超B(L)級 ゾンBL - 君が美味しそう…これって○○? -
1章:感染 - 0 -
二〇九六年八月二〇日。
全世界で同時に不思議な現象が起きた。
のちに〈死の息吹〉と呼ばれる不可解な光景――底翳の目のような銀鼠の靄が、一〇分ほど世界中の街を覆ったのだ。
最後の審判が下され、人類は、身の毛も弥立つ飢餓地獄へと突き落とされる。
同日、東京。渋谷。一八時三〇分。
笹森広海はe-Sportsカフェを出て、ハチ公口に向かっている途中だった。
ごく普通の高校一年生である。
身長一六五センチ、体重七五キロとやや肥満気味の体型に、平凡で純朴そうな丸い童顔。色白で髭も生えていないので、実年齢より幼く見える。
性格は、はにかみ屋で少々臆病だが、人に道を訊かれた時などは、自分の用事を中断して案内したりする親切な少年だ。勉強はそこそこ、運動は苦手。お洒落も苦手。黒いくせ毛は大体いつも寝癖がついていて、紺地の制服に、白いスニーカーと黒のリュックが定番の格好である。
赤信号の前で足を止めた広海は、手持ち無沙汰になり、SNSを開いた。
今さっき、深い霧が出ていたようで、タイムラインは幻想的な写真で溢れかえっていた。あまりにも素敵な写真ばかりなので、あと少し早く店を出ていれば自分も見れたのに……と残念に思うほどだった。
不意に、人影が射した。顔をあげた広海は、ぎくりとなる。
私服姿だが、同じ高校に通う同級生だ。入学してから三ヶ月もまともに登校していないような、いわゆる虞犯少年達。
「あれ、笹森チャンだ」
三人のうちの一人、とりわけ性質の悪い宮坂が鴨を見つけた顔で言った。ブリーチで傷んだ金髪をかきあげ、嗜虐的な笑みを浮かべている。
最悪――広海はすぐに踵を返そうとしたが、宮坂の連れ、青木と田口に左右を挟まれた。乱暴に肩に腕を回され、ひっ、と情けない声が漏れてしまう。
「偶然じゃん。こんなところで、何してンのぉ~?」
にやにやしながら、宮坂が言った。怯える広海の顔を覗きこみ、威圧的に首を傾げてみせる。
「あ、今から帰るところ……」
「ふぅん、買い物してたの?」
「いや、e-Sportsカフェで遊んでて」
答えた瞬間、広海は後悔した。
「へぇ、じゃぁMRC持ってる?」
やはり訊かれた。
MRCはゲーム内で使われている最近主流の通貨で、他の仮想通貨に変換できる。レートは時価で変動するが、安定している為、スマホやタブレットでゲームをする人なら皆MRCを持っている。もちろん広海も持っているのだが、現金の殆どをMRCで保持しているため、これを盗まれると全財産を失うことになる。
持っていないと広海は頸を振るが、宮坂は信じなかった。
「嘘つけよ。通貨もなしに、どうやって遊ぶんだよ~」
「も、持ってないよ。今日はゲームに負けて、使っちゃったんだ」
「お前この間もそう言って、五〇〇〇MRC持ってたじゃん」
広海の表情が強張る。
学校では工作部という、そこそこ規模のあるオタクの集まりに属しているので、はぶられたり、いじめられることはないが、運悪く外で見つかった時は、こうして鴨にされることが一度や二度ではなかった。
「今日は本当に持ってないんだよ」
心臓がどきどきし、背筋に冷たい汗が噴きだした。今すぐ走り去ってしまいたいが、両脚は地面に貼りついたように動かない。
「嘘ついたら罰金な」
強引に裏道の方へ引っ張られ、広海は両脚に力をこめて抗った。忙しなく視線を彷徨わせると、道端で蹲る、スーツを着た男性の姿が見えた。周囲の人が、心配そうに彼に声をかけている。
広海のことも助けてほしい。
だが、影になった通路に引きずりこまれ、壁を背に追い詰められると、希望は潰えた。スマホの指紋認証を強制的に解除され、通貨管理アプリを、ログインした状態で立ちあげられてしまった。
「返して!」
広海は精一杯に手を伸ばすが、軽くいなされた。三人は、画面に表示された残高を見て笑みを深めた。
「やっぱり持ってるじゃん。四八〇〇MRC」
今のレートだと、現金で二万円相当の価値がある。
「返して!」
スマホを取り返そうと必死に手を伸ばす広海を、三人はにやにやしながらあしらう。自分のアカウントに送金するつもりなのだ。
