メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

2章:エステリ・ヴァラモン海賊団 - 7 -

 王都パージ・トゥランを出港してから十五日。晴天。
 ヘルジャッジ号は、針路の途中にある、大きな岩場の下で一休みすることにした。この辺りの岩場で美味しい貝が獲れるらしく、料理長のギーから採取命令が下ったのだ。
 上手いさかなで一杯やりたい兄弟達は、この提案を喜んで受け入れた。重たいいかりを海底に沈めて錨泊びょうはくさせると、猟師に早変わりして次々と甲板に並んだ。網やもり、水銃やらを手にして、我先に海に飛び込んでいく。
 オリバーも飛び込むのを見て、ティカは興味深々で背中を追いかけたが、海に飛び込む瞬間、ロザリオに掴まった。

「やめとけ」

「えぇっ!?」

 ティカは、海面から顔を出して手を振るオリバーを指差し、不満そうにロザリオに訴えた。

「オリバーは獣人だからな。お前はやめとけ、ふかに食われるぞ」

 海面から突き出た不気味な背ひれを見て、ティカは大人しく引き下がった。鱶に齧られるのはご免だ。沖へ遠ざかっていくオリバーを眺めていると、ロザリオに頭を撫でられた。彼は意外と面倒見がよく、日頃からティカが甲板で右往左往していると、よく手助けしてくれる。
 未練たらしく船縁ふなべりにへばりついていると、サディールと数人の水夫達が畳んだ帆布はんぷを持って現れた。大きな白い帆布を索具に固定して、海へ投げ入れる。

「ほら、青空風呂だぜ。こっちなら入ってもいいぞ」

「白い帆もあるんだね」

 サディールは笑った。

「まぁな。外側が真っ黒な分、中くらい明るくしないとな。廊下の帆布も、ハンモックだって白いだろ」

 海に浮かぶ即席プールを見て、甲板に出ていた水夫達は歓声と共に飛び込んだ。中には素っ裸になって、急所丸出しで飛び込む男もいる。
 その様子を笑いながら眺めている女性船員の姿を見て、ティカはぎょっとした。

「ちょっと、皆っ!!」

 慌てて注意しようとするティカの右肩を、ロザリオは宥めるように叩いた。更に左肩を、見たことのない女性に叩かれた。
 シルバーブロンドをボブカットで整えている、金緑瞳の勝気そうな美女だ。全体的な色合いがプリシラに似ている。殆ど裸同然の恰好をした薄着の女性は、兄弟達の浮かんでいるプールに飛び込んだ。

「えぇっ、ていうか誰っ!?」

「ジゼル。少年の夢を壊すのは忍びないが……うちの船に乗ってる女を、陸の女と同じに考えるな」

 ティカが口を開けて唖然としていると、今度はシルヴィーがやってきた。麦酒ビールを飲みながらプールに浮いている兄弟達を呆れたように見下ろす。
 ヘルジャッジ号の乗組員クルーは気のいい連中ばかりだが、ティカは今でもシルヴィーが苦手だった。最初の印象が強烈で、傍に立たれると無条件に委縮してしまうのだ。

「お前達、それで風呂に入ったつもりか? え? せっかくシャワールームがあるのに……嘆かわしい」

「いぇーぃ!」

 兄弟達はシルヴィーの冷たい一瞥にも怯まず、弛み切った返事で応えた。余程、海の風呂が気持ちいいのだろう。

「風呂に入らない奴は航海契約違反だ。減給対象だからな」

 シルヴィーは嫌そうに顔をしかめた。釘をさすことも忘れない。兄弟達は、うぇーぃ……とさっきよりも気落ちした返事で応えた。
 ティカもシャツを脱いで下履きだけになると、勢いよく海に飛び込んだ。日射しに温められた海水は暖かいくらいだ。
 大の字になって、ぷかぷかと海の上に浮かんでみる。
 澄みきった碧空、白い雲。カモメが優雅に飛んでいく。
 涼しげな波の音。遠くの海面ではイルカが跳ねている。
 ゆったりとした贅沢な気分。忙しい時もあるが、海賊船は最高だ。
 ティカはいい気持ちで、しばらく海に浮かんでいた。

