アッサラーム夜想曲
第3部:アッサラームの獅子 - 8 -
「では、すぐ戻ります。待っていてください」
「うん」
見つめ合っていると、ジュリアスは徐 に光希を抱き寄せた。照明の影にあっても、青い光彩は煌めいて見える。
静かに唇が重なり、合わせた唇のあわいを舌でつつかれた。薄く開くと、熱い舌を挿し入れられる。
「ん……っ」
背中に回された腕に力がこもり、爪先が浮き上がった。後頭部を手で支えられて、口づけは更に深くなる。
長いキスの果てに腕を解くと、ジュリアスは滑り落ちる光希の手を取り、指先に唇で触れた。
「ジュリ……?」
なかなか手を離してくれない。瞳を覗き込もうとすると、光彩の浮いた青い瞳を半ば伏せた。情熱を堪えるように一度瞑目すると、ゆっくり光希の手を離す。
「それでは、また」
「うん……」
あんまり名残惜しそうに言うから、光希の方も離れ難い気持ちにさせられた。すぐに会えるではないか……どこか恥じ入った気持ちで視線を逸らすのだった。
+
目まぐるしく日々は過ぎゆく。
あれから光希は、クロガネ隊の工房に入り浸り、興味や趣味の範囲を越えて加工技術を熱心に学んだ。
隊員達も光希が足繁く通うことを喜び、時間の許す限り光希に技術を教えた。
工房の皆が忙しい時は、隅を借りて一人黙々と練習を続け、家に帰ってからも熱心に書物を読み漁る。研磨まで工程の進んだ鉄 を部屋に持ち帰り、ナフィーサの物言いたげな視線を無視して延々と磨いたりもした。
これまでの人生で、これほど何かにのめり込んだことはない。
これを機に、隊員達との距離は急速に縮まった。ジュリアスの花嫁 だと、最初は畏まって緊張していた隊員達も、最近は弟子のように接してくれる。
軍部に行く際は、ルスタムの他にローゼンアージュも付き添い、クロガネ隊に顔を出せば、必ずと言っていいほどユニヴァースにも会えた。
彼等と他愛のない無駄話をしたり、一緒に加工作業に没頭したり、休憩室で休んだり……何もかも新鮮で、毎日を心から楽しいと感じる。
公宮で過ごすよりも、もっとずっと気楽で、刺激的で、解放感に溢れている。
好きなことに打ち込める、充足感!
屋敷で団欒している時も、クロガネ隊を含む軍部の話題が増えた。今まで分かち合えなかった、ジュリアスの世界に少しは近付けた気がする。
ある日――
工房で働かせて欲しい、とサイードに打ち明けてみた。光希が使えるようになるまでは、無給でも構わないと言い添えて。
彼は冷静に、そして諭すように説いた。
「嬉しいお言葉をありがとうございます。クロガネ隊の誉れにございます。
ですが、隊員になれば軍規が課せられます。内勤といえど、並以上の体力が必要です。大人の体重ほどある装甲を台に乗せて作業しないといけない日もあれば、鋭い刀身に触る日もある。気をつけなければ、大怪我をする可能性もあります」
「……」
「正規の隊員ではなく、例えば臨時隊員として作業を限定してお任せすることはできます。そういった点を踏まえて、シャイターンがお許しになるかどうか、よくご相談してみてください」
「はい……」
至極全うな助言である。
少しばかり凹んだ光希だが、その日の夜、早速ジュリアスに相談してみた。彼は逡巡すると、緊張気味に返答を待つ光希を見下ろして、口を開いた。
「光希は正規の隊員のように、働きたいのですか?」
「ううん。身体を鍛えたいとも思わないし、戦闘は絶対に無理……できれば、加工班の専任として働きたい。どんな契約形態でも良いから」
「いっそ佐官に就けば、訓練は免責されますが……」
「いや、それは……職権乱用じゃないか」
「難しい言葉を使うようになりましたね。では、クロガネ隊専任、非戦闘隊員として、伍長勤務上等兵に任命しましょうか。光希の専属指導隊員も必要ですね……」
さらりと決めたが、かなり大がかりな人事に聞こえる。光希一人の為に、ジュリアスにも、クロガネ隊にも迷惑を掛けているのだろうか……
そう思うと、念願のクロガネ隊勤務への喜びよりも、罪悪感が先立つ。
難しい顔をしている光希を見下ろして、ジュリアスは肩を抱き寄せた。
「どうかしましたか?」
「……心配になって。僕のせいで、ジュリアスが悪く言われたりしないかな?」
「なぜ?」
「軍の内勤って、採用厳しいよね。それなのに、僕はジュリアスに頼って、楽してクロガネ隊に入ろうとしている。正しい方法で入隊を目指している人や、実力で入隊したクロガネ隊の皆は、僕に腹を立てるんじゃないかな。僕だけじゃなくて、僕を入隊させたジュリアスまで悪く言われないかな……」
俯く光希を励ますように、ジュリアスは抱き寄せた。自信なさそうにしている顔を上向かせて、眦 や頬に唇を落とす。
「心配無用です。文句なんて言わせませんし、光希は隊員から人気があります。誰も反対などしませんよ」
自信たっぷりに言われて、思わず笑みが浮かんだ。せっかくのチャンスなのだから、綺麗事は捨てて掴み取ろう――そう決めた。
+
かくして――
光希は、クロガネ隊加工班専任、非戦闘隊員、伍長勤務上等兵に任命された。
特別仕様の微妙な肩書ではあるが、曲がりなりにも入隊が決まり、ユニヴァースとローゼンアージュは正式に光希の武装親衛隊に任命された。