涙目になっていると、背後から鉄の擦れる音、扉の開く音が聴こえた。
全員が振り返った。
腰に黒いエプロンを着けた長身の男が、電子煙草を手に扉から出てきたところだった。
スタイルが良くて、はっとするほど綺麗な顔立ちをしている。その顔に見覚えがあり、広海は青褪めた。
三年生の神楽レオだ。
西欧の血を受け継ぐ彼は、長身で、アスリートのように鍛えられた体躯に、類稀な美貌の持ち主である。
男女を問わず、憧憬を寄せる生徒は多いが、彼はいつも一人でいる。
クール。綺麗。怖い。鋭い。近寄り難い。
それが彼の第一印象だ。
どこにいても視線を集める人だが、彼の名を、いっそう喧伝・震駭せしめた事件がある。
今年の六月、刃物をもった男が校内に侵入し、無差別に生徒に襲いかかる事件が起きた。男は薬物を服用しており、普通の精神状態ではなかった。結果、三人の生徒が重症を負い、教師の一人は出血死した。
あの時、相手のナイフを奪い、何の躊躇もなく男の腹に突き刺したのが、レオだ。
広海は、その一部始終を目の前で見ていた。犯人と目が遭ったのだ。レオが仕留めなければ、広海が殺されていたかもしれなかった。
犯人は、搬送された病院先で死亡が確定された。
事件の後レオは、二週間学校を休んだ。
正当防衛が認められて、レオは罪に問われなかった。未成年であることを考慮して、表沙汰にはならなかったが、SNSで拡散されて、校内はもちろん、渋谷近辺では有名な話だ。
そんなレオの登場に、威勢のよかった三人も、表情を消して身構えた。
「よぉ、何してるんだ?」
レオは、電子煙草をポケットにしまうと、世間話のような口調で訊いた。
「……別に、喋ってただけっスよ」
宮坂は気まずそうな顔になり、ぺこっと頭をさげるや、仲間を連れて退散しようとする。
「待って、返して!」
慌てて広海が喚くと、レオは電子煙草をしまって、ひらりと階段を飛び降りた。
「その子から盗った金、返してやれよ」
三人は顔を見あわせた。二人はその言葉に従う素振りを見せたが、宮坂は睨みつけた。
「レオさんには、関係ないでしょう」
他の二人は、焦ったように宮坂の肩を叩いているが、宮坂は挑むようにレオを睨んでいる。
「店の裏でカツアゲするなよ。評判が落ちるだろうが。今日は見逃してやるから、盗った金は返してやれ」
まるで動じないレオの姿に、広海は感動を覚えた。相手は三人もいるのに、大したものだ。あの時もそうだったが、彼は言動に迷いがない。広海と二つしか年が離れていないはずなのに、自信に満ち溢れていて、他者を従える雰囲気がある。
しかし宮坂は不満なようで、拳を握りしめた。
一触即発。今にも取っ組み合いの喧嘩になりそうだったが、突然の爆音によって遮られた。
「なんだ⁉」
全員が、独楽のように振り返った。
衝突音。怒号。悲鳴。赤い焔。事故が起きたのか?
訝しむ広海達の前に、不気味な影が射した。通りの方から、人が歩いてくる――先ほど蹲っていたスーツ姿の男性だ。
「なんだ、あいつ……?」
青木が呟いた。他の面々も、怪訝そうな顔で男を見ている。
「酔っ払いかよ」
宮坂が言った。
だが、ただの酔っ払いには誰の目にも見えなかった。
俯きがちに歩いてくる男に、立ち止まる気配はない。幽鬼のように、ふらふらと近づいてくる。
男が、顔をあげた。
その悪鬼のような形相に、広海は小さな悲鳴をあげた。目は真っ赤に充血していて、顔中に青碧の血管が血走っている。尋常じゃない。完全に常軌を逸している。
「キモッ」
宮坂は嫌悪に顔を歪め、半歩下がった。その言葉に反応したように、男の目が宮坂を捉えた。およそ常人とは思えぬ呻き声を発して、両腕を突きだしながら、ふらふらと進んでくる。
「ちょ、なんだよ? おい、あんた……ぎゃっ!」
男は、後ずさりをする宮坂に掴みかかり、躊躇なく噛みついた。
「痛ぇッ」
宮坂の顔は恐怖に染まり、腕を突きだして男を遠ざけようと藻掻いている。他の二人も引き離そうとするが、
「ぎゃあぁぁッ!」
