HALEGAIA

6章:悪魔トランス - 2 -

 木曜日。放課後。
 陽一はミラと一緒に、軽音部の部室を訪れた。扉は開いていて、覗いてみると高柳と目があった。
「いらっしゃーい、待ってたよ~!」
 小走りにやってきた高柳は、にこやかに陽一とミラを迎え入れた。その溌剌とした笑みを見て、陽一は密かに安堵する。先日は彼の傍に黒い靄が見えたのだが、今日は大丈夫そうだ。
「ふたりとも、きてくれてありがとう。もうひとり、ベース担当を紹介しようと思ったんだけど、文化祭の打ちあわせで、後から遅れてくると思う」
 高柳の言葉に、判りました、と陽一は会釈で応えた。
「お邪魔しまーす……」
 部室は薄灰色の防音壁に囲まれていて窓がなく、様々な楽器や機材、ピアノ、ドラムセット、一二弦ベース、フェンダー・ストラトキャスター、ギブソン・レス・ポール、ベースアンプ等があった。
「遠藤君、ギター持ってきてくれたんだ?」
 興味津々といった顔で高柳は、陽一の背のギターバッグを見つめていった。
「はい、家にあったんで」
「見せてもらっていい?」
「もちろんです」
 陽一が背負っていたバッグからフェンダーのエレキギターを取りだすと、おおっと高柳は声をあげた。
「フェンダーじゃん!」
「父のおさがりですけど」
 照れながら陽一が答えると、高柳は驚いた顔をした。
「へー、お父さんもギター弾くんだ?」
「はい、叔父がジャズバーを経営しているんですけど、そこで父も月に一回か二回、フォークで演奏しているんです」
「へ~! いいね、俺もアコギ好きだよ。じゃあ、ギターはお父さんが教えてくれたの?」
「はい、ギターは父から教わりました。音楽の知識とかは叔父から」
「え、サラブレッドじゃん。遠藤君はどんな音楽を聞くの?」
「色々なんですけど……小さい頃は、父が聞いていた民族音楽とかラテン系を聞いていました。Rodrigo y Gabrielaとか。あと、叔父の趣味でオーケストラやジャズも聞いていました。Chick Coreaの曲とか練習させられた事あります。そのうちEDMにはまって、AvichitとかAlan Wakerとか……あと、シンフォニック・ロックサウンドのゲーム音楽も好きですよ。なんか、雑食ですよね」
 あは、と陽一は笑う。子供の頃からバンド演奏しているふたりを見て育った陽一は、根っからの洋楽少年だった。Ian HunterやMick Ronsonのギターは好きで、真似した記憶がある。他にも影響を受けたアーティストは多いが、なんといってもルーツは父だ。普段はどこか抜けている父が、生ギター一本で、変速チューニングで弾く姿は、子供の陽一の目に、まさしくヒーローのように映っていた。
「あの、先輩の配信見ています」
 高柳は、アニソン編曲家アレンジャーという名前で活動している。名前の通り、数々のアニソンの名曲を様々なテイストで編曲していて、自分もラップで歌っていたりと多才だ。リスナーも一万人を越える、なかなかの人気配信者である。
「ありがと。俺、制作が好きで、独学だけどDescTopMusicDTM勉強してるんだ。ギター、ベース、パーカッションまで全部自分でPreProductionプリプロできるようになりたいんだよね」
 そういって高柳は、壁によりかかってこちらを見ている茂木を振り向いた。
「ドラムの信ちゃんはあちこちで助っ人やってたりして、ドラムの百戦錬磨なんだよ」
 にひっと高柳が笑うと、茂木は肩をすくめてみせた。
「最初はギターやりたかったんだけど、学生バンドってドラムやる奴少ないからな」
「でも今はドラム一筋でしょ」
「まーな」
 茂木の答えに高柳は満足そうな顔で頷いたあと、陽一とミラを振り向いた。
「それで文化祭でやる曲なんだけど、カバーやる予定の他のバンドが辞めちゃったし、俺らカバーやった方が盛りあがるのかもしれないけど、俺はオリジナルやるつもりでいたからさ~……譜面もあるんだ。例えばこれとか、BeatsPerMinuteBPM爆あげなやつ」
 手渡された譜面は、仰る通り、びっちり音符が書かれてた。人間に弾ける曲じゃねぇな、と思いつつ、陽一はどこかわくわくしながら最初のフレーズを鳴らしてみた。
