アッサラーム夜想曲

クロガネの応援歌 - 3 -

 難航は続く。
 日を追うごとに、ノーアの遅れは悪化した。光希の補佐負担は増し、三人の関係もぎくしゃくし始めた。
 元から協調意識の低いパシャは別として、中心的役割を担っていたスヴェンの、ノーアに対する当たりがきつくなったことが原因だ。彼は、何事も遅れをとるノーアに、苛立ちをぶつけるようになってしまった。
 大人しいノーアは、自分を責めて悲壮感を漂わせ、スヴェンはそっぽを向き、パシャは面倒そうな顔でその様子を眺めている。全く、てんでばらばらだ。
「どうしたものかなぁ……」
 離れた所から三人の様子を眺めて、光希はぼやいた。
「ノーアは時間がかかるかもしれませんね」
 ケイトの言葉に光希も無言で頷いた。すると自分の話題だと敏感に感じ取ったのか、スヴェンが傍にやってきた。
「何の話ですか?」
 警戒気味に訊ねるスヴェンを見て、
「お早う、スヴェン。三人共頑張っているなって、話していたんだよ」
 ケイトは柔らかくほほえんだ。たちまち頬を染めるスヴェンを見て、光希はほほえましい気持ちになった。
「先輩達はノーアに優しいですよね」
「なんで拗ねてるの? スヴェンのこともちゃんと見ているよ」
 そういって光希が笑うと、スヴェンは唇を尖らせた。
「ならいいんですけど……」
「そろそろ朝礼が始まるよ。スヴェンも準備をしておきな」
 ケイトがいうと、少年は素直に返事をして背中を向けた。隣で光希がにやにやしていると、ケイトは微妙そうな表情を浮かべた。
「何ですか?」
「好かれているなぁと思って」
「殿下には遠く及びません」
「いやいや、ケイトには負けるよ」
「いえいえ、殿下には……」
 しまいには肘で突きあっていると、アルシャッドから朝礼の号がかかった。光希とケイトも準備に取りかかると、忘れていた受注を思いだしたノーアが、蒼白な顔で光希の前にやってきた。
「す、すみません! 修繕の件、すっかり忘れていて……ッ」
「あー、それなら平気、やっておいたから」
 気にしないで、と光希が笑うと、ノーアは強張った顔で肩をすくめ、
「あ、僕……申し訳ありませんでしたッ!」
 酷くどもりながら頭をさげた。
 その悲痛な謝罪の声は、まだ人もまばらな朝の工房に、やけに大きく響いた。スヴェンやアルシャッドもこちらを見ている。慌てた光希は、ノーアに顔をあげさせた。
「謝らないで、僕の配分がよくなったんだから。ちょっとやり方を考えてみるよ」
 穏やかな声を意識しながら、光希は内心で舌打ちをした。
 いざとなったら自分がやればいい。そう思っていたが、勝手に判断すべきではなかった。他の仕事を任せるか、引き取るにしても工程を共有すれば良かった。
 入って間もない新人にこんな顔をさせるようでは、先輩として失格だろう。
 反省した光希は、やり方を改めた。
 良さそうな案件を幾つか抜いて、本人に選ばせようと思い、先ずはアルシャッドに助言を仰いだ。意見をもらいながら、受注書を振り分けていると、
「お前、不器用過ぎだろ。まだできてないのかよ?」
 呆れたようなスヴェンの声を背中に拾い、光希は手を止めた。口調からして軽口のようだが、いささか無遠慮だ。
「殿下?」
 手を休めたままの光希を見て、アルシャッドは不思議そうに首を傾けた。
「あ、すみません――」
 意識を手元に戻したものの……
「本当にさぁ、どうやってクロガネ隊に入ったの?」
 返事のないノーアに追い打ちをかける、スヴェンの心無い一言に再び手を止めた。衝動的に立ちあがると、つかつかと二人の傍へ近づいていき、
「こら、喧嘩するんじゃない。同期なんだから、仲良く精進しなさいよ」
 と、目を丸くしている二人の肩に腕を回した。
「殿下ッ!!」
「わわわ……」
 悪戯に銀髪を掻き回すと、二人して顔を赤らめた。
「ノーア、焦らずにやればいいよ。皆がついているんだから。スヴェンも手伝ってあげて。ノーアが慣れてくれば、今度は彼が君を助けてくれるよ」
