アッサラーム夜想曲

慟哭 - 1 -

 サイード・タヒル――中央広域戦軍曹、中央陸路斥候隊隊長

 中央広域戦――史上最大の東西戦争では、クロガネ隊加工班班長をアルシャッドに委任し、中央陸路の最前線にて斥候せっこう隊長を務める。

 ノーグロッジ海上ではナディアの計略により、敵の輜重しちょう隊を襲撃し補給を絶つことに成功した。
 しかし、これに対抗するかのようにサルビア軍もまた、アッサラーム軍の輜重隊を襲撃するようになり、後方支援に被害が拡大していた。
 ジュリアスらがハヌゥアビスと激戦を繰り広げる中、中央陸路斥候隊の隊長を務めるサイードは、アルスランから要請を受けて、中央に発つ輜重隊の警護任務に就くことになった――




 ― 『慟哭・一』 ―




 国門から少し離れた拠点で、サイードは味方の輜重隊と合流した。彼等は、兵站へいたんの中でも、中央最前線に物資を届ける極めて重要な輜重隊だ。
 ここのところ、自軍の輜重隊は度々サルビア軍の襲撃を受けており、これ以上被害に合えば、最前線の生命線が絶たれかねない。今度ばかりは確実に荷積みを届けねばならなかった。

「これまで使ってきた道は、三度に渡って襲撃を受けている。道を変えるしかあるまい」

 サイードの提案に皆が賛同した。過去実績のある経路であったが、敵に狙われている以上諦めるしかない。

「問題はどの道を通るかですね……」

 古参兵の一人、ヨルディンが呟くと全員が唸った。この辺りは山岳戦闘民族の縄張りで、深入りすれば今度は彼等に襲われる心配もある。

「……五隊に分けよう。四隊は囮で、本命の一隊は、目につきにくいノーヴァ海域側の絶壁を行く。本隊は俺が行こう。ヨルディンもきてくれ」

「判りました」

 皺の刻まれた思慮深い眼差しにサイードを映し、首肯で応じる。

「囮の四隊にも、多少は荷を乗せておけ。運悪く見つかっても、敵もこれで全てかと勘違いしてくれるかもしれん」

 顎をさすりながら思案げにサイードが指示すると、全員が賛同の声を上げた。

「四隊はしっかり武装して、今夜同時に出発しろ。俺達は黎明れいめいに出発する」

「はい! サイード隊長、どうかお気をつけて」

 そうして十人ずつで構成された囮の四隊は、闇に乗じて密かに通門拠点を後にした。
 サイードは空が白み始める黎明を待ち、十人と四輪車五台を率いて通門拠点を後にした。

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 ほぼ初見の山岳絶壁の山道であったが、一行は概ね順調に進んでいた。危惧していたサルビア軍の影は見えない。
 しかし目的地に近付くにつれて、空気はピリピリと張りつめていった。
 敵の姿は見えずとも、空や風、大地が前線の苛烈さを物語る。日によっては、空をかち割るような青い稲妻が何度も走り、耳を塞ぎたくなるような地響きと轟音が響き渡った。
 宝石を持つ総大将、ムーン・シャイターンとハヌゥアビスが激突しているのだ。壮絶な激突の余波を目の当たりにして、若い兵士達は度々足を止めて震え上がった。

「うわっ!」

 今も青白く光る空を見上げて、兵士の一人が小さな悲鳴を上げている。
 昼でも陽の射さない深い茂みの中にいても、空に青い稲妻が走ると、辺り一面を真っ白に照らし足元に影を落とした。

「……すごいな。今日はこれで何度目だ?」
「決着が近いのだ」
「シャイターンよ、どうか我等に勝利の加護を!」

 味方は空ばかり気にかけているが、サイードは周囲の森の様子に異変を感じていた。敵意は感じられないが、こちらを観察する複数の視線を感じる。
 この辺りに暮らす山岳民族か。敵意がないのはどうしたことだ? このまま通してくれるならいいが……。
 異変を感じ取ったヨルディンは、サイードの傍へやってくると、指示を仰ぐように視線で問いかけた。
 同じく、視線で応える――様子を見よう……剣を合わせず済むなら、それが一番だ。
 異変に気づいた者は他にも何名かいたが、サイードは沈黙を指示した。味方に知られ、空気に殺気が滲むのを防ぐ為だ。山岳民族は気配に敏い。下手に刺激して無用な戦闘を引き起こしたくはなかった。
 各々、緊張を強いられる行軍はしばらく続いたが、十日目の夕刻、ついに前線の野営地に辿り着いた。近道を通った囮の四隊は既に到着しており、サイード達を見るなり満面の笑みで駆けてきた。そして喜ばしい吉報を口にする。

「ハヌゥアビスに決勝したのか!!」

 サイードは声を弾ませた。共に辿り着いた輜重隊の面々は、その場に跪いてシャイターンに祈りを捧げている。中には涙を流す者ももいた。

「おぉ! やったな!」

 野営地を見て回っていたサイードは、顔なじみの古参兵を見かけて声をかけた。男は身体中に傷を負っていたが、サイードを見るなり嬉しそうに顔を輝かせ、しっかりした足取りで駆け寄ってくる。

「サイード、ちょうど良い時にきたな! 祝杯を上げよう!!」

「見事だ! よく耐えたなぁっ!!」

 喜びを分かち合い、背中を叩き合った。互いに薄汚れた恰好はしているが、幸い大きな怪我はしていない。

「ノーヴァのかたきを取ってやったぞ!」

 男は誇らしげに拳を天に振り上げる。

「これでノーヴァ海岸も楽になるだろう。援軍も飛ばせる」

 サイードも明るい口調で応えた。

「ああ。これから五千の飛竜大隊が援軍に向かう予定だ。もう大丈夫だ」

「ムーン・シャイターンはご無事か?」

 懸念を口に乗せると、対峙する男は力強く首肯で応じた。

「重傷を受けたが、命に別状はない。天幕で治療を受けておられる。将軍達も無事だ」

「そうかぁ……」

 サイードは深い安堵の息を吐いた。肩の荷が下りたようだ。「またくる」と言って踵を返すと、背中に「おいっ」と声をかけられた。

「もう行くのか? 寄っていけよ、皆も喜ぶ」

「そうしたいが、少々気になることがあってな。またくるさ」

「判った! 気をつけろよ」

 男は気持ちの良い笑顔で手を振った。サイードも笑顔で応えると、輜重任務で同行したヨルディンを探して声をかけた。偵察に戻ると告げると、意表を突かれたように顔に驚きを浮かべる。

「もう向かわれるのですか?」

「あぁ。お前達は休んでいけ。明朝になっても合図がなければ、今回通った道はもう使うな」

 声を落として告げる。ここへ来るまでの途中、こちらをじっと観察していた山岳民族のことが気になっていた。彼等と話をしてみたい。

「では私も一緒に参ります」

 それはありがたい。首肯で応じると、その日のうちにヨルディンの他にもう一名を連れて、山岳経路に向けて再び出発した。