月狼聖杯記
3章:魂の彷徨い - 10 -
七日後、発情期の終わりと共に嵐がきた。
初夏の堆 い雲の向こうから、嵐雲 が押しよせ、ドミナス・アロの街全体に覆い被さった。
窓の外では、稲妻が燦 めいている。
耳を聾 する雷鳴に睡眠を妨げられ、ラギスは窓辺で酒を煽っていた。
生 の蒸留酒が喉を焦がす。だが、まだ酔えない。
何度振り払っても、淫蕩な日々が脳裏を過 る。
散々啼かされ、蕩けさせられ、何度もシェスラの腕のなかで果てた。情事のあとも番 のように寄り添い、朝を迎え、そのまま……乳首や性器を手と舌で愛撫され、溢れでる霊液 を何度も飲み干された。
この先、発情期がくるたびにこうかと思うと、死にたくなる。
こんなことなら、日夜闘技場で闘っている方が遥かにマシだ。
欝々と思い耽 りながら、部屋に充満する蘭の香りに気をとられた。
今夜は窓を閉じているせいか、寝室に活けられた蘭が、いつになく馥郁たる香を放っている。そのなかに情事の残り香を嗅ぎ取った気がして、ぎくりとさせられた。
今すぐ空気を入れ替えたくなり、紗をかきわけ、外に面した露台にでた。
全身を滝のような雨に打たれる。
季節は夏になろうとしているが、今夜は雨が降っていて肌寒く感じる。
雨と共に、冷たい風が吹いて、ラギスは躰を震わせた。
それでもこの場を離れようとは思えなかった。
雨に混じって、もうすっかり馴染んでしまった、王の匂いに鼻孔が膨らんだ。目を閉じていても、すぐに判る。
「……濡れるぞ」
目を閉じたまま、ラギスはいった。
「そなたこそ」
囁くような声に瞳を開けると、シェスラは濡れるのも厭わずに、ラギスの隣に並んだ。
雨に濡れて、白皙の美貌に雫が滴 る。無比の美しさに、ラギスは少なからず賞賛の念を抱いた。
辟易する。
たった今まで呪っていた相手に、束の間でも賞賛し、もっと見ていたいと思ってしまうことに。
馬鹿馬鹿しい考えを捨てると、いつものようにぶっきらぼうに口を開いた。
「……何の用だ」
「ジリアンが心配していた。返事くらいしてやれ」
「ジリアン?」
「あの少年は、そなたに英雄崇拝を覚えているらしい」
静かに驚くラギスを見て、気づいていなうのか? とシェスラは訊ねた。
「……崇拝しているのは、俺じゃなくてあんただろ」
「判っていないな……ジリアンが部屋を整えてくれた。なかに入ろう」
「放っておけ」
「濡れそぼっているそなたを? ……できぬ」
慎重に伸ばされた手が、ラギスの濡れた頬を包んだ。涙のように流れる雫を、親指でそっとぬぐう。
(……俺は、何でじっとしているんだ?)
憎しみを抱いているはずなのに、しなやかな腕に抱きしめられて慰めを感じている。
王の豹変ぶりも理解不能だが、ラギスの態度はそれ以上に意味不明だ。
「さぁ、なかに入って温まろう。そなたの好きな、蒸留酒も用意してある」
優しく背を押す腕に導かれ、ラギスは部屋に入った。
卓の上に、数種類の酒瓶と、ラギスの好きな肴が置かれていた。ジリアンが用意してくたのだろう。
「座れ」
いわれるがまま、ラギスは儒子を張ったひじ掛け椅子に腰をおろした。
シェスラは、ラギスの後ろに立つと、柔らかな麻布でラギスの耳や髪を拭き始めた。
「……何してる?」
「拭いている」
「そんなことはいわれなくとも判る」
「訊かれたから答えただけだ。濡れたままだと、風邪を引くぞ」
「自分はどうなんだ」
シェスラの長い髪の先から、雫がぽたぽたと垂れて、絨毯に沁みをつくっている。
「放っておけば乾く」
「俺だってそうだ」
ラギスは麻布を彼の手から取りあげると、シェスラの髪に投げつけた。
人の髪は丁寧に拭こうとしたのに、自分の長い銀髪は、適当に拭いて後ろへはらった。
「……もう、あんたの相手をする気はない」
ラギスは虚空を見つめたまま呟いた。
「私は強要したか? そなたの許しを得て、その躰に触れたはずだが?」
「よくも……」
ラギスはシェスラを睨みつけた。
何度もでていけといったはずだ。それを無視して、部屋に留まったのは彼の方だ。ラギスが乱れる様を悦んで眺めていたくせに――喉までせりあがってきた文句を、どうにか呑みこんだ。
苦々しく思いながら視線を逸らすと、卓に置いた手の上に、手を重ねられた。
「ッ」
ぎょっとしてシェスラを見ると、彼は眉間に皺を寄せ、苦悩の滲んだ顔をしていた。
「……そなたを苦しめようと思って、抱いたわけではない。これは本当だ」
なぜ苦しそうにいうのか判らず、ラギスは言葉に詰まった。何もいえずにいると、シェスラはゆっくり席を立った。
「よく休め。せめて夜は、安らかな眠りに癒されるように」
どうしたことか、水晶の瞳に労わりの色が浮かんでいるように感じられた。
数秒ほどラギスを見つめてから、シェスラは静かに部屋をでていった。
最近、こういうことが多い。
ラギスに向けられる敬意に戸惑う。
(敬意? 王が俺に?)