また、クロガネ隊加工班の熟達者の一人、二十六歳のアルシャッド・ムーランという青年が、光希の専属指導隊員に任命される運びとなった。
「うん」
見つめ合っていると、ジュリアスは
静かに唇が重なり、合わせた唇のあわいを舌でつつかれた。薄く開くと、熱い舌を挿し入れられる。
「ん……っ」
背中に回された腕に力がこもり、爪先が浮き上がった。後頭部を手で支えられて、口づけは更に深くなる。
長いキスの果てに腕を解くと、ジュリアスは滑り落ちる光希の手を取り、指先に唇で触れた。
「ジュリ……?」
なかなか手を離してくれない。瞳を覗き込もうとすると、光彩の浮いた青い瞳を半ば伏せた。情熱を堪えるように一度瞑目すると、ゆっくり光希の手を離す。
「それでは、また」
「うん……」
あんまり名残惜しそうに言うから、光希の方も離れ難い気持ちにさせられた。すぐに会えるではないか……どこか恥じ入った気持ちで視線を逸らすのだった。
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目まぐるしく日々は過ぎゆく。
あれから光希は、クロガネ隊の工房に入り浸り、興味や趣味の範囲を越えて加工技術を熱心に学んだ。
隊員達も光希が足繁く通うことを喜び、時間の許す限り光希に技術を教えた。
工房の皆が忙しい時は、隅を借りて一人黙々と練習を続け、家に帰ってからも熱心に書物を読み漁る。研磨まで工程の進んだ
これまでの人生で、これほど何かにのめり込んだことはない。
これを機に、隊員達との距離は急速に縮まった。ジュリアスの
軍部に行く際は、ルスタムの他にローゼンアージュも付き添い、クロガネ隊に顔を出せば、必ずと言っていいほどユニヴァースにも会えた。
彼等と他愛のない無駄話をしたり、一緒に加工作業に没頭したり、休憩室で休んだり……何もかも新鮮で、毎日を心から楽しいと感じる。
公宮で過ごすよりも、もっとずっと気楽で、刺激的で、解放感に溢れている。
好きなことに打ち込める、充足感!
屋敷で団欒している時も、クロガネ隊を含む軍部の話題が増えた。今まで分かち合えなかった、ジュリアスの世界に少しは近付けた気がする。
ある日――
工房で働かせて欲しい、とサイードに打ち明けてみた。光希が使えるようになるまでは、無給でも構わないと言い添えて。
彼は冷静に、そして諭すように説いた。
「嬉しいお言葉をありがとうございます。クロガネ隊の誉れにございます。
ですが、隊員になれば軍規が課せられます。内勤といえど、並以上の体力が必要です。大人の体重ほどある装甲を台に乗せて作業しないといけない日もあれば、鋭い刀身に触る日もある。気をつけなければ、大怪我をする可能性もあります」
「……」
「正規の隊員ではなく、例えば臨時隊員として作業を限定してお任せすることはできます。そういった点を踏まえて、シャイターンがお許しになるかどうか、よくご相談してみてください」
「はい……」
至極全うな助言である。
少しばかり凹んだ光希だが、その日の夜、早速ジュリアスに相談してみた。彼は逡巡すると、緊張気味に返答を待つ光希を見下ろして、口を開いた。
「光希は正規の隊員のように、働きたいのですか?」
「ううん。身体を鍛えたいとも思わないし、戦闘は絶対に無理……できれば、加工班の専任として働きたい。どんな契約形態でも良いから」
「いっそ佐官に就けば、訓練は免責されますが……」
「いや、それは……職権乱用じゃないか」
「難しい言葉を使うようになりましたね。では、クロガネ隊専任、非戦闘隊員として、伍長勤務上等兵に任命しましょうか。光希の専属指導隊員も必要ですね……」
さらりと決めたが、かなり大がかりな人事に聞こえる。光希一人の為に、ジュリアスにも、クロガネ隊にも迷惑を掛けているのだろうか……
そう思うと、念願のクロガネ隊勤務への喜びよりも、罪悪感が先立つ。
難しい顔をしている光希を見下ろして、ジュリアスは肩を抱き寄せた。
「どうかしましたか?」
「……心配になって。僕のせいで、ジュリアスが悪く言われたりしないかな?」
「なぜ?」
「軍の内勤って、採用厳しいよね。それなのに、僕はジュリアスに頼って、楽してクロガネ隊に入ろうとしている。正しい方法で入隊を目指している人や、実力で入隊したクロガネ隊の皆は、僕に腹を立てるんじゃないかな。僕だけじゃなくて、僕を入隊させたジュリアスまで悪く言われないかな……」
俯く光希を励ますように、ジュリアスは抱き寄せた。自信なさそうにしている顔を上向かせて、
「心配無用です。文句なんて言わせませんし、光希は隊員から人気があります。誰も反対などしませんよ」
自信たっぷりに言われて、思わず笑みが浮かんだ。せっかくのチャンスなのだから、綺麗事は捨てて掴み取ろう――そう決めた。
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かくして――
光希は、クロガネ隊加工班専任、非戦闘隊員、伍長勤務上等兵に任命された。
特別仕様の微妙な肩書ではあるが、曲がりなりにも入隊が決まり、ユニヴァースとローゼンアージュは正式に光希の武装親衛隊に任命された。
また、クロガネ隊加工班の熟達者の一人、二十六歳のアルシャッド・ムーランという青年が、光希の専属指導隊員に任命される運びとなった。