HALEGAIA

6章:悪魔トランス - 4 -

 その日の夜、高柳翔からLINEで連絡があった。
“淳平が怪我をして、全治三週間で入院することになりました。明日、俺と信也で病院にいってきます”
「えっ……」
 陽一はスマホの液晶画面を凝視しながら、二・三秒ほど思考が停止した。
 少しずつ回転を始めた思考回路で、放課後のバンド練習のことが思いだされた。今日は・・・異変らしい異変もなく、夕方まで練習に熱中して、笑って解散したのに――その後で、長谷川先輩が事故に遭ったなんて信じられない。そもそも本当に事故なのだろうか? 厭な感じがする……
 自分も見舞いに行きたいと返事すると、すぐに了承の返事がきた。ミラにもLINEで伝えると、ゆるキャラのふざけたスタンプが送られてきて、なんだか気が抜けた。
「スマホ使いこなしてるじゃん」
 くちにしながら、久しぶりに、舌のうえの刻印スティグマを意識した。日本に戻ってからは、文明機器のおかげでまだ一度も使っていない。ひょっとしたら、もう、この先使うことはないのかもしれない。

 翌日の放課後。
 陽一とミラは陸上部を休んで、校門に向かった。すでに茂木信也と高柳翔がきていて、クールな茂木はともかく、いつでも元気な陽キャの高柳が、沈んだ顔をしていた。
「淳平さ、昨日学校から帰る途中、歩道橋の階段で転んで、脚を骨折したって。リハビリも必要だし、文化祭は無理みたい」
「それは、大変ですね……」
 陽一も沈んだ声になる。高柳は内心の葛藤をもて余すように、頭をがしがしと掻きながら、
「せっかくふたりを誘ったけど、ベースもいないし、文化祭を辞退しようか迷っているんだ」
「えっ、そんな……あの、良かったら俺がベースやりましょうか?」
 陽一は申し出たが、高柳の表情は浮かばない。
「ありがとう。遠藤君ならできると思うんだけどさ、なんかふたりも体調を壊しちゃって、運が悪いっていうか、縁起が悪いっていうか……これ以上メンバーに何か起きたら……って思うと怖くなっちゃって」
「お前は考えすぎなんだよ」
 茂木が肩を叩くと、悪い、と高柳は力なく笑った。
「ごめん、後で話そ。いこっか」
 陽一は曖昧に頷いた。かける言葉を思いつかなかったのだ。いわゆる“ジンクス”を信じていないが、魑魅魍魎が存在することは知っている。だが、考えすぎではないと伝えたところで、解決策があるわけでもないのだ。
 高柳は、足取りの重い陽一を振り向いて、にっと笑った。
「変な話してごめんな、俺もちょっと冷静じゃないみてーだ。淳平の見舞いが終わったら、もう一遍考えてみるよ」
「はい」
 陽一は、そう返事するのが精一杯だった。
 それぞれに思うところがあり、バスのなかで会話は皆無だった。
 バスは十五分ほどで、病院前の大きなロータリーに停車した。この辺りで一番大きい総合病院である。
 ここでもミラの美貌は視線を集めたが、さすがに病院で騒ぎたてるような人はいなかった。ただ恍惚と見惚れているばかりだ。当の本人は押し寄せる秋波に無関心だが、行動を共にしている陽一を含め、高柳と茂木はそわそわさせられた。
 長谷川の病室にいくと、いやに病室が暗い。電気は点いているものの、青いカーテンがしまっていて、閉塞感がある。
 重く陰鬱な雲でも垂れこめているような病室で、淳平はひとり寝台に脚を固定された状態で、力ない笑みを浮かべていた。
「きてくれてありがとう。ごめん、こんな大事な時に……」
「いいよ、怪我治す方が大事だよ。痛々しいな」
 ギプスを見ながら、高柳がいった。
「てか、暗くね?」
 カーテンに寄ろうとした高柳に、待って、と長谷川は弱弱しい声をかけた。
「明るいの、苦手なんだ」
「ごめん」
 ぱっと高柳はカーテンから手を離した。
