COCA・GANG・STAR

1章:優輝と遊貴 - 8 -


 重く無気力な身体を引きずり、どうにか家に帰った。
 PCの電源を点けようとしたところで、手を止めた。スタートアップでスカイプが起動してしまう。友哉に酷い顔を見られたくない……昏いため息をつくと、優輝は布団に潜り込んだ。

「……ッ」

 激痛が走り、鈍い呻き声を上げた。全身が悲鳴を上げている。
 嗚咽が込み上げそうになり、歯を食いしばった。あんな奴等のせいで泣くのは御免だ。
 眼を瞑っていても、暴力の恐怖と苦しみは優輝をさいなんだ。身体が痛むから寝返りも満足に打てず、まんじりと過ごし、明け方になってようやく眠りに落ちた。
 泥のように眠り、眼が醒めた時には九時を過ぎていた。HRはとうに終わっている。
 慌てるのも馬鹿らしくなり、優輝は布団に潜り直した。ふて寝を決め込んでいると、楠にLINEで話しかけられた。

 “ユッキー。生きてる? 昨日、三商の連中が店にいったって噂を聞いたんだけど”

 “きたよ。金とられた”

 “ごめん! 俺の話を勘違いしたせいかも。別人だっていったのに、聞きやしねー”

 “もーやだ……”

 “あいつら、ユッキーの家を調べたっぽい。何人か、金稼ぎとかいって授業フケたから、気をつけて”

「マジかよ」

 思わず声に出た。
 どうやって、家を調べたのだろう。まさか……昨日、後をつけられていた?
 背筋がぞっと冷えた。
 慌てて窓のカーテンを引くと、玄関まで走り、鍵が掛かっていることを確認した。
 恐い――
 昨日の連中は、本当にここへやってくるのだろうか?
 考え出したら悪い想像が止まらなくなり、一歩も外へ出られなくなった。昼過ぎになり、腹が空いても優輝は家に閉じこもっていた。
 午後二時過ぎ。
 うとうとしているとインターホンが鳴った。一回、二回、三回――気持ち悪いくらい連続で鳴る。

「ひっ」

 優輝は耳を塞いだ。
 扉を叩く音、笑い声が聞こえる。ガチャガチャとノブを捻る音が聞こえて、いよいよ震え上がった。
 警察に通報するか迷っているうちに、音は止んだ。それきり静かになったが、優輝は布団から出ることができなかった。

 翌朝。
 外に誰もいないことを確認してから扉を開けると、扉や周辺の壁は、泥で汚れていた。
 散々、足で蹴られたせいだ。
 ボロボロに踏みつけられた扉を見たら、燻っていた怒りが再燃した。そもそも、自分は何も悪くないのだ。
 元凶である遊貴に、一言いってやらねば気が済まない。
 鼻息荒く登校したが、普段は優輝より早くきている遊貴の姿は見当たらなかった。そのうちくるだろうと思ったが、昼休みになっても現れず、クラスでボス格の女子に聞いてみると、

「視聴覚室だけどぉ……」

 含み笑いで応えた。思わせぶりな口調にピンときた。
 旧校舎の視聴覚室は、現在は使われていない。中から鍵をかけられるので、不良達の都合の良い溜まり場、ラブホテル代わりにされているのだ。人が悩んでいるというのに――

(糞ったれの、遊び人め!)

 内心で罵詈雑言を喚きながら、優輝は視聴覚室へ向かった。遠慮なく扉を引くと、あっけなく横にスライドする。鍵は掛けられていなかった。
 眼に飛び込んできた光景に、優輝は眼を瞠った。怒りも忘れて、呆然と立ち尽くす。
 遊貴は、あの小宮玲奈とキスをしていた。
 射光を浴びる二人は、絵になっていた。漂う空気は艶めいていて、美しくもある。
 キスシーンを見られても、二人は堂々としていた。
 焦る風でもなく、小宮は優輝に微笑みかけた。ウィンクすらしてみせる彼女は、優輝よりも遥かに大人だ。襟のリボンを直すと、軽い足取りで優輝の方へやってくる。
 顔を伏せたのは、優輝の方だ。
 床に眼を落としていると、風が流れて甘い香りが漂った。すれ違う瞬間、小宮はくすりと微笑した。
 後ろで扉の閉まる音が聴こえても、優輝は顔を上げることができなかった。

