HALEGAIA

8章:俺たちの日常 - 2 -

 昼休み。
 陽一は屋上に続く階段上で、ミラの隣で昼寝していた。この時期は外だと寒いので、屋内で昼寝しているのだ。
 夢ではよくあることだが、全く知らない場所にいた。家具のないシンプルな八畳ほどの洋間で、ブラインドから射しこむ光の筋に、塵が煌めいている。
 頭がぼんやりして、躰が動かない。動けない……縄で椅子ごと縛られているらしい。
 男が近づいてくる……顔に影が射して表情は判らない。目元が少しだけ見える。どこかで見たことがあるような……既視感の正体を突き詰める前に、男が大きな手を伸ばしてきた。
 ぞわっと総身の毛が逆立った。ものすごい恐怖がせりあがってきて、やみくもにもがこうとするが、躰を固定する縄は強固で、ちっとも動けない。おまけにガムテープで口を覆われているから、叫ぶこともできない。
 逃げなければという焦りのなか、頸に紐が回された。ぐっと引き絞られた。凄まじい力、骨が折れそう!
 耐え難い苦痛のなか“死”という言葉が意識の奥深くで閃いた。
 そこで目が醒めた。
 すぐに夢だと判ったけれど、現実に戻ったばかりで、心臓はまだ烈しく動悸している。
「陽一?」
 ミラは心配そうな顔で、陽一の背を撫でた。
「は、夢で良かったぁ~……」
「どんな夢?」
「殺される夢……すげぇ生々しかった。やべー、心臓バクバクしてる」
 ミラは陽一の腰を抱き寄せると、ちゅっと額にキスをした。
「そういうときは、刻印スティグマで僕を呼んでください。陽一がどこにいても助けてあげるから」
「マジ? 夢のなかでも?」
 陽一は目を丸くして訊ねた。
「夢のなかでも」
「マジか。すげーな……」
 昼寝を続ける気にもなれず、少し早めに教室に戻ることにした。クラスメイトはまだ弁当を広げていて、陽一とミラを見て、あれっという顔をした。
 自分の席に戻った陽一は、鞄からポッキーを取りだすと、先ほどのミラの言葉に対する御礼のつもりで、彼にさしだした。
「食べる?」
 あー、と口をあけるので、陽一は一本手にとり、ミラに食べさせた。すごく嬉しそうだ。
「僕も、チョコレートを持っていますよ」
 そういってミラは、鞄からチョコ菓子をとりだした。細長い箱に六個の丸いチョコが並んでいる。
「くれるの?」
「どうぞ。ロシアンですけど♡」
「何が入ってるの?」
 陽一は警戒気味にチョコを凝視した。外見は全く一緒だ。
「六個のうち五個が、えっちな気分になるチョコレートです」
「何だそれ、あやしいな。確率高過ぎンだろ」
 会話が聞こえたらしい、栗原と星が近づいてきた。
「えー楽しそう、私も参加していい?」
 栗原が手を伸ばそうとするので、陽一は焦ってチョコの箱を取りあげた。栗原は強引に取ろうとはせず、笑っている。どうやら本気で食べるつもりはなさそうだ。
 星も笑っていたが、ふと真面目な顔つきになり、陽一を見た。
「遠藤君、さっき美術室でなんか視たでしょ」
 陽一は目を丸くした。そういえば星は霊媒体質だった。
「星も?」
「うん。なんかいる・・・・・、って判る程度だけど」
「俺はだいぶはっきり視えて……小さな女の子だったよ。視ちゃったせいか、さっき昼寝したら悪夢見てさぁ」
 思いだして顔をしかめる陽一を、星は気の毒そうな表情で見た。
「遠藤君、ああいうの正面から視ない方がいいよ。粘着されることもあるから」
「うん」
「ウチから訊いておいてアレだけど、あんまり思い返さない方がいいかも。引き寄せちゃうと怖いし」
「うん……」
 そのとき、チャイムが鳴った。思わず陽一はびくっとして、星も少しびっくりしていた。結局、ロシアン・チョコは誰もチャレンジすることなく、ミラにつき返された。
 午後の授業、陽一は上の空だった。思い返さない方がいいと忠告されたが、どうしても考えてしまう。
(なんか見覚えあるんだよな、あの子……もしかして理沙の友達とか? ……なわけないか)
 判らない――けど――不安の影の向こうから、答えが覗いているような気がする。あとちょっとで見えそうなのに、正体が判らない……
 靄がかったような不安は尾を引き、次の日も、その次の日も、陽一は低迷気味だった。
 もう悪夢を見ることはなかったが、神経が張り詰めていて、視界を掠めるものがある度に過剰反応してしまう。部活もいまいち身が入らず、健康が取り柄なのに、食欲不振に陥っている。
 家でも元気がでなくて、昨日も修学旅行の準備でバタバタしている妹に、お土産は何がいいか訊かれたが、適当に返事をして怒られてしまった。