ここへきた当初からは考えられない事態だ。思い遣りを示される度に、毅然と跳ねのけられず、狼狽えてしまう。
混乱する。
感情の揺れは望ましくない――疑問を捻じ伏せ、考えることをやめて、ラギスは代わりに酒を煽った。
初夏の
窓の外では、稲妻が
耳を
何度振り払っても、淫蕩な日々が脳裏を
散々啼かされ、蕩けさせられ、何度もシェスラの腕のなかで果てた。情事のあとも
この先、発情期がくるたびにこうかと思うと、死にたくなる。
こんなことなら、日夜闘技場で闘っている方が遥かにマシだ。
欝々と思い
今夜は窓を閉じているせいか、寝室に活けられた蘭が、いつになく馥郁たる香を放っている。そのなかに情事の残り香を嗅ぎ取った気がして、ぎくりとさせられた。
今すぐ空気を入れ替えたくなり、紗をかきわけ、外に面した露台にでた。
全身を滝のような雨に打たれる。
季節は夏になろうとしているが、今夜は雨が降っていて肌寒く感じる。
雨と共に、冷たい風が吹いて、ラギスは躰を震わせた。
それでもこの場を離れようとは思えなかった。
雨に混じって、もうすっかり馴染んでしまった、王の匂いに鼻孔が膨らんだ。目を閉じていても、すぐに判る。
「……濡れるぞ」
目を閉じたまま、ラギスはいった。
「そなたこそ」
囁くような声に瞳を開けると、シェスラは濡れるのも厭わずに、ラギスの隣に並んだ。
雨に濡れて、白皙の美貌に雫が
辟易する。
たった今まで呪っていた相手に、束の間でも賞賛し、もっと見ていたいと思ってしまうことに。
馬鹿馬鹿しい考えを捨てると、いつものようにぶっきらぼうに口を開いた。
「……何の用だ」
「ジリアンが心配していた。返事くらいしてやれ」
「ジリアン?」
「あの少年は、そなたに英雄崇拝を覚えているらしい」
静かに驚くラギスを見て、気づいていなうのか? とシェスラは訊ねた。
「……崇拝しているのは、俺じゃなくてあんただろ」
「判っていないな……ジリアンが部屋を整えてくれた。なかに入ろう」
「放っておけ」
「濡れそぼっているそなたを? ……できぬ」
慎重に伸ばされた手が、ラギスの濡れた頬を包んだ。涙のように流れる雫を、親指でそっとぬぐう。
(……俺は、何でじっとしているんだ?)
憎しみを抱いているはずなのに、しなやかな腕に抱きしめられて慰めを感じている。
王の豹変ぶりも理解不能だが、ラギスの態度はそれ以上に意味不明だ。
「さぁ、なかに入って温まろう。そなたの好きな、蒸留酒も用意してある」
優しく背を押す腕に導かれ、ラギスは部屋に入った。
卓の上に、数種類の酒瓶と、ラギスの好きな肴が置かれていた。ジリアンが用意してくたのだろう。
「座れ」
いわれるがまま、ラギスは儒子を張ったひじ掛け椅子に腰をおろした。
シェスラは、ラギスの後ろに立つと、柔らかな麻布でラギスの耳や髪を拭き始めた。
「……何してる?」
「拭いている」
「そんなことはいわれなくとも判る」
「訊かれたから答えただけだ。濡れたままだと、風邪を引くぞ」
「自分はどうなんだ」
シェスラの長い髪の先から、雫がぽたぽたと垂れて、絨毯に沁みをつくっている。
「放っておけば乾く」
「俺だってそうだ」
ラギスは麻布を彼の手から取りあげると、シェスラの髪に投げつけた。
人の髪は丁寧に拭こうとしたのに、自分の長い銀髪は、適当に拭いて後ろへはらった。
「……もう、あんたの相手をする気はない」
ラギスは虚空を見つめたまま呟いた。
「私は強要したか? そなたの許しを得て、その躰に触れたはずだが?」
「よくも……」
ラギスはシェスラを睨みつけた。
何度もでていけといったはずだ。それを無視して、部屋に留まったのは彼の方だ。ラギスが乱れる様を悦んで眺めていたくせに――喉までせりあがってきた文句を、どうにか呑みこんだ。
苦々しく思いながら視線を逸らすと、卓に置いた手の上に、手を重ねられた。
「ッ」
ぎょっとしてシェスラを見ると、彼は眉間に皺を寄せ、苦悩の滲んだ顔をしていた。
「……そなたを苦しめようと思って、抱いたわけではない。これは本当だ」
なぜ苦しそうにいうのか判らず、ラギスは言葉に詰まった。何もいえずにいると、シェスラはゆっくり席を立った。
「よく休め。せめて夜は、安らかな眠りに癒されるように」
どうしたことか、水晶の瞳に労わりの色が浮かんでいるように感じられた。
数秒ほどラギスを見つめてから、シェスラは静かに部屋をでていった。
最近、こういうことが多い。
ラギスに向けられる敬意に戸惑う。
(敬意? 王が俺に?)
ここへきた当初からは考えられない事態だ。思い遣りを示される度に、毅然と跳ねのけられず、狼狽えてしまう。
混乱する。
感情の揺れは望ましくない――疑問を捻じ伏せ、考えることをやめて、ラギスは代わりに酒を煽った。