 よどんだ空気、覇気のない長谷川の様子に、陽一は少し奇異な感じをもった。
「長谷川先輩」
 悪いものを祓う気持ちで、意図して長谷川の肩に手を置くと、触れる瞬間、全身が総毛立ち、頭のなかがきーんと鳴った。掌に感じる熱が、黄金の加護が働いていることを教えてくれる。一秒、二秒、三秒……念のため、もう少し待ってみる。
「……遠藤君?」
 訝しげに訊ねる長谷川の瞳は、澄み透っている。そう確信してから、陽一は手を離した。もう大丈夫、という気持ちで笑みかける。
「いえ、やっぱりカーテンあけましょう」
 長谷川は呆けたような顔をしていたが、陽一がカーテンをあけるのを今度は止めなかった。
 病室に夕陽が射しこむと、皆がほっとした顔をした。黄金色の光が、陰鬱な空気を洗い流していくように思えた。
「痛むのか?」
 茂木が心配そうに訊ねた。
「今は薬効いているから、平気。切れると辛いんだけど」
「そっか」
「……皆、ごめんな。ベースいなくて平気か?」
 気遣わしげに長谷川が訊ねると、高柳は腕を組んで、うーんと唸った。
「遠藤君はベースやってもいいっていってくれたけど、俺、遠藤君のギター好きなんだよね。このままツー・ギターでやろう」
 その答えを聞いて、茂木も陽一も安堵の表情を浮かべた。ここへくる途中、文化祭を辞退するか迷っていると話していたが、前向きになったようだ。
「クッソー、俺もでたかったなー」
 長谷川が悔しそうに呟いた。
「ホント、このタイミングで骨折とか」
 高柳はどこか芝居しみた仕草で、ぺちんと額を叩き、天井を仰いだ。
「ごめんなあ」
 しょんぼり謝る長谷川に、高柳と茂木がかわるがわる励ましの言葉をかける。残念な事態ではあるが、お互いを思いやる暖かさがあった。
 次第に雑談も明るさを帯びてくると、頃合いを見て、陽一は席を立った。
「すみません、少し外します。ミラ、ちょっといい?」
 病室をでて休憩室までいくと、陽一はミラを仰ぎ見て訊ねた。
「長谷川先輩の怪我、悪霊の仕業?」
「半分は」
「半分? あとの半分は?」
「因子は魔界ヘイルガイア産の魑魅魍魎ですが、肥大化させたのは長谷川自身ですよ。物のというのは、邪気をかてに育つものです」
魔界ヘイルガイア産って、でも、魔界ヘイルガイアは閉じているんじゃないの?」
「閉じていますが、極小の禍乱からんの種子は、隙間をすり抜けていくものです。人間が大気中の原子を気に留めないのと同じで、神も悪魔も吹けば飛ぶような悪因子は放置しています」
「ウィルスかよ」
 陽一は嫌そうな顔をした。
「その通りですね。感染して平気な人間もいれば、死んでしまう人間もいます。個の精神力と生命力次第ですね」
「長谷川先輩は、免疫力が低かったということ?」
「彼の場合は、注目されたい、支持されたいという欲求が強すぎたんじゃありませんか?」
 確かに、長谷川の動画やSNSの更新は過剰気味だ。日常のあらゆる場面で写真を撮りSNSにアップしていた。
「じゃあ、欲求をどうにかしないと、また感染する可能性がある?」
「そうですね。まぁ、当面は大丈夫じゃないですか? 陽一が祓いましたし」
 やっぱり俺が祓ったのか、とあらためて実感しながら、陽一は疑問を口にした。
「……でも、高柳先輩は?」
 そもそもの原因は、高柳の引き寄せ体質だ。彼が周囲に影響を及ぼしているのだ。
「――俺の話?」
 陽一は弾かれたように振り向いた。不審そうな、強張った顔の高柳がそこにいた。
「俺って変だと思う?」
 質問の意図をはかりかねて、陽一は黙ってしまう。高柳は、ふっと視線を逸らした。
「関係ないと思う……思いたいんだけど、最近、俺の周りで良くないことが起きるんだ」
 蒼褪めた顔で、高柳は手で口元を覆った。