 木曜日。
 今日は部活もないので、ミラの別荘で遊ぶことになった。
 ソファーで寛いでいると、母からLINEで、ミラを夕飯に誘ってみたらどうかと訊かれた。
 今夜は妹が修学旅行で、父も帰りは遅いだろうから、久しぶりに母とふたりきりだ。ちょっと寂しいなと母も思ったのかもしれない。
「スマホは禁止ですよ。映画観賞会なんですから」
 ミラはプロジェクターを起動し、真っ白な壁に映像を投影しながら陽一に注意した。
「ミラ、今夜うちで夕飯食べる?」
「食べます」
 ミラは相好を崩して即答した。
 高品質スピーカーから映画のBGMが流れると、陽一は姿勢を整えた。ふかふかのソファーにクッション、ポップコーンにチップス、コーラもある。準備OKだ。
 なお、陽一の希望により、アメコミヒーローのハリウッド作品の上映会である。
 映画が始まると、ミラは陽一に頭をもたせかけてきた。さらさらの黒髪が頬に触れて少しくすぐったい。片手でミラの髪に触れると、指の合間をすべりおちる。柔らかで繊細な髪だ。
 もっと、というようにミラは頭を陽一の肩に擦りつけてきたので、映画見ろよ、と陽一はミラの髪をぽんと撫でて、手を離した。
 しばらくすると肩が疲れてきたので、陽一は、こてっとミラの頭に自分ももたれた。ミラの鼓動が少し速くなったような気がする。
 またしばらくして、今度はミラの肩に陽一がもたれると、ミラは映画を眺めながら、無意識に陽一の髪を撫でたりする。
 そうされると、陽一の胸は高鳴った。もっと濃厚なこともしてきたのに、こんな風に、お家デート風な雰囲気が恋人っぽくてドキドキする。
 映画が終わるまで、時々姿勢を変えつつ、ずっと寄り添っていた。
 エンドロールが流れると、陽一は座ったまま、大きく伸びあがった。
「面白かった?」
 陽一が訊ねると、ミラは甘えるように陽一に抱きついてきた。
「天使がただ悪魔に打ち勝つ設定には、もう飽きました。でも熱心に見ている陽一はかわいかったです」
「正義は勝つんだよ。まぁ、約束された結末だよな。でも俺は面白かったよ」
 笑ったら腹が鳴り、陽一は手で腹を押さえた。
「なんか腹減ったな、食欲が戻ってきたかも。今夜は鍋だって……」
 スマホをいじりながら陽一は、ふと、ミラを最初に招いた夜を思いだした。あの夜もチゲ鍋で、家族とミラで食卓を囲んだっけ。ミラは美味しそうに食べていて、和気藹々とした空気で、テレビニュースが流れていて――

“小学二年生の女の子が行方不明……”

 心臓が停まりそうになった。
 都内で騒がれている少女失踪事件。テレビに映された女の子の写真――あの子・・・だ。