超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -

2章:エナジー・ドリンク - 3 -

 入口の自動ドアは罅割れ、半開きのまま止まっていた。硝子を踏まないよう気をつけながら、二人はなかに入った。
 誰もいない。
 受付のデスク周辺にはべったりと血の跡と、壊れた調度や、書類などが散乱している。
 天井から吊られたオープン・セールの垂れ幕を、窓から射しこむ陽光が照らすなか、広海とレオの足音だけが、壁に反響して聞こえた。
「……誰もいませんかね?」
「どうかな」
 二人は慎重にエレベータの方へ進んだが、途中で脚を止めた。感染者がたむろしているのだ。
「結構いるな……念の為補給しておくか」
 と、レオは広海を振り向いた。
「?」
 仰ぎ見る広海を、レオは自分の躰で隠すようにして壁に押しつけてきた。
「レオさん?」
「いつまで“レオさん”なんだよ。レオでいいよ」
「あ、ハイ……すみません」
 そわそわと落ち着きなく、レオの胸に手を添えると、大きく呼気を吸いこんで上下するのが感じられた。
「今度“さん”つけて呼んだら、キスする」
「えっ……」
 硬直している広海の顎を、レオはくいっともちあげた。琥珀の眼差しが熱くて、広海の顔も熱を帯びていく。
「判りました……レオ」
 そろそろ離してほしい。レオの手首を掴んで、指をはずさせようとしたら、素早く唇が重ねられた。
「んっ」
 ちゃんと呼んだのに――目を見開く広海を、レオは強い力で抱きすくめた。後頭部を押さえつけて、口づけを深めてくる。
(なんでキス? 補給って、こういうこと!?)
 混乱してる間に、熱い舌に歯列をなぞられ、内頬を舐められる。逃げ惑う舌を搦め捕られながら、レオの胸を叩いて抗議するが、
「ん、ゃ……んぅっ」
 口内を撹拌され、溢れでる唾液をすすられて、淫靡な水音に鼓膜をなぶられる。
 心臓の鼓動は激しく、酸欠になってしまいそうだ。苦しげな喘ぎに気がついて、レオは唇をほどいたが、広海が呼吸を整えようとする間も、ちゅ、ちゅっと唇を吸ってくる。
「レオさ……れお」
 慌てていい直すと、琥珀の眼差しが、蜂蜜のように溶けた。頬から耳を掌に包まれて、再び唇が溶け重なる。
「ぁ、んっ……ん、ふぁ……」
 首から背中にかけて汗が流れていく。熱中症になりそうなほど暑いのに、気がつけば広海も、レオの背中に両腕を回していた。恋人のように、お互いの唇に夢中になっている。こんなのおかしいと思いつつ、股間が反応して熱くなっていく。
(やばい、やめないと……このままだと、俺……っ)
 頭の片隅で理性が囁くが、自分の意志ではどうしてもやめられなかった。
 レオから始めて、レオが終わらせた。
 貪るようなキスのあと、広海は軟体生物になってしまったかのように、全身に力が入らなかった。レオの胸に、ぐったりもたれてしまう。
「……補給完了」
 レオは満足そうにいう。
 濡れた唇を親指でぬぐわれて、広海は恥ずかしさのあまり、憤死するかと思った。
「おっと」
 よろめく広海を、すかさずレオが支えた。
「ここにいて。様子見てくる」
 髪にちゅっとキスされて、広海は朱い顔で頷いた。唇のキスは感染者避けだとしても、今のキスは? ……まるで女の子にするような甘さではないか?
(感染者避けのキス……ってことは、次があるのか? ゾンビに遭遇するたび、俺はレオと……?)
 広海が煩悶はんもんしている間に、レオは長包丁を片手に、感染者の横を通り過ぎた。目的のエレベーターまで無事に辿り着き、ボタンを押して待っている。
 彼がゾンビに襲われなかったので、広海はほっとした。見守っていると、レオは広海の方を振り向いて、両腕を交差させてバツの合図をした。
(……ん? もしかして、エレベーター使えないの?)
