ベルシア和平交渉の経過報告が届きました。お伝えして良いでしょうか?」

 ヤシュムが「申せ」と頷くと、伝令は口を開きかけ――光希を見るや眼を瞠った。周囲から「何をしている」と急かされ、覚悟したように口を開く。

「ハッ! ベルシアからは……盟約の証に、我らが花嫁ロザインの身柄をよこせと……」

 緊張が細波さざなみのように走り、ジュリは音を荒げて机を叩いた――。