 +

「おぅおぅ! 北から、ジョー・スパーナの傘下がおいでなすった」

 檣楼トップで見張りについていた水夫が声を上げた。
 ヘルジャッジ号よりも小型の三本帆柱マストの快速帆船だ。ブラッキング・ホークス海賊団の海賊旗ジョリー・ロジャーを掲げているが、近付いてくるのは一隻のみである。
 休暇を満喫していた兄弟達は、素早くプールを片づけた。やり合うならいつでも、と闘志を漲らせて舷側げんそくに控えている。
 報告を受けて、間もなくヴィヴィアンも主甲板に上がってきた。

「ヘルジャッジ号が錨泊してるからって、測深もせず近付いてくるとは……油断してるねぇ」

 ヴィヴィアンは彼方の水平線を眺め、余裕の表情で呟いた。

「船乗り失格だな。で、どうする?」

 応えるシルヴィーにも緊張感は見られない。サディールやロザリオも然り。皆、敵船を前にして、泰然とヴィヴィアンの指示を待っている。

「遊んであげようか。――諸君! 夕飯調達するついでに、あいつら挑発してきな」

「アイ、キャプテンッ!」

 海から顔を出していた兄弟達は、はりきって返事した。甲板で様子を見ていた兄弟達も、武器を手に取り、我先にと海に飛び込んでいく。
 しかし武器と言っても大砲も機関銃もない。まさか、銛や水銃で、大砲を積んだ武装船に挑むつもりだろうか?

「皆、何する気?」

「親切な水先案内人さ。こっちへおいでーってね」

 おどけるように、ヴィヴィアンは微笑んだ。

「戦うんですか!?」

「いいや。この辺りは暗礁だらけなんだ。おびき寄せて座礁させる」

 兄弟達は、海面から顔を出して、敵船に向かって野次を飛ばし始めた。中には、尻を向けて叩いている者もいる。しまいには水銃や銛で相手の船腹を攻撃し始めた。なるほど、親切な水先案内人……
 敵船の甲板部員達は、喚きながら応戦してきた。長い銃口を向けて狙いを定めている。

「まずいんじゃないのっ!?」

 次々と発砲音が鳴り、ティカは青褪めた。ヴィヴィアンは、まぁ見てな、と余裕の表情を浮かべている。
 確かに兄弟達は水中を魚みたいに泳ぎ回り、少しも危なっかしくなかった。うまく立ち回って上甲板の敵を翻弄している。背を見せてヘルジャッジ号に逃げ帰ろうとすると、敵はすかさず船首を向けて追い駆けてきた。

「――ほら、食いついた」

「あっ!」

 ぐいぐい岩場に近付いてきた敵船は、鈍い音と共に震動して、海上でピタリと止まった。ヴィヴィアンの言った通りだ。

「あれは竜骨キールが食い込んだな。同情はしないが、頑張れ……まぁ大人しく満潮を待てば、そのうち離礁できるだろう」

 シルヴィーは淡々と呟いた。敵を翻弄していた兄弟達も、それぞれ網を肩に担いで船縁をよじ登ってきた。皆、満面の笑みを浮かべている。

「よし、出発しよう」

 ヴィヴィアンが合図すると、サディールは濁声だみごえで叫んだ。

「野郎共っ、錨を上げろぉっ! 飯の前に船動かすぞ!!」

「アイッ」

 体格のいい水夫達が錨鎖びょうさを巻き上げ、畳んでいた帆を次々に広げていく。ヘルジャッジ号はゆっくり抜け道に向かって舵を切った。無情にもその航路は、甲板で右往左往している敵船の、殆ど眼と鼻の先であった。