 心配になって広海が立ちあがると、そこにいて、とレオは手で合図した。どうするのだろうと見ていると、彼は階段の方へ歩いていった。
(マジか……この建物、六十五階だよな)
 自分もあとで階段を登るのかと思うと、広海はうんざりした。
 ふと感染者がこちらを向いたので、慌てて遮蔽物に隠れた。襲ってこないにしても、これだけ距離が近いとやはり怖い。
 躰を縮めて、呼吸すら抑えたが、やがて心臓の鼓動は落ち着いていった。
 大丈夫。やはり感染者たちは広海など眼中にないようだ。ぼぅっと虚ろな顔で突っ立っている。
 しばらくじっとしていると、レオのことが心配になり始めた。スマホを何度もチェックしてしまう。
 送ったメッセージになかなか既読がつかないことに気を揉んでいると、複数の足音が聴こえてきた。
 階段を凝視していると、いきなりゾンビの団体が降りてきた。何事かと身構えたが、最後尾からレオが顕れると、広海は安堵に胸を撫で下ろした。
 なんとも奇妙な光景だ。不死感染者の引率者よろしく、レオは悠々と歩いてやってくる。
「お待たせ」
 口調は穏やかだが、眸の虹彩は迫力を増し、神秘的な金緑にかがやいていた。
「どこから連れてきたんですか?」
「上層階。外に追いだしてもいいけど、一階に残しておいた方が、人間避け・・・・になっていいよな?」
 広海はびっくりしてレオを見た。
「上層階って、どこまで見てきたんですか?」
「全部」
「全部って?」
「六十五階全部」
「えっ、どうやって??」
 彼がここを離れてから、三十分も経っていない。そんな短時間にエレベーターも使わず全ての階を見て回れるものだろうか?
「あ――……ま、念力みたいな?」
 なぜかレオは言葉を濁した。広海は訝しんだが、いくぞ、と声をかけられ、慌てて背中を追いかけた。
「何階にいくんですか?」
「とりあえず、五十八階。そっから上がホテルみたい」
「五十八階……」
「せっかくだし、スィートルームにいってみるか」
 と、レオはどこから持ってきたのか、セキュリティカードを見せた。四角いゴールドカードにホテルのロゴが印字されている。
「スィートルームは何階ですか?」
「六十三階」
 広海は暗澹あんたんとなった。登る前から、凄まじい疲弊感にうんざりする。
「あと少し頑張れ。部屋に着いたら休めるぞ」
 レオの言葉に、広海は力なく頷いた。
 階段は広く、片側が硝子張りの窓で開放感はあるが、五階登ったところで、早くも息切れし始めた。
「はぁ、疲れた……」
 広海は膝に手をついた。その丸まった背中を、レオは労るように撫でる。
「大丈夫か?」
「はい……すみません、すごい時間かかっちゃいそう」
「急がなくていいよ。ゆっくりいこうぜ」
「はい……」
 登っては休み、休んでは登り、なんとか三十階に辿り着いた。先は長い。ここからさらに三十階……
「はぁはぁ……遠すぎる……こんなに登ったら、降りるの大変じゃないですか?」
「でも安全だろ?」
「そうですけど……」
 広海は激しく息切れしているが、レオは涼しい顔をしている。真夏に汗もかかず、全く疲れた様子がない。広海が脚を止める度に休憩につきあっているが、彼一人なら、とっくに辿り着いているだろう。
 休み休み登り、ようやく目的の六十三階に辿り着いた。
 広々としたフロアにある三部屋全てが、スィートルームだ。
 そのうちの一部屋を選んで、レオはセキュリティロックをはずして扉を開けた。
 さすがスィートルーム。
 数寄すきを凝らした瀟洒しょうしゃな部屋だ。ふわりとした薄い色のカーペットが敷かれ、靴音は殆どしない。
 寝室に書斎、カウンターキッチンつきのダイニングルームには巨大なディスプレイ、夜景の見渡せるバーカウンター、ミストサウナとジャグジーまで揃っている。
「すげ~、ジャグジーだ……」
 広海はどきどきしていたが、レオはゴージャスな室内に関心を示さず、すたすたと部屋を突っ切っていき窓を開けた。
 冷房がきいていない部屋はサウナみたいな熱さだったが、窓を開けた途端に、夕暮れの涼風が流れこんできた。
「いい風――……」
 思わず広海は声をあげた。レオは冷蔵庫を物色し、ペットボトルを取りだした。
「水飲む?」
「いただきます」
 放られたペットボトルを、広海は慌てて受け取った。賞味期限は、来年の夏と印字されている。
「ブレーカー落ちてんのかな。電気は点かないけど、ガスと水道は使えるみたい。とりあえず、シャワー浴びる?」
 レオの言葉に、広海は大きく頷いた。汗みずくで階段を登ってきたのだ。シャワーといわず、プールに飛びこみたいくらいだ。
「一緒に入る?」
 いつの間にか、すぐ後ろにレオがいた。広海はぎょっとして長身を振り仰いだ。にやついた悪戯っぽい顔なのに、ぞくっとする格好良くて、広海は真っ赤になった。
「遠慮しておきます……お先にドーゾ」
 声が裏返ってしまった。くっ、とレオが笑う。
「いいよ、先入りな」
 頭をぽんぽんと叩かれ、広海は頸から上が燃えるように熱くなった。なぜこうもときめいてしまうのだろう?