「優輝ちゃん、顔が真っ赤」

 濡れ場を見られたというのに、遊貴はどこ吹く風だ。余裕綽々よゆうしゃくしゃくの態度に、優輝は苛立ちを覚えた。

「ちょっといい?」

「いいよ」

 残り香に戸惑いながら、優輝はつかつかと窓辺に立つ遊貴の傍に寄った。

「また間違われたんだけど」

「え?」

「女絡みで、逆恨みの捌け口にされた」

「また? 大丈夫?」

 軽い調子に、眼裏まなうらが赤く染まった。腹の底から怒りが込み上げてくる。

「大丈夫じゃ、ねぇよ! 殴られて、蹴られて、俺、何もしてないのにッ!」

 目頭が熱くなる。慌てて眼をこすると、遊貴に腕を引かれた。甘ったるい匂いが漂い、ありったけの力で振り解いた。

「触んなッ! 初めてのお給料だったのに、取られたんだぞ! ふざけんなッ、遊貴がビバイル狩するのは勝手だけどな、俺を巻き込むなッ」

 悔しさのあまり、唇が戦慄わなないた。唇を噛みしめる優輝を見下ろし、遊貴は思案気に腕を組んだ。

「誰に絡まれたの?」

「知らない。女がどーのこーのって、三商の制服着てたけど」

 昨日といい今日といい、少なくとも、遊貴が遊んでるという噂は、本当だったわけだ。

「ん――……覚えがあり過ぎて、特定できないな」

「俺は、お前じゃないッ! サンドバックになるのは、もうご免だッ!」

「オーライ。いくら取られたの?」

「……俺、今回のこと、学校にもいうし、警察にもいうから」

「え?」

「正直、すごい怖い……一人暮らしなのに、あいつら家にもきたんだ」

「家に?」

「うん……もう無理。周りに相談して、助けてもらう」

「どう説明するの? カツアゲされたっていっても、学校も警察も大して力になってくれないぜ。むしろ、逆恨みされるのがオチだと思うけど」

「何もしないよりマシだろ」

「そんなことをしなくても、弁償するよ」

「は? 遊貴が?」

「いくら取られたの?」

 財布を取り出そうとする仕草を見て、優輝の頭は沸騰した。

「いらねぇよッ!!」

「遠慮しないで。迷惑料だから」

「金もらったって……ッ、俺がどんなに不安か、お前、判んないんだろ」

 声が潤みかけて、慌てて顔を伏せた。嗚咽を漏らすまいと歯を食いしばっていると、腕を引かれて抱き寄せられた。抜け出そうともがけば、更に抱きしめられる。

「泣かないで」

「誰がッ! 離せよ」

 睨みつけるように顔を上げると、ちゅっ、と額にかわいらしいキスをされた。
 呆気に取られる優輝の頬を、遊貴は長い指で優しく撫でた。

「判ったよ。金を取った相手は見つけて半殺しにするし、女と遊ぶのも自重する。家にいるのが怖いなら、俺の家にくればいいよ」

 予想外の提案に、一瞬、優輝は返事に詰まった。

「……家って」

「俺も一人暮らしだけど、最新鋭の防犯機器が設置されてるから安全だよ。部屋も余ってるし、居候していいよ」

「……」

「優輝ちゃんのマンション、オートロック完備じゃないし、過去に恐喝紛いの不動産営業で、住民から被害届けが出ているよね。家まで狙われているなら、危ないでしょ」

「なんで、知ってるの」

 去年の話だ。営業は優輝の家にもやってきたので、よく覚えている。メディアで報じられることもない、小さな事件だった。

「名前の偶然が気になってね。優輝ちゃんのこと、少し調べさせてもらったよ」

「そ、そう……」

 どうやって調べたのか気になるが、あの家に帰ることを思えば、魅力的な提案に聞こえた。
 迷いを顔に浮かべていると、目元を親指で優しくすられた。びくりと優輝が後じさると、遊貴は安心させるように優しくほほえんだ。

「とりあえず、一晩だけでも泊っていきなよ。早急に改善するから」

「……迷惑じゃない?」

「迷惑じゃないよ。なんでかな……優輝ちゃんて、放っておけない」

「ッ!?」

 至近距離で甘くほほえまれて、優輝は光速で視線を逸らした。相手は男なのに、頬が勝手に熱くなる。鼓動がおかしいほど、早鐘を打っている。
 戸惑いながらも、遊貴の提案を受け入れることにしたが、車で送るといわれると、再び迷いが生まれた。
 断ろうかと思ったが、最高にクールなフェアレディZを見た途端に、遠慮は興奮へと変わった。

「かっけ――ッ!!」

 由緒正しい歴史を持ちながら、非常にスタイリッシュで洗練されたフォルムだ。
 紳士然とした初老の運転手が、扉を開けてくれる。優輝は会釈すると、いそいそと乗り込んだ。
 内装も素晴らしい。座り心地は最高だ。明らかにカスタマイズされているが、総額幾らだろう?
 微笑する気配を感じて顔を上げると、遊貴と目が合った。菫色の瞳が優しく細められる。

「気に入った?」

「うん……騒いでゴメン」

「ううん、喜んでくれて嬉しいよ」

 車は恐ろしく静かに動き始めた。まるで振動を感じない。
 乗り心地を堪能しつつ、優輝は隣に座る遊貴に緊張していた。前を向いていても、強い視線を感じる。
 どうして、緊張するのだろう? どうして、そんな眼で見るのだろう?
 跳ねまくる己の心臓も、熱の籠った視線を向けてくる遊貴のことも、優輝にはよく判らなかった。