 すると、高柳も弦をならした。ジャッ、と短いスタッカートのバッキングを繰り返しながら、陽一に目配せする。
「そうそう、そんな感じ。ちょっとあわせてみよ」
「はい」
 主旋律のリードギターは高柳にあわせて、陽一はリズムギターに徹した。子供の頃から、リズミカルな速弾きは散々練習していたので、初見でもなんとかついていける。
 痺れるようなドラムキックが入って、振り向くと、ドラムセットの前に茂木がいた。
 ビートがどんどんあがっていく。クラブサウンド向きなトランスと思ったけど、この曲はかなり速い。平均的なトランスBPMが一三〇前後だとして、この曲はさらに二〇はあがっていると思う。
 騒ぎたい、盛りあがりたい! という血気盛んなノリを満たしてくれるアップテンポな曲は、文化祭にあうかもしれない。
 そこで、鍵盤が加わった。
 上から華麗に下降するアルペジオに、全員が驚いた顔で振り向くと、Yamahaのトランスアコースティックピアノの前にミラがいた。超絶に細かい指使いで、力強い、けれども流麗なメロディが炸裂する。
「うぉー! あがる! 俺らギター多いから、キーボード欲しかったんだよ~!」
 高柳の顔が興奮に輝く。
 陽一もなんだか楽しくなってきた。ドラムのキックがいい感じに重くて、跳ねまわるピアノのヘッドアレンジにつられて、即興であわせているこっちも、どんどん体温があがっていく。
 ヘッドホンの閉じた世界とは違う、全身で音を感じる。筋肉の動きや、全身をめぐる血の流れ。輝かしい音の洪水に飲みこまれて、音楽が自分の躰を通り抜けて、すーっと力が抜けていくみずみずしい感覚。ひとりでは決して味わえない、音を重ねあわせる一体感に夢中になった。
 最後のシンバルが尾を引いて途切れ、演奏が終わったとき、メンバー全員と視線を交わした。心臓が早鐘を打ち、耳のなかにまで響いている。ミラを見ると、菫色の瞳が高揚感に煌めいているのが判った。陽一も思わずにっこりした。
 いつもひとりで弾いていたから、誰かと音をあわせるのがこんなにも楽しいなんて知らなかった。
「ふたりとも最っ高だよ! 魔王様、次は歌える!?」
 高柳が興奮気味に譜面を握って、ミラに詰め寄った。ミラは譜面をじっと見つめたあと、キーボードに手を置いて歌い始めた。完璧な発音と声で。
 一瞬演奏が途切れた。
 慌ててギターとドラムが鳴りだすが、高柳も茂木も、すっかり唖然としている。陽一はふたりの様子を観察する余裕はあったが、やっぱりミラの歌声に魅了されていた。
 判っていたことだが、悪魔は万能らしい。人間の声帯では不可能な低音から超絶高音、セクシーな裏声ファルセットまで変幻自在に操っている。人をとりこにする麻薬みたいな声だ。
 こんな風に歌うミラを見たら、全校生徒が発狂するんじゃなかろうか。文化祭だから人も大勢くるだろうし、SNSでもとりあげられて、ミラのファンが国際レベルで増えそうだ。
 初めての音あわせは大成功だった。
 その後、もう一度皆で音をあわせて、ミラはピアノ演奏しながら歌った。すごく楽しくて時間を忘れかけたが、外はもう暗くなりつつある。今度はキラキラとしたシンセの打ちこみサウンドも試してみようと次の約束をしつつ、名残惜しい気持ちで楽器を片付けていると、勢いよく扉が開いた。
「ごめん、遅くなった!」
 息を切らせて、背の高い二年生が部室に入ってきた。彼を見るなり、あーあ、と高柳は残念そうにいった。
「おっせーよ! もう終わっちゃったよ。魔王様も遠藤君も、すごかったんだぞ。強力な助っ人が加わったぞ!」
 ドラムの茂木も彼に近づいていって気安く声をかけているが、陽一は笑顔が強張るのを感じていた。彼の躰を、黒い靄が覆っているのだ。
「残念、俺も聞きたかったなぁ! 魔王様、遠藤君、きてくれたのにゴメン、次は絶対参加するから!」
 拝み手を向ける長谷川に、いえ、と陽一はぎこちなく笑み返した。
「俺はベースの長谷川、よろしく」
 大人びた仕草で手をさしだす長谷川を、陽一は一、二秒ほどじっと見つめてから、握手に応じた。触れる瞬間、手から淡い黄金の光が――神の加護が働くのを見た。
「ん?」
