アッサラーム夜想曲

第1部:あなたは私の運命 - 12 -

 三日目の夜は、空になかなか飛竜の姿が見えず、光希は泣きそうな気持ちでジュリアスの帰りを待っていた。
 やがて、待ち望んだ影が夜空の彼方に見えると、逸る心を抑えられずに、一目散にオアシスを飛び出した。
 優美な飛竜が風を切って、砂漠に舞い降りる。

「ジュリ――ッ!」

「コーキ!」

 ジュリアスもひらりと舞い降りるや、駆け寄ってきた。
 二人の距離が縮まると、腕を広げて迎えてくれる。彼に対する複雑な気持ちも忘れて、光希は思いきり抱きついた。

「お帰り!」

「******」

 甘い眼差しに見下ろされて硬直していると、ちゅっ、と額にキスをされた。驚いてすぐに離れたが、嫌ではなかった。むしろ……
 混乱している光希を見下ろして、ジュリアスは優しくほほえんだ。流れるように、光希の背中に腕を回して歩き始める。彼は一体、光希のことをどう思っているのだろう?
 オアシスに戻ると、ジュリアスは真っ先に一角獣の傍に寄った。餌を与えられていることに気づくと、光希を振り向いてほほえんだ。
 一角獣の食事の面倒は、光希にできる数少ない仕事の一つになりつつある。
 ジュリアスはテントや荷物に異常がないことを確認すると、火を熾して調理を始めた。
 今日は骨つき肉を持ってきてくれたようだ。
 火で炙ると美味しそうな肉汁がぽたぽた落ちて、視線が釘づけになる。
 香ばしい肉を、光希は満面の笑みで受け取った。最高に美味しい。夢中で齧りついていると、ジュリアスはバゥリーの入った杯を渡してくれた。
 度数の高い酒だが、ここで日本の法律を気にしても意味がない。遠慮なくいただく。肉に酒がよく合うこと!
 食事を終えて、満足そうに腹を撫でていると、ジュリアスは今夜も素晴らしい演奏を聴かせてくれた。
 焚火の前で暫く団欒していたが、酔いが醒めて思考が晴れると、光希は背筋を伸ばして座り直した。

「ジュリ、時間のある時でいいから、俺に言葉を教えてくれる? 早く言葉を覚えて、意思疎通できるようになりたい」

「****、********」

 光希は酒の入っていた杯を指して、バゥリーと声に出した。次にジュリアスを指して、ジュリアスと声に出し、自分を指して光希と声に出す。続けて一角獣を指さすと、ジュリアスを見つめて首を傾げてみせた。

「トゥーリオ」

 光希の意図を正しく汲み取り、ジュリアスは一角獣の名を教えてくれた。

「トーリ?」

「トゥーーリオ」

「トーーリオ?」

 何度か繰り返したが、ネイティブの発音は難しい。ジュリアスも最後には“トーリオ”でいいよ、というように苦笑を零した。
 そんな調子で、視界に映るものを指差しては、ジュリアスに発音してもらい復唱した。及第点をもらえるまでヒアリングと発音を繰り返す。彼はヒアリング下手な光希に対して、少しも怒ったり苛々したりしなかった。それどころか、言葉を覚えようとする光希に対して非常に協力的だった。
 夜も更けて、光希の喉が疲れてきた頃に練習をやめた。
 今夜は時間をずらしたりせず、二人で一緒にテントへ入った。
 照明を落とす前に、ジュリアスは光希の頬にキスをしたが、それ以上は何もせず、背を向けて横になった。
 触れられると固まるくせに、背を向けられると寂しく感じる……
 そんな自分の乙女思考についていけず、光希もふて寝から深い眠りへと落ちていった。

 明け方。
 目を醒ますと、今朝もジュリアスに抱きしめられていた。背中越しに規則正しい鼓動が伝わってくる。
 二度目なので衝撃は少ないが、気を遣うのも馬鹿らしくなり、遠慮なく腕を避けて起き上がった。誰と勘違いしているのか知らないが、間違える方が悪いのだ。

(昨日は、背中を向けて寝た癖に……)

 目を醒ましたジュリアスは、宝石のような青い瞳で光希を見つめると、腕を引いて胸の中に引きこんだ。

「ちょっと」

「コーキ****……」

 暴れかけたが、耳朶に名を囁かれて固まった。彼は、誰かと間違えているわけではなく、光希と判っている?
 胸の奥深く、混乱と共に喜びがこみあげた。嬉しいだなんて!!
 思考停止――ジュリアスが完全に覚醒するまで、光希の煩悶はんもんは続いた。