アッサラーム夜想曲

第1部:あなたは私の運命 - 38 -

 飛竜は瞬く間に、茫漠ぼうばくたる蒼空を目指して飛翔した。
 風圧で砂塵が舞い上がる。光希は目と鼻を守るように、きつく瞼を閉じて覆面を手で押さえた。
 ザァッ――!
 力強い羽ばたきで砂塵が舞い上がる。光希は目と鼻を守るように、きつく瞼を閉じて覆面を手で押さえた。
 飛行が安定すると、目を開けて恐る恐る地上を見下ろした。随分高く昇ったようだ。地上の天幕が豆粒のように小さく見える。
 こうして見下ろしてみると、天幕の数がいかに減ったかよく判る。ここへきた当初の半分もないかもしれない。アッサラームに向けて既に移動を開始しているのだろう。
 背後を振り向くと、十騎ほどの飛竜が並走していた。すぐ後ろの二騎はジャファールとアルスランだ。
 覚悟を決めてスクワド砂漠を見下ろすと……想像と違って綺麗なものだった。

(死体がない……)

 無残な戦禍の爪跡が残っていると思っていた光希は、拍子抜けしつつ、安堵に胸を撫でおろした。
 陽に照らされた灼熱の熱砂は、幻想的な青い燐光で覆われている。
 人影はどこにも見当たらない。
 悠々と空をゆく、飛竜や鳥達の影だけが砂の上に落ちている。
 ここが戦場だなんて、とても信じられない。

「ジュリ、砂漠は綺麗ですね」

 ぽつりと呟くと、ジュリアスは様子をうかがうように光希の顔を覗きこんだ。見つめ返すと、警戒をほどくように青い眼差しを和ませる。

「砂漠の青い光は、何?」

 訊ねると、青い双眸が僅かに翳った。
「あれは**の*が青く光って見えるのです。砂漠に******を残す*******……」

 釈然としない光希の様子を見て、ジュリアスは光希の左胸を押さえると、同じ言葉を繰り返した。

「**の炎。*ともいいます」

「炎……? 心臓の……あ、命の炎? 魂?」

「そう、命。**の魂が青く光って見えるのです。彼等の魂が*******、ああして砂漠に********」

 まさか、砂漠が青く光ってるのは、死んだ人間の魂だといいたいのだろうか……
 陽は燦と降り注いでいるのに、恐怖で背筋が凍りついてゆく。
 見渡す限り、地平線の彼方まで青い燐光で覆われている。
 あれが全て人の魂だというのなら、ここで途方もない数の人間が死んだということになる。
 絶句していると、後ろから片腕で抱きしめられた。
 何をいえばいいか判らず、ただその腕に縋りつくように、しがみついた。

 飛翔から数刻。前方にオアシスが見えてきた。
 陽は傾き始め、砂漠は西日に照らされている。あともう少しすれば、砂の世界は、真紅に染め上げられることだろう。
 こんなに美しい世界なのに……どうして戦争をしているのだろう? 事情は判らないけれど、ここで出会い、親切にしてくれた人達が傷つくのは見たくない。戦場に立つジュリアスを想像するだけで、身体が震えそうになる。 沈んでいると、飛竜は高度を下げ始めた。
 オアシスに到着すると、ジュリアスは護衛達に少し離れたところで待つように命じた。光希だけを伴い、懐かしいオアシスへと向かう。
 野営地とは明らかに空気が違う。瑞々しい緑の香りに、緊張を緩めて息を吐いた。

「ただいま……」

 ぽつりと呟くと、ジュリアスは反射的に振り向いた。小さな声だったのに、聴こえたのだろうか。

「……オアシス**********。***、私はコーキを連れてアッサラームへ帰還します。ここには何も残さない。明日の早朝には天幕も畳みます」

 声は、どこか硬質な響きを帯びていた。
 見下ろす眼差しは、怖いくらいに真剣で、逃げることを許さないと訴えているようだ。

『……大丈夫、そのつもりでここへきたんだ』

 臆せず見つめ返すと、ジュリアスは真意を探るように光希の瞳を覗きこんだ。お互いの覚悟を測るような、強い視線が交錯する。

「僕はジュリが好きです。傍に……共にアッサラームにいきたいです」

「コーキ……私もコーキが好きです。******。*********、貴方は私の*****」

 何があっても、貴方を選ぶ。偽りのない気持ちを伝え合うと、同時に笑みが零れた。
 夕陽が一段と濃くなる。
 ジュリアスの輪郭は、黄金色に縁取られて輝いた。
 豪奢な金髪も、光希を映す青い瞳も……茜色を反射して息を呑むほど美しい。
 刹那、あらゆる感情が湧きあがり、どうしようもなく胸が苦しくなった。
 彼を見ているだけで、泉のように、とめどなく想いが溢れてくる。彼を形成する全てが眩しくて、尊くて、心から愛おしい。
 天使のようなほほえみ。
 耳に残る優しい声。
 蕩けそうな甘い視線。
 強靭な体躯。
 指導者として振る舞う姿。
 サーベルを佩いた、気高く凛々しい姿。
 傍で眠る、あどけない寝顔。
 時折見せる、子供っぽい甘えた仕草。
 飛竜を翔る姿……
 胸を焦がすような、好きという気持ち。
 女のように扱われて傷つくこともあるけれど、それ以上に力強く抱きしめられて、愛されることに幸せを感じている。
 今はまだ、判らないことが多くて、助けられてばかりいるけれど……
 力になりたい。
 支えていきたい。
 堂々と隣にいたい。
 好きな相手を、守りたい。
 全部ひっくるめて、ジュリアスが好きなのだ。性別なんて関係ない。

「僕はジュリに会うために……ここにいます」

「大切にします、私のコーキ。貴方は私の運命********……」

「運命?」

 唐突に、出会った頃から耳にしていた言葉を、ほぼ正確に理解した。
 その通りだ。
 惑星すら飛び越えて出会えた奇跡は、もう、運命としかいいようがないだろう。

“あなたは私の運命そのものだ”