勢いよく血が噴きあがり、広海の頬にまで撥ねた。反射的に手で触れて、その手を見ると、指先は鮮血に濡れていた。
全世界で同時に不思議な現象が起きた。
のちに〈死の息吹〉と呼ばれる不可解な光景――底翳の目のような銀鼠の靄が、一〇分ほど世界中の街を覆ったのだ。
最後の審判が下され、人類は、身の毛も弥立つ飢餓地獄へと突き落とされる。
同日、東京。渋谷。一八時三〇分。
笹森広海はe-Sportsカフェを出て、ハチ公口に向かっている途中だった。
ごく普通の高校一年生である。
身長一六五センチ、体重七五キロとやや肥満気味の体型に、平凡で純朴そうな丸い童顔。色白で髭も生えていないので、実年齢より幼く見える。
性格は、はにかみ屋で少々臆病だが、人に道を訊かれた時などは、自分の用事を中断して案内したりする親切な少年だ。勉強はそこそこ、運動は苦手。お洒落も苦手。黒いくせ毛は大体いつも寝癖がついていて、紺地の制服に、白いスニーカーと黒のリュックが定番の格好である。
赤信号の前で足を止めた広海は、手持ち無沙汰になり、SNSを開いた。
今さっき、深い霧が出ていたようで、タイムラインは幻想的な写真で溢れかえっていた。あまりにも素敵な写真ばかりなので、あと少し早く店を出ていれば自分も見れたのに……と残念に思うほどだった。
不意に、人影が射した。顔をあげた広海は、ぎくりとなる。
私服姿だが、同じ高校に通う同級生だ。入学してから三ヶ月もまともに登校していないような、いわゆる虞犯少年達。
「あれ、笹森チャンだ」
三人のうちの一人、とりわけ性質の悪い宮坂が鴨を見つけた顔で言った。ブリーチで傷んだ金髪をかきあげ、嗜虐的な笑みを浮かべている。
最悪――広海はすぐに踵を返そうとしたが、宮坂の連れ、青木と田口に左右を挟まれた。乱暴に肩に腕を回され、ひっ、と情けない声が漏れてしまう。
「偶然じゃん。こんなところで、何してンのぉ~?」
にやにやしながら、宮坂が言った。怯える広海の顔を覗きこみ、威圧的に首を傾げてみせる。
「あ、今から帰るところ……」
「ふぅん、買い物してたの?」
「いや、e-Sportsカフェで遊んでて」
答えた瞬間、広海は後悔した。
「へぇ、じゃぁMRC持ってる?」
やはり訊かれた。
MRCはゲーム内で使われている最近主流の通貨で、他の仮想通貨に変換できる。レートは時価で変動するが、安定している為、スマホやタブレットでゲームをする人なら皆MRCを持っている。もちろん広海も持っているのだが、現金の殆どをMRCで保持しているため、これを盗まれると全財産を失うことになる。
持っていないと広海は頸を振るが、宮坂は信じなかった。
「嘘つけよ。通貨もなしに、どうやって遊ぶんだよ~」
「も、持ってないよ。今日はゲームに負けて、使っちゃったんだ」
「お前この間もそう言って、五〇〇〇MRC持ってたじゃん」
広海の表情が強張る。
学校では工作部という、そこそこ規模のあるオタクの集まりに属しているので、はぶられたり、いじめられることはないが、運悪く外で見つかった時は、こうして鴨にされることが一度や二度ではなかった。
「今日は本当に持ってないんだよ」
心臓がどきどきし、背筋に冷たい汗が噴きだした。今すぐ走り去ってしまいたいが、両脚は地面に貼りついたように動かない。
「嘘ついたら罰金な」
強引に裏道の方へ引っ張られ、広海は両脚に力をこめて抗った。忙しなく視線を彷徨わせると、道端で蹲る、スーツを着た男性の姿が見えた。周囲の人が、心配そうに彼に声をかけている。
広海のことも助けてほしい。
だが、影になった通路に引きずりこまれ、壁を背に追い詰められると、希望は潰えた。スマホの指紋認証を強制的に解除され、通貨管理アプリを、ログインした状態で立ちあげられてしまった。
「返して!」
広海は精一杯に手を伸ばすが、軽くいなされた。三人は、画面に表示された残高を見て笑みを深めた。
「やっぱり持ってるじゃん。四八〇〇MRC」
今のレートだと、現金で二万円相当の価値がある。
「返して!」
スマホを取り返そうと必死に手を伸ばす広海を、三人はにやにやしながらあしらう。自分のアカウントに送金するつもりなのだ。
