アッサラーム夜想曲

第1部:あなたは私の運命 - 6 -

 無言で見つめ合っていると、空の彼方、視界の端に鳥にしては大きな影が映った。
 鳥の群れ――いや、鳥ではない。我が目を疑うが、いわゆるドラゴンに似ている気がする。
 空を仰いで茫然と立ち尽くしていると、編隊を組む飛竜達は急降下を始めた。オアシスからそう遠くない場所に舞い降りる。

「ジュリ」

 砂漠にいこうとするジュリアスの背中に声をかけると、ついてくるな、というように掌をこちらに向けられた。

「コーキ、********」

 馬を残しているから、戻ってくる気はあるのだろう。判った、というように頷くと、ジュリアスは優しくほほえんでから背中を向けた。
 馬を残しているから、戻ってくる気はあるのだろう。
 いかにも強そうな竜だ。一人で、どうするつもりだろう……心配になったが、ジュリアスは躊躇いのない足取りで近づいていく。
 なんと、飛竜の背には人が乗っていた。ひらりと砂の上に舞い降りるや、ジュリアスの前に跪いた。
 あんなに立派な飛竜に乗るような人達が、光希と同い年くらいのジュリアスに傅くだなんて。彼は一体、何者なのだろう?
 堂々とした振る舞いから察するに、指導者として敬われる立場にあるのかもしれない。話し声は聞こえないが、ジュリアスの身振りは彼等に何か指示を出しているように見える。
 会話はすぐに終わった。
 彼等は立ち上がり一礼すると、ひらりと飛竜に跨り、一頭だけ地上に残して空へと飛翔した。
 ジュリアスは一人でオアシスに戻ってくる。本当は身分のある人なのかもしれない、そう思うと、近寄ることを躊躇ってしまう。

「ジュリ……」

「コーキ、***」

 所在なげに立ち尽くす光希の傍に寄り、ジュリアスはあちこち撥ねた黒髪を愛でるように撫でた。その手は優しく、どこか子供に接する手つきを思わせる。
 二十センチ以上の身長差もあるし、年下だと思われているのかもしれない。確かに彼に比べたら、光希は無力な子供だ。
 沈黙していると、背中を押された。黒い一角獣に乗せようとしていると知り、光希は慌てて逃げた。

「ジュリ、俺ここに残る」

「*********」

「心配してくれてありがとう。でも、ここを離れても家に帰れる気がしないから……もっと泉を調べてみたいし。助けてくれて本当にありがとう。ご飯も美味しかった」

 言葉が通じないことがもどかしい。
 心から感謝の気持ちを伝えたいのに、ありがとう、ってどういえば伝わるのだろう?
 思い切って、腕を回してジュリアスに抱き着いた。感謝の気持ちをこめて背中を叩くと、彼も抱き返してくれた。そのまま、胴を掴んで持ち上げようとするので、慌てて身体を捻って逃げた。

「******」

「いかないよ。いいんだ、俺を置いていって」

 ジュリアスは、思慮深い眼差しで光希の瞳を覗きこんだ。不安そうに映らないように、光希も瞳に力を入れて見つめ返す。
 判ってくれたのだろうか。
 光希を離すと、ジュリアスは一角獣に括りつけた荷を解いて、食料や水を広げ始めた。鉄串や調理用の刃物を手にしながら、身振りで使い方を教えようとしている。

「もしかして、くれるの?」

「******」

「いいよ、ジュリが大変だろ」

「コーキ、******」

 手を振って遠慮する光希の腕を掴むと、ジュリアスはいい聞かせるように、水筒や食べ物を握らせた。

「******、************」

「ジュリ、いいって……」

 持たされた荷をジュリアスの胸に押しつけるが、受け取ってくれない。
 それどころか、顎に手を添えられて上向かされた。
 至近距離で視線が交わりどきどきする。男だと知っていても、見惚れるほど綺麗だから……
 緊張して固まっていると、ちゅっと額にキスされた!

「――ッ!?」

 光希の動揺といったらない。狼狽えまくって、額を手で押さえながら顔を伏せた。

「コーキ……******、************、******************。************、************」

 ジュリアスは今までで一番長く喋った。内容は不明だが、大切なことをいわれた気がする。
 いよいよお別れかと思うと、やはり心細くなる。不安そうに見えぬよう、光希は顔に笑みを貼りつけた。

「何から何まで、本当にありがとう。ジュリ……気をつけて」

 少し迷った末に、気をつけて、と口にした。さようならはいいたくない。けれど、またね、ともいえない。もう一度会える保障などないのだ。
 ジュリアスは、光希の頭を撫でたあと、賢い一角獣の首を撫でた。そのまま、背中を向けてオアシスを出ていこうとする。
 一角獣まで置いていくのだろうか?
 というか、殆どの荷物を置いたままだ。
 せめて水筒だけでも渡そうと、慌てて背中を追いかけると、青い眼差しはすぐにこちらを向いた。光希の意図を察したように、微笑と共に押しつけた水筒を返された。

「いいの? 飲み水なくて、砂漠、平気なの?」

「***コーキ*****」

 青い瞳で光希を見つめて、砂漠を指さす。くる気はあるか? そう問いかけられた気がして、首を左右に振って応えた。