 軽い口調で告げると、二人は神妙な顔で頷いた。
 先輩風を吹かせているかなぁ、と少々不安になりながらアルシャッドのところに戻ると、彼は菩薩のような微笑を浮かべていた。
「成長しましたねぇ」
 しみじみと呟くアルシャッドを見て、光希は面映ゆげに沈黙した。尊敬する先達を前にしては、光希もまだまだ至らない一弟子に過ぎない。
 それに、仲裁はしたもののノーアとスヴェンの空気は良好とは言い難い。
 一日沈んだ顔をしていたノーアは、休みを勧める周囲の言葉に耳を貸さず、終課の鐘が鳴っても工房に残っていた。
 声もかけずに工房をでていくスヴェンを見て、光希はノーアの傍へ寄った。
「まだやっていくなら、僕の作業を参考に見てみない? 今から中心の竜を意匠するんだ」
 ノーアは遠慮がちに頷くと、光希の隣に座って手元を覗きこんだ。
「よく見ていて」
「はい」
 薄く伸ばしたくろがねに、双龍の意匠を筆でかたどる。
 たがねを持つと、迷うことなくつちで打った。軍の象徴でもあるは、これまでに何百と打ってきた。昔は苦労したが、今では光希の得意なの一つである。
「すごいなぁ……」
 澄み切った尊敬の眼差しを向けられて、光希は照れくさそうにほほえんだ。
「ありがとう。すぐにノーアもできるようになるよ」
「そうでしょうか……」
「僕も、最初は失敗の連続だったよ。納期前に工房で倒れて、皆に迷惑をかけたこともある」
 目を瞠るノーアを見て、光希はほろ苦い笑みを浮かべた。
「僕はね、ジュリのおかげで、クロガネ隊に入れてもらえたんだ。正規で入隊した他の隊員に対して、最初は引け目を感じていたよ」
「……」
花嫁ロザインとしての気負いもあったし、人より出遅れている分、頑張らないとって思っていた。でも、言葉で不自由したり、基礎で躓いたり、とにかく酷かった」
「殿下が?」
「うん。ノーアよりずっと苦戦していたよ。誰だって、最初からできるわけじゃない」
「……」
「皆、失敗を繰り返して成長していくんだ。前に進む気持ちがあれば、大丈夫。焦らず、できることから、少しずつ始めていけばいいよ」
 ものづくりは試行錯誤の連続だ。
 挫折しない人間なんていない。項垂れ、悲嘆し、打ちのめされ、なおも挫けず挑み、這いつくばって努力を続けた者だけが、その先に輝く奇跡を見るのだ。
「できることから……」
 噛みしめるように反芻するノーアを見て、光希は手を休めた。しょげたように肩を落とす少年を真っ直ぐ見つめる。
「時間がかかっても、ノーアの彫りは細部まで丁寧で、僕は安心して仕上げを任せられるんだ。人には個性があって、それぞれの長所がある。ノーアのいいところを、ゆっくり伸ばしていけばいいよ」
 ほほえみかけると、ノーアは眉を八の字にさげて顔を歪めた。
「僕は、人より手も遅いし、居残っても成果をだせなくて、悔しいです。自分が情けない……ッ」
 最後の方は、声が潤みかけた。泣くまいと歯を食いしばる姿に、昔の自分が重なって見える。
「ノーアの頑張っている姿は、皆も認めているよ。投げださずに、努力する姿勢は本当に素晴らしいと思う。今はきついかもしれないけど、やめないで欲しいな」
「はい……ッ」
「躓かない人間はいないよ。誰かと比べて落ちこむ必要はないし、自分なりに、最大の努力ができればそれでいいと思う」
 ついにノーアは、ほろほろと涙を零した。幾筋もの涙が、頬を濡らしていく。嗚咽を堪える少年の頭を、光希はくしゃりと撫でた。
(頑張れ、ノーア)
 強く、心の中で声援を送る。
 まだ十三の少年なのだ。未熟で当たり前。身の丈を越えた挫折は深く、乗り越えねばならない壁は、遠くて高い。
 今は、努力がなかなか成果に繋がらず、辛かろう。先に進んでいく同期の背中を見て、不安に駆られる気持ちはよく判る。
 だが、努力は決して無駄にならない。
 彼の心を鍛え、自信を与え、いつか苦戦していた受注をこなせる日が、必ずやってくる。経験に裏づけられた光希の確信であった。