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1章:優輝と遊貴 - 1 -


 二○一X年四月。東京。錦糸町の某一画。

 木下優輝きのしたゆきは、美容院から帰宅するなり、玄関の鏡を見てにんまりした。間もなく始まる高校生活に向けて、生まれて初めて髪を明るく染めたのだ。
 この大変身を今すぐ家族に見せたいところだが、残念ながら、家族は全員NYニューヨークにいる。
 十日前から、優輝は四LDKのマンションに一人で住んでいた。
 家族と共に渡米するか迷いに迷った末、一人で日本に残ることに決めたのだ。英語圏で暮らしていく自信もないし、何より苦労して志望校に受かったことが大きい。
 この春から、蒼宮大学附属渋谷高等学科――通称、アオコーの新一年生である。
 渋谷から歩いて通えるモダンな建物で、制服のセンスも良い。一般入試の倍率はそこそこ高かった。少子化が騒がれる時代で、一学年あたり一〇クラスを越える巨大マンモス校である。
 勉強不得手な優輝は、死の物狂いで受験勉強に励んだ。合格を知った時は、大袈裟ではなく涙したものだ。
 灰色の受験生活は終わり、薔薇色の高校生活が始まろうとしている。
 一人暮らしは寂しいけれど、わくわくする気持ちの方が大きい。
 夕食を終えると、優輝はいつものようにスカイプを立ち上げた。すぐにライブチャット・ウィンドウがポップアップされる。弟の友哉ゆうやからだ。
 NYと日本の時差は、約十三時間。
 こちらは夜だが、向こうはまだ一日が始まったばかり。ディスプレイの向こう、友哉の部屋には朝陽が射しこんでいる。

『あれ、髪染めたんだ?』

 優輝を見るなり、友哉は眼を丸くした。

「へへー、ピアスも開けた」

 優輝は得意げに首を傾け、両耳のシルバー・ピアスを見せた。

『浮かれてるなー。でも、似合ってるよ』

 友哉はにっこり笑った。炎症で頬に赤みはあるが、顔色は悪くない。元気そうな笑顔を見て、優輝も表情を綻ばせた。
 弟の友哉は、生まれつき全身性エリテマトーデスと、慢性的な気管支炎を患っており、日常から医師の助けを必要とする。両親が渡米した最たる理由は、ループス治療に長けた専門医師がNYにいるからであった。

「ありがと。そっちはどう?」

『何もかも、広くて大きいよ。日が暮れるのも遅いんだ。病院はERの舞台みたいでさ、ドクターと一緒に写真撮ってもらっちゃった』

 チャットウインドウに写真がアップロードされた。俳優みたいなアメリカ人医師と、友哉が肩を組んで映っている。

「楽しそうじゃん」

『うん。いろいろ新鮮で、見ていて飽きないよ』

「良かったな。今度、漫画送るよ」

『ありがと。それよりさ、今朝のニュース見た?』

 ディスプレイの向こうで、友哉は心配げに呟いた。

「渋谷の? 見たよ。よく知っているね」

 今朝、十五歳の少年の悲惨な死がメディアで報じられた。
 今に始まったことではないが、最近は特に繁華街の治安が悪化している。
 渋谷を中心に蔓延する、麻薬のせいだ。
 暴力団絡みの密売が、地元の不良グループを巻き込み、若者の間に急速に広まっている。報道された少年も、不良グループにリンチを受けた末の死であった。

『しばらく、渋谷で遊ぶのは控えた方がいいかもよ?』

「恐いよな……といっても、学校は渋谷にあるし、寄り道するだろうな」

 頬をかきながら優輝が応えると、友哉は不満そうな顔をした。

『tubeにUPされた動画、保存したんだけど……見てみる?』

「え、ビバイルの? 削除されたんじゃないの?」

 ビバイルは、渋谷最大の不良グループだ。幹部でも二十前後で構成されるチンピラの集まりで、不法薬物所持や窃盗などの犯罪を繰り返しては、世間を騒がせている。
 彼等は、敵対グループや金の払えない常用者を、見せしめにリンチしてはネットに上げていた。度肝を抜くような公開処刑、殺戮ショーだ。
 凶悪なプロパガンダ。残虐なエンターテイメント。
 眼を覆いたくなるような映像は、大衆に忌避されると同時に、一部の若者を熱狂させた。ビバイルに関わることが、一種のステータスだと思っている若者は少なくない。
 あまりの凄惨さに、最近では大衆メディアが報道を自粛するほどだ。ネットにソースがUPされても、数時間と待たずに削除される。

『消される前に、ローカルに落としたんだよ』

 病弱で引きこもりがちな友哉は、自然とネット世界に溶け込み、情報リテラシー能力において、既に達人の域だ。自宅にいながら、世界中のあらゆる情報に精通している。

「……グロは無理」

 映像では、血痕すら映らなかったが、顔は原型を留めていないと報道されていた。

『誘われても、麻薬に手を出したら駄目だよ?』

「出さねーよ」

『友達がやっていたとしても、絶対、絶対、駄目だからね!?』

「ふぇーい」

 ゆるい返事をする優輝を見て、友哉は不服そうに嘆息した。

『優輝さ、高志たかし伯父さんのお店で、もうバイトしてるの?」

「いや? この間は、挨拶しにいっただけ。バイトは、もうちょっとしてから始めるよ」

 母の伯父である三枝さえぐさ高志は、寡黙だが面倒見の良い人柄で、優輝が一人で日本に残るといった時も、何かと力になってくれた。
 伯父は渋谷で珈琲喫茶を経営しており、春からアルバイトをさせてもらう約束をしているのだ。

『そうだね。学校も、最初は何かと気疲れするだろうしね』

「寝ちゃう日もあるかもしれないけど、基本的にスカイプはつけておくから」

『うん。俺もそうする』

「無理すんなよ」

 モニターに向かって優輝が手を振ると、友哉も笑顔を浮かべた。