アッサラーム夜想曲
第2部:シャイターンの花嫁 - 19 -
「あの……ジュリの女って、どんな女でした?」
指南書の挿絵を見つめたまま、光希はさり気なく訊ねてみた。ルスタムは少し黙考してから、口を開いた。
「過去の姫君達との関係が、気になりますか?」
「まぁ……はい」
「私から申し上げるよりも、シャイターンの口から直接ご説明された方が宜しいでしょう」
「ジュリと話すと口論になるから……教えてください」
弱気になりつつ請うと、ルスタムは困ったような、仕方なさそうな顔をした。
「……殆どは一夜限りのお相手でしたが、中には数回お渡りになった姫君もいらっしゃいました。年若いシャイターンと比べれば皆様年上で、閨にも精通されている方ばかりでしたよ」
「ふぅん。その人達はまだ公宮に?」
返事をしないルスタムを訝しみ、瞳を向けると、澄んだ蒼氷色 の瞳には迷いが浮かんでいた。
「いるんだ……」
「いいえ! そうでは……ですが私から申し上げて良いことなのか」
「教えてください」
「……かしこまりました。いずれにせよ、公宮へいけばお耳に入ること。シャイターンは殿下の杞憂を晴らしたい、と正式に公宮解散を命じられたのです。流石に一両日で解散とはなりませんが、本日からご本人の意志で退去が認められております」
「え……」
「どなたも今後のお渡りがないことは明らかですから。早い方は、今朝にはもう出ていかれたそうですよ」
「そうなんだ。でも……出ていきたくない姫も、いるのでは?」
脳裏に強い眼差しで睨む、シェリーティア姫の姿が浮かんだ。
「そうだとしても、公宮解散が決まった以上、いずれは退去されなくてはいけません。“宝石持ち”が花嫁 を迎えた場合、それ以前の公宮は閉鎖するのが慣例ですから、時期が少々早まったに過ぎません」
「ということは……シェリーティア姫も公宮を出ていくのですか?」
「はい、近いうちに」
迷いのない返答に、安堵が芽生えた。同時に、胸に苦い思いが拡がる。
本音をいえば、彼女達の都合はどうでもよく、ジュリアスを狙う女は一人残らずいなくなればいいと思っている。己の醜い心を突きつけられているようだ。
「はぁー……」
「殿下?」
「僕、きっと嫌われていますよね……公宮へいって、平気でしょうか?」
「……周囲の眼が気になるのであれば、無理に足を運ばれなくとも良いのでは?」
机の上に突っ伏していた光希は、身体を起こしてルスタムを仰いだ。
「いや、いきたいです。ジュリの相手を見ておきたい」
「かしこまりました。それでは、僭越ながら何点かご忠告させていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
「先ず、シャイターンの公宮解散について、既に知れ渡っているとお考えください。ただし、公式表明はされておりませんから、訊かれても“判りかねます”とだけお応えください」
「はい」
「社交の場では、その場にいる上位者に挨拶するしきたりがございますが、殿下は公宮における最上位にあらせられますので、殿下からお声をかける必要はございません。逆に周囲からの挨拶が煩わしい時は、お手持ちの扇子を広げてお顔を隠してください」
「扇子……って、これか」
ナフィーサが腰帯に差してくれた、飾り紐のついた扇子を広げてみた。
白金色の綺麗な扇子だ。てっきり装飾品だと思っていたのだが、そのような用途があるとは知らなかった。
「はい。近寄るな、という意思表示になります。また、どなたかにお声をかけたい場合は、直接足を運ばずに、使いの者を介してください」
「判りました」
「殿下に無礼を働くような不届き者は居ないと思いますが、いけば興味の的にされますし、見えぬ所で噂話もされることでしょう。そういった公宮の世界が煩わしければ、しばらくお邸から出られずとも良いと思うのですが……」
「ありがとう、ルスタム。僕は平気です」
自然と笑みが浮かんだ。彼の親切が身に沁みる。
でも、ここにいても、悪い方に考えてしまうだけだ。外へ出た方が、いくらか気分もいいだろう。
「ご立派ですよ。公宮のしきたり等は少しずつ学んでいかれると良いでしょう。足を運ばれる前に、あと一つだけ、位についてご説明させていただきます」
「はい」
「公宮での第一位は皇后陛下にございますが、残念ながらお隠れになって久しく、長らくアースレイヤ皇太子の四貴妃のお一人、西妃 様が第一位でございました」
美貌の宮女、リビライラを思い浮かべながら頷いた。子供もいるのに、自分の他にも妃がいることを、彼女はどう感じているのだろう?