「えっと、じゃぁ、お言葉に甘えて……」
 恥ずかしさのあまり、広海は逃げるようにバスルームに駆けこんだ。
 一人になって、シャワーを浴びると、ようやく一息つくことができた。火照った肌に冷たいシャワーが心地いい。設備も充実しており、いい香りの液状石鹸で全身を洗い、髪も高級トリートメントのおかげで艶々になった。
 備えつけの白いパイル地のローブを羽織って部屋に戻ると、レオは窓の傍で、電子煙草を喫っていた。
「お待たせしました。次どうぞ~」
「おう」
 レオは、最後の煙をゆっくり吐きだした。宙を揺蕩う煙が、空に消えていく。
 その物憂げな仕草に、広海は見惚れた。自分と二歳しか離れていないはずなのに、どうしてこんなにも大人びて見えるのだろう?
 広海は密かな称賛の念で見つめているが、レオの方は、己の美しさに無頓着な様子だった。短くなった煙草を空き缶に擦り潰し、バスルームに入っていく。
 広海は、飲みかけのペットボトルを持って、ソファーに座った。
 スマホでネットに接続すると、相変わらず情報が錯綜さくそうしていた。かかる災厄と、絶滅に瀕した世界の様子で溢れかえっている。
 憂鬱な気持で眺めていると、かすかに聴こえるシャワーの音が止まった。
 間もなくリビングに入ってきた腰タオル姿のレオを見て、広海は、戦慄するほどの色香と熱情に目眩を覚えた。
 全身は固く引き締まっており、湯あがりでしっとりしている。しなやかな筋肉のついた肩や、割れた腹筋がぞくっとするほど格好良い。まるでアスリートのような理想的な体型だ。
 同性なのに、肢体の官能性に魅了されてしまう。
 ぶしつけに見ていることに気がついた広海は、慌てて視線を逸らした。
 ソファーは広いのに、レオはわざわざ広海の隣に座った。腰をあげて、距離をとろうとする広海の腕を、彼は掴んで引き寄せた。
「あっ」
 よろめく広海の肩を、レオの大きな掌が包みこんだ。
「なんで離れるんだよ?」
「え、いや……」
「緊張してんの?」
 耳元で囁かれて、広海は朱くなった。
「そんな格好だと風邪ひきますよ」
「こっち見ろよ」
 その声が壮絶に色っぽくて、広海は肩をすくめた。前髪を優しく撫でられ、恐る恐る顔をあげると、艶やかな視線に射すくめられた。
「何? レオ……」
 広海は笑おうとして、失敗した。熱っぽい目で見つめられて、たちまち頬が熱くなっていく。
「……俺さ、ロミに触れてるだけで、文字通り力が沸いてくるんだよね」
「へ?」
 手が重ねられ、広海は躰を強張らせた。引き抜こうとした手を、ぎゅっと握りしめられる。
「レオ?」
「触れてるだけでも気持ちいいけど、舐めると……」
 そういって手を口元にもっていき、広海の目を見つめたまま指を含んだ。
 あまりにも驚いて、どんな反応もできなかった。指を、そっと吸われる。意識した途端に、カッと顔が熱くなり、下腹部が、どくりと脈打った。
「ぁ……やだな、もう」
 笑って指を引き抜こうとすると、レオは手首を掴んで、さらに根本まで咥えこんだ。そのまま、情事を連想させるように、顔を前後させる。
「うぁ、ちょっと……!」
 ぞくりと背筋が震えた。触られたわけでもないのに、股間に響いた。
「レオ、やめて」
 怯えたように広海はいった。レオの行為を直視できない。指を舐められているだけなのに、酷く淫靡な気持ちにさせられる。
 ちゅっ……と音を立てて、レオは指を離した。
