アッサラーム夜想曲
第3部:アッサラームの獅子 - 32 -
光希も飛竜隊の大量受注の手伝いをすることに決まった。
主な仕事は軍靴 の補強である。
靴底の爪先、踵 に鉄 を伸ばした板を仕込み、鉄鋲 で補強する。
光希は補強に使う鉄の研磨作業を手伝っている。単調作業なのだが、研磨粉と真鍮ブラシを握りしめて淡々と磨く作業は、意外と重労働だ。
昼休の鐘が鳴る頃、ローゼンアージュが工房にやってきた。
「殿下、外へいかれますか?」
「うーん……」
どこで食べようかな、と光希は返答に迷った。
軍舎の食堂は、光希がいくと注目を浴びてしまうので、普段は配給だけもらって外で食べている。しかし、食堂にいけばユニヴァースに会えるかもしれない。そう期待したが、ローゼンアージュは首を横に振った。
「シャイターンにきつく釘を刺されていますから、殿下の前には現れないと……あいつ……」
人形めいた少年は、あらぬ方向を見つめて、スッと眼を細めた。つられて光希も視線の先を辿ったが、風に梢 がそよと揺れているだけであった。
「どうかした?」
「いえ……」
なぜか、不機嫌そうにローゼンアージュは答えた。こんな時、ユニヴァースがいれば、面白い冗談を飛ばしてくれたのだろうか……
「やっぱり、そう簡単には会えないのかな」
「……元気そうですよ」
「そっか……アージュは、公開懲罰は見た?」
「はい、見ました」
「どうだった?」
訊ねた後で、はっとなった。彼の微細な報告は、恐ろしい予感がする。慌てて、簡潔に教えて、と付け足した。
「茨鞭 で打たれると、大抵三回で気絶するんですが、彼は最後まで意識を保っていましたよ。よく耐えたのではないでしょうか……」
悄然と肩を落とす光希を見て、お辛いですか? とローゼンアージュは訊ねた。
「うん……僕にも非はあるのに。ユニヴァースだけ辛い目に合わせたと思うと……」
「命があるだけ幸いでしょう。ヘルベルト家と共に処刑されても仕方ないと、僕は思っています」
相変わらずローゼンアージュはユニヴァースに容赦がない。実は仲がいいと思っているのだが、任務が絡めばそんな甘い感情は許されないのだろうか。
「……ヴァレンティーンは処刑されたんだよね」
「はい。七日前に」
「彼に“傾国”と詰 られたよ……意味が判らなくて、後で調べたんだ。酷いと思ったけど……僕が公宮を出たせいで、あの人も、ユニヴァースもこんなことになってしまったのかな」
「殿下がどうなさろうとも、帝位継承までに内乱は起きていました。ユニヴァースにしても、武装親衛隊に任命されたことを、悔いていないはずです。僕がそうだから……」
言葉を切ると、ローゼンアージュは詰襟の留め具を外して、ネームプレートを引っ張り出した。光希の渡したチャームを指でつまみ、唇を押し当てる。
「殿下のことを、皆お慕いしているんです。殿下は、想像上の神話よりもずっと……親しみやすいから」
苦しいフォローだが、思わず笑みを誘われた。光希を励まそうと、口下手な少年が一生懸命言葉をかけてくれる。
この世界にきて、耐えられないと思う出来事は多いけれど、人には恵まれていると本当に思う。
「ありがとう」
「いいえ……昼食にしますか?」
「あ、そうだね」
そういえば食堂へ向かう途中だ。回廊の途中で話し込んでしまった。
食堂には大勢の隊員達が列を成していた。各自プレートを持って、待機列の最後尾に並んでいる。
光希は焼いたバケットと生ハムにチーズ、そして海老のガーリック炒めをプレートに乗せた。とても美味しそうだ。
一方、ローゼンアージュは大きなミックスグリルを二枚皿に乗せている。オレンジ色のパプリカソースは美味しそうだが、量が多過ぎる……
ここの兵士達は皆、本当によく食べる。よく脂肪のない引き締まった体躯を維持できるものだ。
プレートを手に、二人で中庭の木陰に座った。
吹き抜けて行く風と、木漏れ日が心地いい。
座るなり、ローゼンアージュは猛然と食べ始めた。相変わらず、外見に反する食欲である。負けじと光希も食べ始めた。
「うんっ、美味しいー」
感嘆の声を上げる光希を見て、ローゼンアージュも満足そうに頷いている。
「そういえば、アージュはノーグロッジ作戦には参加しないよね?」
「はい。ですが、近いうちに中央の陸路偵察任務が決行されるかもしれません。その時は、歩兵隊と騎馬隊で編隊されると思います」
「中央大陸って、アッサラームにもサルビアにも属していないんだよね。聖戦ではサルビアと手を組んだと聞いたけれど、アッサラームが山岳民族と交わしている不可侵条約はまだ有効なんじゃないの?」
「はい。ですので、飛行禁止区域の上空を避けて、海面すれすれを飛ぶのです。山岳の海は岩礁に覆われた危険海域ですから」
となると、見つかれば、ただでは済まされないだろう……心配になってきた。
「ノーグロッジ作戦、上手くいくと思う?」
「はい。編隊は飛行技術に長けた将兵ばかりです。ジャファール大将やアルスラン少将、ナディア大将もいらっしゃいますよ」
「そうなんだ……」
