アッサラーム夜想曲

ノーヴァ空中広域戦 - 3 -

 二十日以上に及ぶ空中戦の果てに、アッサラーム軍は二十万もの敵軍勢を撃墜した。
 アッサラーム軍によるノーヴァの快進撃を恐れたサルビア軍は、ノーグロッジ上空に割いた主力部隊すらもノーヴァに集結させて、蟻一匹見逃さないほどの集中砲火を浴びせた。
 空における天才軍師と名高いジャファールと言えども、この一斉攻撃には苦しめられ、五万の軍勢を八千まで減らされた。孤島の要塞に籠り、奇襲を駆使して応戦するも、次第に防衛一途へと追い込まれていった。
 アルスランや他の将を交えての軍議で、ジャファールはいよいよ決断せざるを得なかった。

「――ここは長くない。退却するべきだ」

「しかし……あと少しではありませんか? ムーン・シャイターンはハヌゥアビスを歯牙に捕えたと知らせが来ています」

「その通りだ。中央が粘りを見せているのに、我等がここを捨てては敵に勢いを与えてしまう」

「そうです。空の要が背を見せたとあれば、アッサラーム飛竜隊の名折れでございましょう。ノーヴァに散った同胞にも顔向けできません」

「ジャファール、諦めるには早い。こちらもノーグロッジに援軍を要請しよう。サルビア軍は本勢を全てここに集めている。ナディアも我等の要請を待っているはずだ!」

 全員の猛反対を受けて、ジャファールは嘆息した。

「皆の気持は判るが……どう足掻いても、ノーヴァに勝ち目はない。ここにいても、この先一方的な殺戮が待っているだけだ。例え援軍が来たとしても、結果は変わらない。撤退して立て直しを図るべきだ」

「ジャファールッ!」

 激昂したアルスランが机を大きく鳴らした。副官達も口にはしないが、ジャファールを視線で責めている。

「悲観しているわけではない。事実だ。撤退は恥ではないが、局面を見抜けぬは恥だと思わないか?」

「何だと」

 周囲から射抜くような視線がジャファールの顔に刺さる。しかし彼は気圧されず、冷静な眼差しで一同を見渡した。

「よく聞け、この孤島は吹きすさぶ潮流と風に守られた自然の要塞だが、味方からも孤立しやすい弱点がある。サルビアもそれが判っているから、敢えて我等に止めを刺さないのだ。援軍など呼んでみろ、敵の思う壺だぞ。向こうは包囲布陣で待ち伏せしているのだ。ナディアもそれが判っているから、ノーグロッジを離れられないのだ――」

「決めつけるな。私は援軍を要請するべきだと思う――皆は、どう思う?」

「同じく」
「私も」

 全員の非難の眼差しが、ジャファールに集中する。
 撤退して、スクワド砂漠まで下がり、立て直しを図るべきだ……。
 ジャファールの考えは変わらなかったが、彼等の心を伴えなければ、何事においても失敗するだろう。かといって、援軍を呼んだところで無駄死にさせるだけだ。ならば、答えは一つしかない……。

「総指揮権は私にある。援軍は呼ばない。だが……お前達がそうまで言うのなら、足掻いて見せよう」

「おおっ!」
「ジャファール……ッ!」

 途端に笑顔になる面々を見て、ジャファールは苦笑を漏らした。まったく、実に武人らしい気性だ。

 しかし……どう考えても、この孤立した要塞に未来はない。いくつかまだ策はあるが、焼石に水だ。いざとなったら、アルスランだけでも逃がさなくては……。
 この時ジャファールは、過酷な選択を近々迫られるだろうことを覚悟していた。

 +

 ジャファールは孤島の要塞、最後の防衛戦に挑んだ。
 飛竜隊の横方向の間隔を密集した空中布陣を敷き、サルビアの目にはいかにも僅少きんしょうであるように偽った。
 組し易しと見て、サルビアの小隊が接近してきたところで横隊の幅を寛げて、一気にからめ捕る。こうして小出しの小隊を少しずつ削るうちに、怒ったサルビア軍は広範囲の布陣を敷いて、要塞へ迫ってきた。

「――今だ! 油を流せ!」

 要塞の四方から黒油を垂れ流し、十分に敵を引き寄せた所で火矢を放った。ゴォッと海が燃え上がる。潮風は煙を流し、並列飛行で迫る敵の進軍を妨げた。混乱に乗じて、更に追撃をかける。
 僅か数百の飛竜隊で最後の快進撃を見せたが、サルビア軍も攻撃の手を休めなかった。
 砲台を乗せた重量級の飛竜隊を見て、ジャファールは直ぐに後退の指示を出したが、そのうちの一騎がジャファールを狙っていることに気付いたアルスランは、神速で敵に突っ込んだ――。

「――止せっ!」

 身を乗り出して叫んだ。
 敵の攻撃は要塞から外れたが、代わりにアルスランを襲った。燃え盛る炎と煙が邪魔をしてよく見えない。

「アルスランッ! どこだ!」

 煙の合間から、アルスランを乗せた飛竜が姿を見せると、安堵のあまり膝から力が抜けそうになった。しかし、あの激しい衝突で無事では済まされなかったようだ。腕から流れる鮮血が、ここからでもはっきり見てとれる……。
 アルスランは要塞に降りるなり、倒れ込んだ。崩れる身体を抱き留めて、胸を抉られるような痛みを覚えた。
 愛する弟の、右腕がなかった。