アッサラーム夜想曲

ノーヴァ空中広域戦 - 1 -

 ジャファール・リビヤーン――中央広域戦空路大将、ノーヴァ上空総指揮官。

 中央広域戦――史上最大の東西戦争では、腹心の戦友であり、弟でもあるアルスラン・リビヤーンと共にバルヘブ中央大陸の北に広がる、ノーヴァの広大な空を駆ける。
 聖都アッサラームから飛竜に乗って戦地へ直行したジャファールは、見事な飛行術を駆使して、山岳湿地帯でジュリアスらが足止めされている間に、一早くノーヴァ海域の孤島の要塞に辿り着いていた。
 今まさに、サルビア兵二十万にも及ぶ大軍勢を、アッサラーム飛竜隊五万で迎え撃とうとしていた――。

 一早く戦地に辿り着いたジャファールは、サルビアの大軍勢が襲ってくる前に、周囲の地形を徹底的に調べ上げた。
 気流の安定しないノーヴァの空は、長時間飛行には向いていない。短時間で効率よく決着をつけるには、確実な飛行経路――特に撤退経路の把握が鍵となる。

「ジャファール、戻ったぞ」

 孤島の要塞から海を眺めていると、傍へアルスランがやって来た。朝から絶壁周辺の試験飛行をしていたはずだ。

「――早いな。どうだった?」

「どうにか飛べる。ただ速度を少しでも落としたら、風に食われて粉々だ。サルビアの重装甲では、先ず無理だろう。誘い込めばからめ捕れるな」

 アルスランはにやりと笑った。

「使えそうだな。布陣の機動合図を決めておこう」

 ジャファールは、ノーヴァ海域に面した中央大陸の絶壁周辺は、潮流の性質が異なっているがゆえに、そこから朝方と夕方に、絶壁へ叩きつけるような強風が吹くことを承知していた。
 敵の側面に風が吹きつけるように位置取りできれば、一網打尽にできる。この地の利を必ず活かそうと心に決めた。

「例の間隙かんげきも見てきたが……あそこを飛ぶのは至難の業だぞ。私も見るに留めておいた」

 逃走経路として目をつけていた、断崖絶壁と切り立った孤島の間隙のことだ。アルスランが至難の業と言うからには、飛竜隊の精鋭でも厳しいのだろう。

「そうか……」

「おまけに強い潮風が絶えず吹きつける。よほどの幸運を持ち合わせていないと、墜落は免れないだろう」

「しかしあの細道なら、サルビアの大軍勢も横に広く展開することはできないし、風に煽られ自滅してくれる可能性が高い……」

 仮に眼前に迫ったとしても、一度に小隊ずつと接近戦をすることになれば勝率は上がる。

「こちらが自滅したら元も子もないぞ」

 未練を見せるジャファールに、アルスランは諦めろと言わんばかりに肩を叩いてきた。
 内心では未練のため息を吐きつつ、無言のままに頷いてみせる。

「中盤までに十五万は削れるだろう。ただそれ以降の消耗戦になったら、包囲布陣は厳しくなる……最後はこの要塞で籠城もありえるな」

「避けたいものだ。アッサラームの飛竜隊が飛べぬとは……」

 アルスランは嘆かわしそうに首を振った。気持ちは分かるが、手段を選んではいられない。

「殲滅戦ではないし、二十万を看破する必要もない。ムーン・シャイターンがハヌゥアビスに勝てば、撤退と掃討戦に変わる。そこまで持ちこたえることが我々の使命だ」

「分かっている。今、黒油を運び込ませているところだ」

「……どこから持ってきた?」

「軍部と拠点の倉庫から頂戴してきた」

 アルスランは子供みたいな笑みを浮かべた。
 一瞬、奪ったのではあるまいな……と考えたが、油は火責めの必需品だ。自ら備蓄に動いてくれたことを、今は感謝したい。
 少々無鉄砲な所のある弟だが、自分の仕事をきちんと把握しているようだ。

鐘楼しょうろうや壁に目立った配置をするな。いかにも手薄だと思わせておけ」

あなどって、押し寄せてくれたらいいな」

「ああ。だが、先ずは十五万の敵飛竜隊を削ることが大前提だ」

 ジャファールが釘を刺すと、アルスランも重々しく頷いた。
 アッサラームでは味わえぬ潮風に吹かれながら、遥か東の空を仰ぎ見た。間もなく、あの空を覆い尽くさんばかりの飛竜が攻めてくる――。