 広海は慌てて、自分の指を護るように、もう片方の手で包みこんだ。
「そんなに警戒すんなよ。冗談だっつーの」
 レオは、空気を変えるようにいったが、広海は返事できなかった。冗談でここまでするか? 濡れた指先が、じんじんしている。
「ところで、腹減った?」
 思わず、広海は腹の上に手を置いた。
 そういわれると、朝林檎を少しとスープを飲んだだけで、昼は喰べていないが、喰欲はなかった。
「俺は、あんまし減ってねーんだよな」
「俺もです」
 広海はようやく、レオの顔を見ることができた。
「じゃ、飯はいっか。電気点かねぇし、もう寝るか」
「はい」
「冷房つかねーけど、しょうがないな……」
 残念そうにいうと、レオはバスルームに入り、ローブに着替えて戻ってきた。
 窓の外はもう真っ暗で、二人はスマホのライトで照らしながら、寝室に入った。
 窓辺に鎮座したシックなダブルベッドを見て、広海は怯んだ。
(うわ……そうだった。この部屋スィートルームだった)
 ちらりと隣を窺うと、レオもベッドを見つめていた。
「レオさ、ここはレオが使ってください。俺はソファーで寝るんで」
「こんだけ広けりゃ、余裕で二人寝れるだろ」
「……ですかね?」
 所在なさげに広海は視線を彷徨わせたが、レオはさっさと部屋に入り、窓を全開にした。ベッドカバーを丸めて足元の方に寄せると、広海を見やった。
「ほら、早く入れ」
「ハイ」
 広海もおずおずとベッドにのりあげた。スプリングがきいていて、寝心地は良さそうだ。
 レオがスマホのライトを弱めると、ふっと部屋が薄暗くなった。
「は――……疲れたな」
 その声にはまぎれもない疲労が滲んでいた。
「疲れましたね……」
 広海もしみじみと同意した。今日ほど最悪な一日は、過去にも未来にもないだろう。
「明日もやることが多いな。先ずは電気直さねぇと……まぁ、今夜は休もう」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
 そこで会話は途切れた。
 ……けれども躰は余燼よじんを持て余して、妙に昂ぶっていた。
 瞼の奥に、レオの姿が散らついて離れない。
 形の良い唇……広海の指を咥えて、いやらしくしゃぶっていた。舌の感触をまざまざと思いだして、股間が反応しそうになる。
 彼を、おかしいと責められない。おかしいのは広海も同じだ。男なのに……レオに欲情している。ぞくっとするほどの美貌、形のいい唇、しなやかな筋肉に覆われた肢体……
(――やめよう。これ以上考えるのは危険だ。眠ろう。眠るんだ)
 強く、強くいい聞かせた。
 次第に昂奮は鎮まったが、静寂を意識するとともに、胸苦しいほどの孤独が押し寄せてきた。
 なんて一日だったのだろう。
 変わり果てた父と母の姿が脳裏をよぎり、広海は眉間に皺を寄せた。あんな姿は見たくなかった。いっそ知らずにいたかった……家に、いかなければ良かった。
 それとも、はっきりと現実を見なければ、いつまでも望みのない希望にすがって、苦しみを長引かせたのだろうか?
(……父さん。母さん)
 回想の辛さに顔が歪む。
 歔欷きょきに浸され身を縮こませていると、不意に髪を撫でられた。
(レオ……)
 今日は泣いてばかりだ。そう思っても涙が次から次へと溢れてくる。
 この世界に一つ救いがあるとしたら、それは、隣にレオがいてくれることだ。