 長谷川が不思議そうに小首を傾げる。きょとんとした顔のまわりに、黒い靄はもう見えない。
 陽一は、笑ってごまかしながら、さりげなく掌に視線をやるが、黄金の光は消えていた。意識してやったわけではないが、除霊でもしたみたいだ。
「あの、壁の一二弦ベースは、長谷川先輩のですか?」
 話題を変えてみると、長谷川はそうだよといってほほえんだ。
「共用だけどね。マイ・ベース欲しくて、今バイトしてるんだ」
 楽器は何かと金がかかるものだ。陽一は頷きながら、部室を見回してみた。
「部室広いのに、人少ないですね」
 共用の楽器には限りがあるから、部員が多ければ取り合いになりそうだが、部室は閑散としている。今日も、この時間になるまで長谷川のほかに誰もこなかった。
 ふと、高柳の笑みが翳った。
「それが、先月から急に人数減っちゃってさ。せっかく部室綺麗になったのに」
「どうしてですか?」
「いや~……偶然っていうか、不運っていうか……ヴォーカルは急に声がでなくなるし、他のメンバーも体調不良で休んでたり、学校きてない奴もいるし……なんか、縁起悪いんだよなぁ。文化祭の前に、御祓いしてもらった方がいいのかも」
 ははは、と高柳は軽く笑うが、陽一は笑う気になれなかった。その硬い表情を勘違いしたのか、高柳は取り繕うようにつけ加えた。
「まぁ、ほんと偶々人減っただけだから。ビビらずに、また遊びにきてよ」
 今度は陽一も、にこっと笑った。
「はい、今日はありがとうございました。すごく楽しかったです。また木曜日に練習にきます」
「おう、よろしく! これ、譜面のコピー。データも送っておいたから、時間ある時に練習してみて」
「ありがとうございます」
 三曲分の譜面を、陽一はミラの分も受け取ると、燃やすな。しまえ。と目線で訴えつつ、片方をミラに手渡した。脅しが通じたのか、ミラはおとなしく譜面を鞄にしまっている。
「それじゃ、またきます」
 陽一が会釈すると、部室のなかから長谷川と茂木が、扉のしきいのところで、高柳が手を振って見送ってくれた。陽一はもう一度会釈してから、彼らに背を向けた。
 外はもう暗くなっている。スマホを見ると、もうすぐ十八時になろうとしていた。
「……ミラ」
 階段をおりながら、陽一はぼそっと呟いた。
「ん?」
「長谷川先輩、ひょっとして何かに憑かれている?」
「そうですね。ただ、原因は彼ではなく、高柳ですよ。彼は引き寄せ体質だから、彼の近しい者は影響を受けやすいのでしょう」
 思わず陽一は脚を止めた。
「……高柳先輩、先月から部員が減ったっていってたよね。ヴォーカルの人も急に声がでなくなったって……それって、もしかして」
 最後までくちにすることは躊躇われて、ミラを見つめると、菫色の瞳が静かに見つめ返してきた。
「陽一の想像した通りだと思いますよ」
「なんとかできない?」
「できますけど、支払いはどうしますか?」
「なんだよそれ!」
 眉をひそめる陽一に、ミラは肩をすくめた。
「悪魔は無償の慈悲なんて提供しませんよ。それに相応の対価を支払わないと、宇宙にひずみが生じます。悪魔の対価交換とは、遵法すべき金科玉条きんかぎょくじょうだということを覚えておくように」
 テストにでますよ、といわんばかりの口調だ。
「この間は、頼んでもいないのに宇宙を無茶苦茶にしようとしたくせに」
 うんざりしながら陽一が反論すると、ミラは肩をすくめてみせた。
「あれは興が乗っただけです」
「じゃあ、先輩を助けるには、どれくらいの対価が必要なわけ?」
「そうですねぇ。僕と一緒に、魔界のビーチに旅行にいきませんか? グラマラスな常夏を満喫しましょうよ」
 菫色の瞳が活き活きとしている。
「いかねーよ。文化祭の練習するんだろ。今日もらった譜面、ミラもちゃんと練習するんだからな」
「もう覚えましたよ」
 さらった悪魔がのたまう。
 万能な彼が憎たらしく見えて、陽一はそっぽを向いて、早足で歩き始めた。高柳たちのことは心配だが、これから顔をあわせることも増えるだろうから、今日みたいに陽一が異変に気がついて、力になれるかもしれない。誰に知られることもなく、いわゆる悪いものを、打ち消せればいいのだ。