「シャイターンの花嫁でいらっしゃる殿下は皇后陛下の次の実権をお持ちですので、現公宮では第一位となります」
「はい」
実感は微塵もないが、立場上、光希はリビライラを上回るということだ。
「次に皇帝陛下の四貴妃、皇太子の四貴妃と続くのですが、皇帝陛下は四貴妃以下をお持ちではございません。ですので、殿下の次、第二位はアースレイヤ皇太子の四貴妃となります。四貴妃は公宮の本殿とは別に室を賜ることを許され、それぞれ東西南北の別棟で暮らしておいでです」
そういわれると、西妃以外の四貴妃を見ていない。そもそも皇帝の四貴妃はいないのか。
「四貴妃にも順位がありまして、上から西妃、北妃 、東妃 、南妃 の順に高位とされています。四貴妃の次に夫人、姫と呼ばれ、シャイターンの公宮では姫の位しかおりません……」
次第に混乱が深まり、光希は眉根を寄せて呻いた。
「うっ……難しい。四貴妃は、リビライラ様と、あと三人いるのですね」
「はい……四貴妃がお揃いの時もございましたが、現在は西妃様の他には、東妃様だけとなります」
「へぇ?」
事情が呑み込めず、光希は不思議そうに首を傾げたが、ルスタムはそれ以上は口にしなかった。
指南書の挿絵を見つめたまま、光希はさり気なく訊ねてみた。ルスタムは少し黙考してから、口を開いた。
「過去の姫君達との関係が、気になりますか?」
「まぁ……はい」
「私から申し上げるよりも、シャイターンの口から直接ご説明された方が宜しいでしょう」
「ジュリと話すと口論になるから……教えてください」
弱気になりつつ請うと、ルスタムは困ったような、仕方なさそうな顔をした。
「……殆どは一夜限りのお相手でしたが、中には数回お渡りになった姫君もいらっしゃいました。年若いシャイターンと比べれば皆様年上で、閨にも精通されている方ばかりでしたよ」
「ふぅん。その人達はまだ公宮に?」
返事をしないルスタムを訝しみ、瞳を向けると、澄んだ
「いるんだ……」
「いいえ! そうでは……ですが私から申し上げて良いことなのか」
「教えてください」
「……かしこまりました。いずれにせよ、公宮へいけばお耳に入ること。シャイターンは殿下の杞憂を晴らしたい、と正式に公宮解散を命じられたのです。流石に一両日で解散とはなりませんが、本日からご本人の意志で退去が認められております」
「え……」
「どなたも今後のお渡りがないことは明らかですから。早い方は、今朝にはもう出ていかれたそうですよ」
「そうなんだ。でも……出ていきたくない姫も、いるのでは?」
脳裏に強い眼差しで睨む、シェリーティア姫の姿が浮かんだ。
「そうだとしても、公宮解散が決まった以上、いずれは退去されなくてはいけません。“宝石持ち”が
「ということは……シェリーティア姫も公宮を出ていくのですか?」
「はい、近いうちに」
迷いのない返答に、安堵が芽生えた。同時に、胸に苦い思いが拡がる。
本音をいえば、彼女達の都合はどうでもよく、ジュリアスを狙う女は一人残らずいなくなればいいと思っている。己の醜い心を突きつけられているようだ。
「はぁー……」
「殿下?」
「僕、きっと嫌われていますよね……公宮へいって、平気でしょうか?」
「……周囲の眼が気になるのであれば、無理に足を運ばれなくとも良いのでは?」
机の上に突っ伏していた光希は、身体を起こしてルスタムを仰いだ。
「いや、いきたいです。ジュリの相手を見ておきたい」
「かしこまりました。それでは、僭越ながら何点かご忠告させていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
「先ず、シャイターンの公宮解散について、既に知れ渡っているとお考えください。ただし、公式表明はされておりませんから、訊かれても“判りかねます”とだけお応えください」
「はい」
「社交の場では、その場にいる上位者に挨拶するしきたりがございますが、殿下は公宮における最上位にあらせられますので、殿下からお声をかける必要はございません。逆に周囲からの挨拶が煩わしい時は、お手持ちの扇子を広げてお顔を隠してください」
「扇子……って、これか」
ナフィーサが腰帯に差してくれた、飾り紐のついた扇子を広げてみた。
白金色の綺麗な扇子だ。てっきり装飾品だと思っていたのだが、そのような用途があるとは知らなかった。
「はい。近寄るな、という意思表示になります。また、どなたかにお声をかけたい場合は、直接足を運ばずに、使いの者を介してください」
「判りました」
「殿下に無礼を働くような不届き者は居ないと思いますが、いけば興味の的にされますし、見えぬ所で噂話もされることでしょう。そういった公宮の世界が煩わしければ、しばらくお邸から出られずとも良いと思うのですが……」
「ありがとう、ルスタム。僕は平気です」
自然と笑みが浮かんだ。彼の親切が身に沁みる。
でも、ここにいても、悪い方に考えてしまうだけだ。外へ出た方が、いくらか気分もいいだろう。
「ご立派ですよ。公宮のしきたり等は少しずつ学んでいかれると良いでしょう。足を運ばれる前に、あと一つだけ、位についてご説明させていただきます」
「はい」
「公宮での第一位は皇后陛下にございますが、残念ながらお隠れになって久しく、長らくアースレイヤ皇太子の四貴妃のお一人、
美貌の宮女、リビライラを思い浮かべながら頷いた。子供もいるのに、自分の他にも妃がいることを、彼女はどう感じているのだろう?
「シャイターンの花嫁でいらっしゃる殿下は皇后陛下の次の実権をお持ちですので、現公宮では第一位となります」
「はい」
実感は微塵もないが、立場上、光希はリビライラを上回るということだ。
「次に皇帝陛下の四貴妃、皇太子の四貴妃と続くのですが、皇帝陛下は四貴妃以下をお持ちではございません。ですので、殿下の次、第二位はアースレイヤ皇太子の四貴妃となります。四貴妃は公宮の本殿とは別に室を賜ることを許され、それぞれ東西南北の別棟で暮らしておいでです」
そういわれると、西妃以外の四貴妃を見ていない。そもそも皇帝の四貴妃はいないのか。
「四貴妃にも順位がありまして、上から西妃、
次第に混乱が深まり、光希は眉根を寄せて呻いた。
「うっ……難しい。四貴妃は、リビライラ様と、あと三人いるのですね」
「はい……四貴妃がお揃いの時もございましたが、現在は西妃様の他には、東妃様だけとなります」
「へぇ?」
事情が呑み込めず、光希は不思議そうに首を傾げたが、ルスタムはそれ以上は口にしなかった。