アッサラーム夜想曲

第1部:あなたは私の運命 - 34 -

 午後の長い時間をサリヴァンと過ごしたあと、光希はジャファールと共に天幕に戻り、サリヴァンに借りた世界地図を繁々と眺めた。
 訳も判らずここへきてから、ようやくおぼろながらこの世界のことが判ってきた。
 この世界は大きな二つの大陸に分かれており、どちらもバルヘブ大陸と呼ばれている。
 二つの大陸を結ぶ、細く横に連なる島々を渡って、バルヘブ東大陸から敵――サルビア・ハヌゥアビスが攻めてきた。
 アッサラーム・ヘキサ・シャイターンと呼ばれるジュリアス達は、彼等をこのスクワド砂漠で迎え撃ったのだ。
 今思えば、砂漠で出会った黒装束の男は、サルビア・ハヌゥアビスの兵士だったに違いない。だからジュリアスは矢を射ったのだ……
 光希は地図上のスクワド砂漠を見つめた。
 ここで数万人の人間が争い、ジュリアス達が勝利した。サルビア・ハヌゥアビスは敗走して陸つなぎの中腹まで下がったようだが、完全に撤退したわけではなさそうだった。
 サリヴァンは赤い駒をあやつって中腹で止めた後、くるりとスクワド砂漠に向き合うように駒の向きを変えていた。また攻めてくる可能性がある、そういいたかったのではないだろうか。
 彼は、ジュリアス達がアッサラームから遠征してきたといっていた。
 そこには玉ねぎの形をした金色屋根のある宮殿があるのだろう。そして、人々が暮らす街もあるに違いない。皆、帰りを待つ家族が、帰るべき家があるのだろうか……
 哀しみが胸をよぎり、光希は瞳を閉じた。自分にも、帰れる日がくるのだろうか?
 地球へ。日本へ……
 ジュリアスと過ごしたオアシスは、恐らくスクワド砂漠から、そう遠くないはずだ。地図で見ると、バルヘブ西大陸の最東端、スクワド砂漠のやや南らへんだろうか。
 けれど、ジュリアス達はいずれアッサラームへ帰還するのだろう……
 地図上で見ても、スクワド砂漠とアッサラームはかなり距離が離れている。
 ここを離れる時、光希はジュリアスについていく可能性が高い。となると、次にオアシスへ戻れるのはいつになるか判らない。
 オアシスで、試してみたいことがある。
 昼間の泉には散々入ったけれど、夜の泉には二度入っただけだ。初めてここへきたあの日、あの夜だけ。
 泉に地球が浮かぶ夜に限り、“あちら”と“こちら”の扉が開く――そんな奇跡が、起こるかもしれない。
 ジュリアスの傍に在ることを望んでいても、心の欠片を今でもあの泉に残している。
 未練を断ち切りたい。
 故郷を捨てる、覚悟を決めたい。
 この世界で、ジュリアスと歩いてゆくのだと心を決めたい。
 だから、あと一度だけ。あの泉に飛び込みたい――

 夜も更けた頃、ようやくジュリアスは天幕に戻ってきた。
 絨緞に寝そべっていた光希は、身体を起こすとジュリアスに笑いかけた。

「お帰りなさい」

「ただいま、コーキ」

「ジュリアス、ありがとう。サリヴァン、地図を僕に……」

「ああ、彼は*********? 地図の*********?」

 ジュリアスは上着を脱いで椅子に掛けると、光希の傍にやってきて腰を下ろした。羊皮紙の地図を覗きこみ、スクワド砂漠を指さす。

「スクワド砂漠はここです。私**が**場所ですよ」

「はい……オアシスはここ?」

「そうです」

「ジュリアス……僕、オアシスにいきたいです」

 光希は、緊張した面差しでジュリアスを仰いだ。

「いいですよ。*********。コーキが******、連れていってあげる」

 意外にも、彼は穏やかにほほえんだ。

「いい? 本当に?」

 そんなにあっさり許可が下りるとは思っていなかったので、逆に不安になった。もう一度訊ねると、やはり綺麗な笑顔で肯定された。
 彼は、光希が日本に帰る可能性を考えていないのだろうか? それとも、帰っても構わないと思っている?
 自分だって葛藤している癖に、にこやかなジュリアスを薄情だと責めたくなった。己の身勝手さに辟易して、光希は顔を俯けた。

「*****……、私はコーキを*******」

 不意にささやかれて顔をあげると、ジュリアスは笑みを消して、真剣な表情で光希を見つめていた。
 見つめ合っていると、青い瞳の奥に熱が灯された。
 無意識のうちに逃げようと後ろへ下がると、伸ばされた力強い腕に抱きしめられた。
 おとがいに手を添えられ、上向かされる。額を合わせて、至近距離で見つめ合った。そのまま顔を傾けて、唇が合わさる。

「ん……」

 何度キスをしても慣れない。手に汗もかくし、たまにはリードしたいと思っても、激流に溺れないようにするだけで精一杯だ。
 ジュリアスが好きだ。誰よりも。何よりも。
 例え“扉”が開いたとしても……ジュリアスを選びたい。離れたくない――