彼等のことはスクワド砂漠にいた頃から知っている。
それぞれあの聖戦の論功 で一つ以上昇級しており、ジャファールとナディアに至っては、ジュリアスと肩を並べる大将にまで昇進していた。
ジュリアスは一人じゃない。
支えてくれる、強く信頼できる人たちが傍にいるのなら……きっと、大丈夫。
いい聞かせるように、光希は心の中で呟いた。
主な仕事は
靴底の爪先、
光希は補強に使う鉄の研磨作業を手伝っている。単調作業なのだが、研磨粉と真鍮ブラシを握りしめて淡々と磨く作業は、意外と重労働だ。
昼休の鐘が鳴る頃、ローゼンアージュが工房にやってきた。
「殿下、外へいかれますか?」
「うーん……」
どこで食べようかな、と光希は返答に迷った。
軍舎の食堂は、光希がいくと注目を浴びてしまうので、普段は配給だけもらって外で食べている。しかし、食堂にいけばユニヴァースに会えるかもしれない。そう期待したが、ローゼンアージュは首を横に振った。
「シャイターンにきつく釘を刺されていますから、殿下の前には現れないと……あいつ……」
人形めいた少年は、あらぬ方向を見つめて、スッと眼を細めた。つられて光希も視線の先を辿ったが、風に
「どうかした?」
「いえ……」
なぜか、不機嫌そうにローゼンアージュは答えた。こんな時、ユニヴァースがいれば、面白い冗談を飛ばしてくれたのだろうか……
「やっぱり、そう簡単には会えないのかな」
「……元気そうですよ」
「そっか……アージュは、公開懲罰は見た?」
「はい、見ました」
「どうだった?」
訊ねた後で、はっとなった。彼の微細な報告は、恐ろしい予感がする。慌てて、簡潔に教えて、と付け足した。
「
悄然と肩を落とす光希を見て、お辛いですか? とローゼンアージュは訊ねた。
「うん……僕にも非はあるのに。ユニヴァースだけ辛い目に合わせたと思うと……」
「命があるだけ幸いでしょう。ヘルベルト家と共に処刑されても仕方ないと、僕は思っています」
相変わらずローゼンアージュはユニヴァースに容赦がない。実は仲がいいと思っているのだが、任務が絡めばそんな甘い感情は許されないのだろうか。
「……ヴァレンティーンは処刑されたんだよね」
「はい。七日前に」
「彼に“傾国”と
「殿下がどうなさろうとも、帝位継承までに内乱は起きていました。ユニヴァースにしても、武装親衛隊に任命されたことを、悔いていないはずです。僕がそうだから……」
言葉を切ると、ローゼンアージュは詰襟の留め具を外して、ネームプレートを引っ張り出した。光希の渡したチャームを指でつまみ、唇を押し当てる。
「殿下のことを、皆お慕いしているんです。殿下は、想像上の神話よりもずっと……親しみやすいから」
苦しいフォローだが、思わず笑みを誘われた。光希を励まそうと、口下手な少年が一生懸命言葉をかけてくれる。
この世界にきて、耐えられないと思う出来事は多いけれど、人には恵まれていると本当に思う。
「ありがとう」
「いいえ……昼食にしますか?」
「あ、そうだね」
そういえば食堂へ向かう途中だ。回廊の途中で話し込んでしまった。
食堂には大勢の隊員達が列を成していた。各自プレートを持って、待機列の最後尾に並んでいる。
光希は焼いたバケットと生ハムにチーズ、そして海老のガーリック炒めをプレートに乗せた。とても美味しそうだ。
一方、ローゼンアージュは大きなミックスグリルを二枚皿に乗せている。オレンジ色のパプリカソースは美味しそうだが、量が多過ぎる……
ここの兵士達は皆、本当によく食べる。よく脂肪のない引き締まった体躯を維持できるものだ。
プレートを手に、二人で中庭の木陰に座った。
吹き抜けて行く風と、木漏れ日が心地いい。
座るなり、ローゼンアージュは猛然と食べ始めた。相変わらず、外見に反する食欲である。負けじと光希も食べ始めた。
「うんっ、美味しいー」
感嘆の声を上げる光希を見て、ローゼンアージュも満足そうに頷いている。
「そういえば、アージュはノーグロッジ作戦には参加しないよね?」
「はい。ですが、近いうちに中央の陸路偵察任務が決行されるかもしれません。その時は、歩兵隊と騎馬隊で編隊されると思います」
「中央大陸って、アッサラームにもサルビアにも属していないんだよね。聖戦ではサルビアと手を組んだと聞いたけれど、アッサラームが山岳民族と交わしている不可侵条約はまだ有効なんじゃないの?」
「はい。ですので、飛行禁止区域の上空を避けて、海面すれすれを飛ぶのです。山岳の海は岩礁に覆われた危険海域ですから」
となると、見つかれば、ただでは済まされないだろう……心配になってきた。
「ノーグロッジ作戦、上手くいくと思う?」
「はい。編隊は飛行技術に長けた将兵ばかりです。ジャファール大将やアルスラン少将、ナディア大将もいらっしゃいますよ」
「そうなんだ……」
彼等のことはスクワド砂漠にいた頃から知っている。
それぞれあの聖戦の
ジュリアスは一人じゃない。
支えてくれる、強く信頼できる人たちが傍にいるのなら……きっと、大丈夫。
いい聞かせるように、光希は心の中で呟いた。