メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

8章:恋する夜 - 3 -

「最初は嫌で仕方無かったけど、海軍学校に大いに影響を受けたよ。特に士官学校に進学してから、無限海にとても興味が湧いたんだ。ずっと、空ばかり見上げてたのにね」

 どこか夢見る口調で、澄んだ瞳には茫漠ぼうばくたる蒼天と、どこまでも続く大海原を映している。

「……キャプテンは海賊が似合ってると思います」

 水平線を眺める眼差しに見惚れながら、ティカは心のままに告げた。

「俺もそう思う。真実への探求心や冒険心が、俺を海へと駆り立てるんだ。無限海は発見の喜びに満ち溢れているよ」

 そうだろうとも。彼の航海はいつも夢に満ちている。眩しいものを見るように、ティカは瞳を細めた。

「海は神秘の宝庫だよ。太古の遺構が、海底に多く横たわっているんだ。驚くべきことに、中には空の帝国に繋がる構造物もある。例えば、無限幻海もそうだ」

「そうなんですか?」

「無限幻海の海底に沈む巨大石柱は、空の帝国の建造物と共通点が多い。あの辺りの深海からは、高密度のエーテルも採れるんだ。制海権で揉める理由の一つだよ」

「高密度の……」

「巨大石柱は未だ解き明かせない神秘の一つだ。自然の気まぐれ? 或いは“審判の日”以前の遺構? ……ってね」

 静かに聞いていると、ヴィヴィアンは悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。

「もしかしたら、天空の帝国は遠い昔、本当にロアノスの海に浮いていたのかもね」

 彼は冗談のつもりのようだが、図らずも正解を言い当てられ、ティカは小さく息を呑んだ。古い魔法のもたらす知識のおかげで“審判の日”の真実を知っている。
 でもそれは、双子の精霊王、アンジェラとアシュレイが意図して時の流れに隠した、失われた記憶だ……

「僕も、そんな気がします」

 敢えてはっきりとした肯定は避けた。

「でも……離れていた方がいいこともあると思うんです」

「そう?」

「その方が、お互いの尊さが判るから」

 言葉を切った後も、頬に視線を感じた。彼が言葉の先を促すように、こちらを見ていると判る。

「もし……“審判の日”が本当にあったのなら、無限の海と空を与えられたのは、僕等への罰じゃなくて、飽くなくどこまでも行けるように……神様からの贈り物なんだと思います」

 おっとりしたティカにしては明晰な口調で語ると、ヴィヴィアンは感心したような眼差しを向けた。
 その視線に気付かぬまま、ティカは言葉を続ける――

「とても長い時間をかけて、ロアノスの海はやっと綺麗になったんだ。謙虚な気持ちを忘れずに、エーテルの満ちる母なる海の偉大さや壮大さを、いつも忘れちゃいけないんだと思う……」

 制海権を争うのではなく、独裁者のものでもなく――在るがままに、万物の生けであれ。命の源たる、究極の調和よ。
 それが、無限の海。
 魔法の力を引き出したいのなら、このことを絶対に忘れてはいけない。心の深いところに刻んでおいて欲しい。
 祈るような気持ちでヴィヴィアンを仰ぎ見ると、彼は眩しいものを見るように、眼を細めてティカを見下ろした。

「そうだね……」

 静かに呟くと、風にそよぐティカの黒髪を、愛でるように撫でる。甘い仕草に、先に視線を逸らしたのはティカの方。
 彼が――
 日射しに照らされ、金色に縁取られるティカの輪郭に、神々しさを感じていたことなど、ティカは露ほども気付いていなかった。