超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

2章:エナジー・ドリンク - 5 -

 意識が浮上し、瞼をもちあげると、誰かの背中が視界に映った。
「おはよう……?」
 寝ぼけまなこをこすりながら、広海は身を起こした。
 背を向けてベッドに腰掛けていたレオは、びくっと肩を震わせ、恐る恐るといった風に、振り向いた。
 緊張に強張った顔を見た途端に、広海の脳裡に昨夜の情事が閃いた。
 思わず自分の躰に視線を落とすと、ほぼ裸だが、下着は履いていた。けれども、うずみ火が躰の芯に灯っているような、ってはならぬけだるい熱に侵されている気がする……
 恐る恐る顔をあげると、明るい色の瞳と遭った。
 広海の表情の変化を見守っていたレオは、済まなそうな、乞うようなひとみで見つめ返してきた。
「……あ――……その……ロミ寝落ちしたから、着替えさせた」
「あっ、ハイ……」
「シーツは新しいのに交換した。ランドリーが下の階にあって、汚れたやつは今洗ってる。あ、電気はブレーカーあげて、配線も……まぁ、直しておいた」
 そこで広海は、寝室が心地よく冷やされていることに気がついた。ありがたいが、羞恥が勝って素直に感謝しきれない。
「う、はい……」
「いや……全然起きねーから心配してたんだけど、躰ヘーキ?」
「あ……」
 とうとう広海は真っ赤になり、視線を伏せた。なんて答えればいいか判らない。
「悪ぃ、俺なんか昨日どうかしてたみたいで……あんな……無理矢理……」
 彼にしては珍しく、気弱げな声でいった。
 どう答えればいいだろう? どうかしていたというのは、広海もそう思うが、無理矢理かと訊かれると、返事に困る。最初はともかく、キスされて、指や舌で甘く蕩かされるうちに、広海もわけがわからなくなり、むしろ愛撫をせがんでいたような気がする。
「……俺たち、二人ともどうかしていたんですよ」
 広海は力なくいった。はっと閃いて、愕然とした表情でレオを見た。
「もしかして、感染したんでしょうか?」
「まさか」
「いや、だって俺たち昨日……あ、ありえないッスよ!? これって性欲に見せかけた実は喰欲で、やっぱ俺たちゾンビになりつつあるんじゃ?」
「ねーよ」
 レオが冷静に否定するので、広海も少し冷静になった。
 確かに、欲情しているゾンビなど見たことがない。感染したが最後、破壊と暴力と異常喰欲に尽きる。
 思案していた広海は、視線に気がついて顔をあげた。神秘的な虹彩が、じっっと広海を見つめていた。
「ゾンビじゃねーけど、ホモになったかも」
「えっ!?」
「ロミ限定だけど」
「はっ!? 俺たちホモになっちゃったの!? やばくないッスか!?」
「やべーな」
 レオも口を手で押さえて、呟いた。
「……挿入インサートはしてないから、ギリセーフか?」
「いや、そういう問題じゃないし、アウトだと思います」
 広海は間髪入れずにいった。そこで、レオの異変に気がついた。
「レオ、その目……」
 日を追うごとに明るくなっていく眸は、神秘的な金緑に変化していた。
「目?」
 レオは不思議そうに目を瞬いた。
「瞳の色が、金色っぽい緑のような……」
 昨夜といい、これまでにも時々そう見えることはあったが、今は、平穏な昼なかでも明るさを損なわずにいる。
 レオは目を瞬くと、鏡の前に立ち、顔を近づけた。
「本当だ。気づかなかった」
「痛くないんですか?」
「いや、痛くない。つーか、すげぇ視力あがってる気がする」
「へぇ? どれくらいッスか?」
「さァ……その気になれば、どこまでも見えそう。視力ニ.0は余裕」
 広海は目を瞠った。
「すごいッスね」
「世界が違って見えるわ」
 レオは少し困ったようにいった。
「その台詞、なんかかっこいい。イケメン度がハンパないっスよ。イケメンっつーか、超絶美形? 肌綺麗だし目もキラキラしてるし、人間超えているっていうか」
 レオは笑った。
「それをいうなら、ロミも随分変わったよ」
「俺はなんも変わってないッスよ」
「いや、全然違う」
 きっぱりした口調に、広海は目を瞠った。レオ自身、口調の強さを感じて、少し躊躇ってから続けた。
「なんつーか……すっげぇ、いい匂いするんだよお前。ロミといると俺……」
 一瞬、金緑の眼に獣めいた色をはしらせるが、すぐに、自戒するように視線を逸した。
 沈黙と共に空気は熱を帯びて、広海は顔が赤らむのを感じた。レオは気まずそうに咳払いをし、
「……なんでもない。忘れろ」
「! ……ですね、忘れましょう!」
 広海も激しく同意した。
 昨夜のあれは、お互いに事故だったのだ。と、強引に決着し、開いてはいけない扉を封印することにした。
「……なんか喰うか、もう昼だし。ロミも服着ろよ」
 レオは気が抜けたような声でいうと、寝室をでていった。
 一人になり、広海は呆然と時計を見た。正午を過ぎたところだ。一体どれだけ眠っていたんだろう?
