メル・アン・エディール - 無限海の海賊 -

1章:出会いと出航 - 6 -

 ヘルジャッジ号に乗せてもらえる!
 ティカは期待に胸を膨らませながら、ヴィヴィアンを見あげた。伸ばされた手に、乱れた髪を梳かれる。砂でもついたのか、彼は眉をしかめた。
「汚れてるなぁ……よし、ついておいで、浴室に案内してあげる」
 ヴィヴィアンはティカの肩に腕を回した。そのまま甲板を横切ろうとすると、シルヴィーが不服そうに呼び止めた。
「おい、上甲板に入れるつもりか?」
「今日だけだよ、いいだろ? 部屋にいるから荷積みよろしく」
 ヴィヴィアンは委縮するティカの肩を抱いたまま、ひらひらと手を振って、上甲板の扉を開いた。
 賑やかな甲板と違って、帆布はんぷの張られた通路には誰もいない。真っ直ぐ進むと、焼絵硝子のはめこまれた、美しい扉が見えてきた。
「ようこそ、船長室キャプテンズデッキへ」
 彼は、片手で恭しく扉を開くと、もう片方の手でティカの背を押して、なかへと招き入れた。
「うわぁ……」
 扉にかけられた硝子のウィンドウ・チャイムが、涼やかな音色で迎えてくれる。
 今までに見た、どんな部屋よりも豪華で美しい。幸福館で一番の客室だって、こんなに素晴らしくはないだろう。
 床は白を基調とした、草花の流麗な唐草模様のアラベスクが施され、星型にり貫かれた天上装飾には、きらきらと満点の星が瞬いている。描かれた星の一つ一つに宝石があしらわれた、大変に豪華なものだ。
 部屋をぐるりと囲う窓からは、燦々さんさんと外光が差しこみ、部屋を明るく照らしている。
 数種類もの大理石。格調高い飴色の調度品。ふかふかの絨緞。上品なローズ・ウォーターの香り……
「すごい……王様の部屋みたいだ」
「もっといい趣味だと思うな」
 目に映る全てを新鮮に感じる。ティカが夢中で眺めていると、ヴィヴィアンは小さく笑った。
「ティカは、不思議な子だね。影も形もなかった突然の嵐も、もしかしたらパージ港へ寄れっていう、女神の思し召しだったのかな」
「そうだ、海軍基地はすぐそこなのに、堂々と停泊して大丈夫なんですか?」
 ふと閃いてヴィヴィアンを振り向くと、彼は顔色を変えずに穏やかに頷いた。
「平気さ。この船はロアノス公認の私掠しりゃく船なんだ。俺の名前は知ってたのに、それは知らないの?」
「僕、頭よくないから……」
「落ちこむ必要はない。今知ったのだから」
 私掠船とは何のことだろう? ティカの疑問を読んだように、ヴィヴィアンは頷いた。
「この船は、ラファエリ国王の発行した、公式の敵国船舶略奪せんぱくりゃくだつ許可状を持っているんだよ。“余はここに、ロアノス海域、すなわちガロ=セルヴァ・クロウ連合王国に対し、海上または陸上において、我等の敵を退治する許可を与える。よって、戦利品の分配について、なんじらは国家と等分の分け前を与えられるものとする”……ってね」

「……」
 正直、全く判らなかったが、ヴィヴィアンはサーシャと同じように、頭がいいのだということだけは判った。
「……要は、都合のいい許可状を持っているおかげで、ロアノス海軍も怖くないんだ。船首に国旗も掲げているんだよ。見なかった?」
 ようやく理解した。ロアノス海軍が傍にいると知っていても、堂々と停泊できる理由を、この素晴らしく恰好いいキャプテンは持っているらしい。
「その……なんとか許可状を、他の海賊は持っていないんですか?」
「敵国船舶略奪許可状。そりゃ、他にも持っている海賊はいるさ。港に停泊しているところを、見たことがないわけじゃないだろう?」
「いいえ、今日初めて見ました。僕、今日初めて幸福館の外へでたんです」
 ヴィヴィアンは驚いたように目を瞠った。
「冗談だろう?」
「いえ……」
「本当に?」
「はい」
「それはそれは……少年ティカの門出を祝ってやらなくちゃ」
 彼は愉しげに笑った。魅力的な笑顔に、ティカの胸はぽわーっと暖かくなる。
「船に乗せてくれて、本当にありがとうございます」
「喜んでもらえて、嬉しいよ」
 嬉しいのはティカの方だ。心から感謝の気持ちをこめて見あげていると、見てごらん、とヴィヴィアンは首から下げた羅針盤の蓋を開けてみせた。
「これは特別な羅針盤でね。ここへくる途中、ジョー・スパーナと一戦交えて手に入れたんだ」
「ジョー・スパーナ! ブラッキング・ホークス海賊団の!?」
 思わず上擦った声がでた。ジョー・スパーナといえば、無限海に名を轟かせる大海賊の一人だ。幸福館が星の数ほど建てられそうな、莫大な金額をかけられた賞金首でもある。
「その通り。しつこいったらなくてね、嵐に便乗してユーマリー海で撒いてきたんだ」
「すごいっ!」
「ふふん。ただ、針がぴくりとも動かなくてね。諦めかけてたところに、ティカが命を吹きこんでくれたんだ」
「僕?」
「そう、君だよ。ティカが元気よく、働かせてくれって叫んだ途端、急に針が動きだしたのさ。今もきちんと方位を教えてくれる。一体どんな魔法を使ったの?」
「これ……時計じゃないんですか?」
 真鍮製の羅針盤は綺麗だけれど、呪文みたいな文字盤や無数の歯車たちが複雑に組まれて、とても難解だ。これを見て、何かしらの答えを得られるだなんて、とても信じられない。
「違うよ。これは、とある特別な場所に辿り着くための道標みちしるべ。でも使えないんじゃ意味がないし、仕入れもあるし、お宝探しは我慢するしかないかなーって諦めかけていたんだ。そこへ、ティカが幸運を運んできてくれた」
「僕?」
 ヴィヴィアンは機嫌良さそうに笑った。
「そうだよ、”僕”! 羅針盤は動きだし、七日も吹き荒れた嵐は消えた。次の航海には、絶対につき合ってもらわないと。ヘルジャッジ号は揺れもないし、乗り居心地は最高だよ。楽しみにしているといい」
 いかにも楽しげな口調で勧誘されて、ティカは目を輝かせた。
「特別な場所って? どこを目指しているんですか?」
 ヴィヴィアンはほほえんだ。
「後でゆっくり教えてあげる。先ずは風呂だ」