アッサラーム夜想曲

幾千夜に捧ぐ恋歌 - 6 -

 高熱に喘ぎなら、不思議な夢を見た。
 広々とした豪奢な寝室に、大人が三人は横になれそうな天蓋つきの寝台が鎮座しており、少年が一人――在りし日の幼いジュリアスが眠っている。
 天のお導きだろうか?
 光希は寝室着姿で、寝台に横臥おうがするジュリアスを見おろしていた。
 少年ジュリアスは、額に大粒の汗を浮かべて、苦しそうに息を喘がせている。全身の苦痛を堪えるように躰を丸めて、見るからに辛そうだ。
 成人したての頃は、神力が躰に収まらずに苦しんだと話には聞いていたが、これほどとは思わなかった。こんなに苦しんでいるのに、医師や看護人は周囲にいないのだろうか?
 光希は寝台に腰かけると、汗の浮いた額に手を伸ばした。夢とは思えぬ、確かな感触が指先に伝わってくる。
 呻いていたジュリアスは、ぱちっと目を開くと、驚愕の表情を浮かべた。
「目が醒めた? ジュリ、大丈夫?」
「え……」
 唖然とするジュリアスを見おろして、光希はほほえんだ。傍に置いてある平たい甕を覗きこみ、沈んだ布を見つけると硬く絞った。とんとん、と額の汗を拭いてやると、ジュリアスは我に返ったように跳ね起きた。
「あ、あの、貴方は?」
「寝ていていいよ。今度は僕が看病してあげる」
 まだ薄い肩を押すと、なすがままにジュリアスは横になった。目を見開いて光希を凝視している。
「そうか、夢か……」
 納得するように独りごちるジュリアスを見て、光希も、そうかもしれないと笑った。妙に五感は現実味があるが、夢でもなければ、ジュリアスが子供なはずがない。
「楽になった……こんな夢は初めてだ」
「本当? 良かった。すごく苦しそうだったよ。かわいそうに……昔は大変だったんだね」
 あどけない顔の輪郭を両手に挟むと、ジュリアスは目を瞬いて頬を染めた。なかなか見られない初々しい姿に、光希の心は温まった。
「かわいいなぁ、ジュリの子供時代かぁ……へぇ~、想像した通り、天使みたいに綺麗な顔をしている」
 絵に描いたような美少年だ。成長したジュリアス同様、陶人形のように端正な顔立ちをしているが、頬はまだ丸みを帯びていて柔らかい。
 浮かれたようにはしゃぐ光希を見つめて、ジュリアスは青い瞳を煌めかせた。
「綺麗なのは、貴方だ……どうして、私の名前を知っているのですか? 貴方は、もしかして」
 期待の籠った瞳を見つめ返して、光希は額に唇を落とした。
「わぁ……」
 少年ジュリアスは真っ赤になって、額を手で押さえている。かわいらしい反応に、光希はにっこりほほえんだ。
「初めまして、僕は光希。未来のジュリの花嫁ロザインだよ」
「嗚呼、やはり!」
 感動したようにジュリアスは跳ね起きた。薔薇色の唇を戦慄わななかせ、光希の手を両手で掴んで、自分の額に押し当てた。
「夢でもいい! 会いにきてくださった……私の花嫁……コーキ」
 聞いているこっちが切なくなるような、魂の叫びだった。
 光希の胸のうちに、守ってあげたいという本能的な気持ちが溢れだして、肩を震わせている幼いジュリアスをそっと抱き寄せた。
 すると遠慮がちに、ジュリアスも光希の背に腕を回した。まだ小さい背を摩りながら、これから起こる長い戦いに光希は思いを馳せた。
 あともう少ししたら、ジュリアスは戦場にいかねばならない。アッサラーム軍を率いて、東の侵略に立ち向かわなければならないのだ。
 二人が出会うまでには、長い茨の道のりがある。
 彼に降りかる苦難を思いながら、金髪を優しく撫でていると、ジュリアスは顔をあげた。
 熱っぽい瞳で、上目遣いに見つめてくる。
 子供でも、ジュリアスの本質は変わらない。憧憬、心酔……激しい恋情を、強く瞳で訴えてくる。
 応えて良いものか迷っていると、ジュリアスは光希の両肩に手を置いた。喉をこくりと鳴らして、膝を立てる。
「えーと……」
 成人したての――恐らく十三かそこらの少年とキスをするのは、いくら相手が恋人とはいえ、光希は抵抗を覚えた。
 けれど、探るように震える手で触れてくるジュリアスを拒むのは忍びなくて、一度だけなら……と目を閉じた。
 ゆっくりと唇が重なる。
 触れるだけの優しいキス。遠慮がちな触れ方に、光希は新鮮な気持ちを味わった。いつもの癖で唇を開きかけたが、幼いジュリアスはその先に進もうとしない。
 顔が離れると、ジュリアスは目元を紅く染めて光希をじっと見つめた。
「……もしかして、口づけは初めて?」
 訊ねると、ジュリアスは恥じ入るように睫毛を震わせた。
「はい」
 成長したジュリアスからは、想像もつかぬ初々しさだ。
「もっと、触れても……?」
 慎重に手を伸ばしてくるジュリアスを見て、光希は背徳感にも似た高揚感を覚えた。
 いくら夢だからといって、子供を相手にする行為では……理性の声を聞きながら、夢とはいえ、彼が初めて知るであろう口づけを与えられることに、確かな喜びも感じていた。
「……うん」
 誘惑に負けて顔を寄せると、ジュリアスは震える手で光希の頬に触れた。
 そっと、唇が重なる。
 光希の方からうなじを引き寄せ、唇を押しつけた。柔らかな感触を楽しみながら、下唇をそっと挟みこむ。ちゅ、と軽く吸いつくと、ジュリアスの躰から淡い光が溢れた。
「平気……?」
「は、はい……」
 ゆっくり顔を離すと、ジュリアスは艶っぽい吐息を漏らした。
 嗚呼、幼い色香に眩暈がする。
 様子を見ながら、もう一度唇を重ねる。角度を変えて、唇がこすれると、そっと唇が開いた。
 舌を絡めるか迷っていると、ジュリアスの方からする、と伸ばしてきた。遠慮がちに唇の隙間を撫でる。
 迷いを捨てた光希は、そろりと挿し入れられた舌に優しく舌を絡ませた。
 この先、彼が公宮ここで経験するであろう様々を思いながら、想う――夢でもいい。この一時が、彼の記憶のどこかに残ればいい……
 唇を優しく吸ってから顔を離すと、ジュリアスは唇を手で押さえながら、潤んだ瞳で光希を見つめた。
 愛おしさがこみあげて、光希は少年の躰を両腕で抱きしめた。
「未来で待っているから、僕を見つけてね」
 ぎゅっと腕に力をこめると、ジュリアスもしがみついてきた。
 しばらく黙ったままでいたが、光希の方から抱擁をほどくと、ジュリアスは強い力で光希の腕を掴んだ。
「いってしまうのですか?」