涙目になっていると、背後から鉄の擦れる音、扉の開く音が聴こえた。
全員が振り返った。
腰に黒いエプロンを着けた長身の男が、電子煙草を手に扉から出てきたところだった。
スタイルが良くて、はっとするほど綺麗な顔立ちをしている。その顔に見覚えがあり、広海は青褪めた。
三年生の神楽レオだ。
西欧の血を受け継ぐ彼は、長身で、アスリートのように鍛えられた体躯に、類稀な美貌の持ち主である。
男女を問わず、憧憬を寄せる生徒は多いが、彼はいつも一人でいる。
クール。綺麗。怖い。鋭い。近寄り難い。
それが彼の第一印象だ。
どこにいても視線を集める人だが、彼の名を、いっそう喧伝・震駭せしめた事件がある。
今年の六月、刃物をもった男が校内に侵入し、無差別に生徒に襲いかかる事件が起きた。男は薬物を服用しており、普通の精神状態ではなかった。結果、三人の生徒が重症を負い、教師の一人は出血死した。
あの時、相手のナイフを奪い、何の躊躇もなく男の腹に突き刺したのが、レオだ。
広海は、その一部始終を目の前で見ていた。犯人と目が遭ったのだ。レオが仕留めなければ、広海が殺されていたかもしれなかった。
犯人は、搬送された病院先で死亡が確定された。
事件の後レオは、二週間学校を休んだ。
正当防衛が認められて、レオは罪に問われなかった。未成年であることを考慮して、表沙汰にはならなかったが、SNSで拡散されて、校内はもちろん、渋谷近辺では有名な話だ。
そんなレオの登場に、威勢のよかった三人も、表情を消して身構えた。
「よぉ、何してるんだ?」
レオは、電子煙草をポケットにしまうと、世間話のような口調で訊いた。
「……別に、喋ってただけっスよ」
宮坂は気まずそうな顔になり、ぺこっと頭をさげるや、仲間を連れて退散しようとする。
「待って、返して!」
慌てて広海が喚くと、レオは電子煙草をしまって、ひらりと階段を飛び降りた。
「その子から盗った金、返してやれよ」
三人は顔を見あわせた。二人はその言葉に従う素振りを見せたが、宮坂は睨みつけた。
「レオさんには、関係ないでしょう」
他の二人は、焦ったように宮坂の肩を叩いているが、宮坂は挑むようにレオを睨んでいる。
「店の裏でカツアゲするなよ。評判が落ちるだろうが。今日は見逃してやるから、盗った金は返してやれ」
まるで動じないレオの姿に、広海は感動を覚えた。相手は三人もいるのに、大したものだ。あの時もそうだったが、彼は言動に迷いがない。広海と二つしか年が離れていないはずなのに、自信に満ち溢れていて、他者を従える雰囲気がある。
しかし宮坂は不満なようで、拳を握りしめた。
一触即発。今にも取っ組み合いの喧嘩になりそうだったが、突然の爆音によって遮られた。
「なんだ⁉」
全員が、独楽のように振り返った。
衝突音。怒号。悲鳴。赤い焔。事故が起きたのか?
訝しむ広海達の前に、不気味な影が射した。通りの方から、人が歩いてくる――先ほど蹲っていたスーツ姿の男性だ。
「なんだ、あいつ……?」
青木が呟いた。他の面々も、怪訝そうな顔で男を見ている。
「酔っ払いかよ」
宮坂が言った。
だが、ただの酔っ払いには誰の目にも見えなかった。
俯きがちに歩いてくる男に、立ち止まる気配はない。幽鬼のように、ふらふらと近づいてくる。
男が、顔をあげた。
その悪鬼のような形相に、広海は小さな悲鳴をあげた。目は真っ赤に充血していて、顔中に青碧の血管が血走っている。尋常じゃない。完全に常軌を逸している。
「キモッ」
宮坂は嫌悪に顔を歪め、半歩下がった。その言葉に反応したように、男の目が宮坂を捉えた。およそ常人とは思えぬ呻き声を発して、両腕を突きだしながら、ふらふらと進んでくる。
「ちょ、なんだよ? おい、あんた……ぎゃっ!」
男は、後ずさりをする宮坂に掴みかかり、躊躇なく噛みついた。
「痛ぇッ」
宮坂の顔は恐怖に染まり、腕を突きだして男を遠ざけようと藻掻いている。他の二人も引き離そうとするが、
「ぎゃあぁぁッ!」
勢いよく血が噴きあがり、広海の頬にまで撥ねた。反射的に手で触れて、その手を見ると、指先は鮮血に濡れていた。