 疲弊して昏睡した経緯を想像しかけて、慌てて首を振った。
(封印、封印、封印……)
 自分に呪文をかけながら、服を着た。
 バスルームに入ると、大きな窓の向こうに、眩い青空が拡がっていた。冷房が復活してくれて助かった。今日も猛暑になりそうだ。
 顔を洗っていると、なんだかんだで一日の準備を始めようとしていることに、意識が向いた。
 希望を打ち砕かれ、もう自分の回りの世界というものが判らなくなったと思ったのに、陽は昇り、朝はやってくるのだ。
「……」
 変わり果てた両親のことを思うと、気分は零度を下回る。
 神経はぼろぼろだし、本音をいえばベッドに戻ってじっとしていたい。傷が癒えるまでそっとしておいてほしい……
 けれども、レオのことを考えると、悲しみに沈みこんでもいられなかった。
 日に日に複雑な関係になっていく気がするが、今の広海にとって、彼だけが希望だ。
 キッチンに向かうと、ガーリックとハーブのいい匂いが漂ってきた。腹は空いていないと思ったが、忘れていた喰欲を刺激された。そういえば昨夜は何も喰べずに眠ってしまったのだ。
「ペペロンチーノ喰う?」
 レオはフライパン片手に、思わずうっとりするような笑みを浮かべた。
「いただきます。うわ、めっちゃ美味しそう~……」
 広海はいそいそと椅子についた。するとレオは、パスタに胡椒をいてふりかけ、皿に盛りつけてさしだした。
「ありがとうございます」
 フォークに艶々のパスタをからめ、口のなかに放りこんだ。期待以上の味に、広海は相好を崩した。
「んまい!」
「サンキュ」
 明るい邪気のない笑顔に、レオもつられたようにほほえんだ。
 広海はしばらく喰べることに夢中になった。どんな状況に陥ったとしても、レオさえ傍にいれば餓えずに済む気がする。
 会話が途切れると、喰器のたてるかすかな音、テレビの音声が際立った。
「九段下の避難所、壊滅したんだな」
 映像を見ながら、レオがいった。
「えっ」
 思わず広海も手を休めてニュースを見た。
 五十インチの液晶モニタに、上空から撮影した景観が映しだされている。
 不穏な黒煙を昇らせているのは、九段下の緊急避難所だ。
「マジか……」
 昨日会った親子のことが思いだされた。九段下に向かうといっていたが、無事なのだろうか?
 疑問を抱いた傍から、生存者はいません、レポーターが悲痛な声で伝えた。
 暗澹あんたんたる思いに囚われ、広海は俯いた。急にパスタの味が、判らなくなってしまった。
「物資の奪いあいが起きて、誰かが発砲したらしい。で、パニックになって、騒音がゾンビを呼びこんだんじゃないかって話」
「……」
 レオの言葉に、広海は目を瞑った。
「見ろよこれ」
 レオはスマホの液晶を広海に向けた。
「個室はおろか、まともな仕切りもなかったらしい。日射しを遮るテントが頭上に貼られているだけだぜ? 炎天下に、こんな辛うじて設置された浅い四角の仕切りのなかで、何百人も蹲ってたんだろ。そりゃ発狂するよな」
「確かに……」
 急造とはいえ、まともな施設と聞いていたのに……偽情報だったのだろうか?
 これが現実かと思うと、心底悲しくなる。
 救いを求めてやってきた人達は、そこで見た光景に希望を感じられたのだろうか? あの親子はどう思ったのだろう?
 もし、広海も避難所にいっていたら?
 ……考えるだけでも恐ろしい。レオのいった通りだ。不死感染者より人間の方が怖い。
 それにしたって、方舟はこぶねを謳っていた避難所が、この有様とは……
 この世界に救いはないのだろうか?