「やべー……口にすると、そうだな・・・・って気がしてくる。部員が減ったって、前に話したじゃん? ここ一ヶ月で、六人も辞めたんだ。友達が辞めたからっていう理由で辞めた奴もいるけど、いきなり不登校になったり、事故で入院した奴もいるんだ。なんか……おかしくね?」
 低く消え入る声に、陽一はぞくっとした悪寒を感じた。ちらっとミラを見てから、視線を高柳に戻した。
「先輩って、霊感強いんですか?」
「いや、べつに……霊とか見たことないし」
 本人に自覚はないらしい。しかし、彼の引き寄せ体質はやっかいだ。陽一が傍にいれば、なんとかできるかと思ったけれど、甘かった。
 高柳は疲れたように、コキコキと肩を鳴らした。
「……霊感はないけど、明日、火神先生の実家で御祓いをしてもらうんだ」
「え?」
 脈絡のなさに、陽一は面食らってしまう。
「火神先生って陰陽師の家系らしいんだ。前に御祓いした方がいいって声かけられたことがあってさ、その時は笑い飛ばしちゃったんだけど、昨日淳平の事故を聞いたら、怖くなっちゃって……それで今日、昼休みに相談しにいったんだ。そしたら、実家に話は通しておくから、土曜日にこいっていわれて」
「そう、なんですか……」
 火神司先生。どこか翳のある、独特の雰囲気がある人だと思っていたが、陰陽師の家系とは知らなかった。
「十代は特に多感ですからね。霊媒体質の人間は別に珍しくもありませんし、気にする必要はありませんよ」
 と、ミラがくちを挟んだ。
「ありがと、魔王様」
 高柳は力なく笑っている。
「あの、先輩。明日、俺も一緒にいっていいですか?」
「いいけど、陸上部は?」
「休みます。先輩の方が気になるし」
 隣でミラがむっとしているのが判ったが、陽一は視線で反論した。
「明日、信也もくるんだ。良かったら魔王様もくる?」
 ミラが答える前に、いいえ、と陽一が答えた。
「ミラがきたら、御祓いに支障でると思うんで! 留守番していてもらいます」
 祈祷や御祓いを生業にしている家に、悪魔を連れていくわけにはいかないだろう。
「僕もいきます」
 ミラは不満そうだ。
「だって御祓いだぞ? ……やべーだろ、さすがに」
 霊云々の前に、ミラが御祓いの対象にされる。そして返り討ちにするところまで視える。
「面白そうだから一緒にいきます」
「遊びじゃねぇんだぞ、先輩の命がかかってるんだ。絶対についてくるなよ」
 胸に指をつきたてると、ミラの表情が、みるみる不満不愉快不興げに変わっていく。気のせいではなく周囲の温度がさがるのを感じて、陽一は慌てた。
「お願い、ミラ。この埋めあわせはするから」
 上目遣いで手をあわせる陽一をしばし見つめ、ミラは不機嫌オーラを漂わせながらも、仕方なさそうに嘆息した。
「……約束ですよ」
 不承不承に頷くミラを見て、高柳が茶化した。
「仲がいいなぁ、ふたりとも。さすがソウルメイト」
 陽一が微妙な顔つきで黙ると、ちょうど茂木が呼びにやってきた。そろそろ面会時間が終わるらしい。
 皆で病室に戻って長谷川に挨拶をしたあと、バス亭の前で解散した。陽一は明日の練習の分もかねて、このまま走って帰るつもりだ。
「魔王様も走って帰るの?」
 高柳が意外そうに訊ねると、ミラは頷いた。
「陽一が走るから」
 シンプルな回答がツボに入ったのか、高柳は笑っている。
「じゃあ、また明日!」
 そういって走りだそうとする陽一に、遠藤! と茂木が声をかけた。
「明日、無理しなくてもいいんだぞ」
 陽一は足踏みしながら、頸を振った。
「いえ、俺も気になりますから」
「……わかった」
 そういって、茂木も手を軽くあげた。陽一も軽く手をあげて、
「また明日!」
 今度こそ背を向けて走りだした。