アッサラーム夜想曲

花冠の競竜杯 - 7 -

 賭博遊戯場の誘致先の一つ、アッサラームの南に位置する都市ツァイリに、ユニヴァースは警邏隊隊長として送りこまれた。
 というのも、年明けから始まった建設作業が、現場で起こった部族間同士のいざこざのせいで頓挫してしまったのである。
 揉め事の発端は、互いの部族から選抜された競竜杯の選手が、予選で競い、片方が負けたことにある。
 このどうしようもない揉め事を、ユニヴァースは飲み比べで鎮めた。作業現場の全員に、挨拶代わりに酒を振る舞い、彼等と同じく、現場で胡坐を掻いて酒杯をかっくらったのだ。
 ほぼ全員が強烈な二日酔いに見舞われる中、明晰な思考回路で現場の確認を始めるユニヴァースに、尊敬の目が集まった。彼は底なしのヤシュムやアーヒムに日頃からつきあわされ、本人も知らぬ間にとんでもなく酒に強くなっていたのである。
 ユニヴァースが赴任してから一月。
 日射しの強い工事現場で、砂埃に塗れた壮年の大男が、ユニヴァースに目を留めて声を張りあげた。
「おい、若ェの! アッサラームから荷物が届いてるってよ!」
 工事現場の端から端まで届きそうな大音量に、現場経験の浅い者はびくっとしている。
「あいよー、おやっさん!」
 威勢のいい返事で応えたユニヴァースは、額から流れる汗を腰帯に挟んでいた麻布で拭った。
 長めの髪を朱い絹で結び、両の耳には銀装飾の耳環が垂れている。洒落しゃれた格好をしているが、広襟の肌着一枚で袖をまくりあげ、腰帯に黒牙のサーベルと水筒を下げた姿は、工事現場で働く男達に馴染んでいる。
 事務所に向かって歩いていくユニヴァースに、今度は別の方向から声がかかった。
「おい、若ェの! こっちはどーすんだ!」
 若い筋骨隆々とした青年を振り返り、ユニヴァースは目をすがめた。
「グエン、俺ら年齢大して変わらないだろうが! ユニヴァース大将軍様って呼べよ!!」
「誰が将軍だよ!」
 馬鹿笑いしている集団の方に近づいていき、ユニヴァースはグエンの手にしている図面をひったくった。
「これなら、おやっさんが知ってるよ。壁塗るのが先だっていってたぞ。ていうか、俺を挟まず直接訊きにいけよ。和解したでしょうが」
「そうしようと思ったところに、お前がのこのこ歩いてきたんだよ」
 大柄な青年は快活に笑った。ユニヴァースの仲裁で現場の揉め事は収まっているが、彼等はユニヴァースをからかうことを覚えて、何かにつけて小間使いのように声をかけるのだ。
 だが、彼等は気安い態度で接していても、若き青年将校の人柄や有能さを高く評価していた。部隊でも指揮官として認められつつある。
「昨日、怪我した奴は大丈夫か?」
「おう。三日もすれば現場に戻ってくるさ。気にするな」
 安堵の笑みを浮かべるユニヴァースの肩を、グエンは大きな手でばしっと叩いた。
「痛ぇ」
「任せておけよ。俺様の手にかかれば、宮殿だって七日で建ててやらぁ」
 大口を叩く男を、ユニヴァースは肩を押さえながら軽く睨んだ。
「おお、じゃあここもあと七日で建ててくれよ」
「馬鹿いうなよ」
「お前がいったんだろうが」
「はーん?」
 わざとらしく鼻をほじるグエンを見て、周囲の連中も一緒になって笑った。ユニヴァースもつられて笑う。
 口は悪いが、彼等の腕は確かだ。
 赴任した初日に現場で取っ組み合いの喧嘩に巻きこまれた時はどうなることかと思ったが、今では順調に作業が進んでいる。
 無益な現場の派閥争いが解決したことで、彼等は持ち前の実力を存分に発揮しているのだ。
「ちょっと事務所にいってくる。そのまま休憩するよ」
「おう」
 グエンは手をあげて応えると、壮年の現場監督のもとへ駆けていった。
 ユニヴァースが事務所へいくと、入り口にアッサラームから届いた物資が積まれていた。上の方に、ユニヴァース宛の小箱が置かれている。気になって開けてみると、同じ情報誌が十冊ほど束ねられていた。
「なんだこれ?」
 束の一番上に透かし装飾の入ったカードが挟んであり、流麗なジュリアスの署名と、“もうすぐ競竜杯! 待ってるよ”少し歪な文字で、光希からのメッセージが挟んであった。
「殿下の直筆じゃん……」
 脳裏に、朗らかに笑う光希の笑みが思い浮かんだ。その瞬間、無性にアッサラームが恋しくなった。
(殿下、元気にしているかなぁ……競竜杯までには帰りたいよな)
 十日で戻る予定が、いつの間にか一月が経過している。現場が気になって残留申請をしたが、大分落ち着いてきた。そろそろ引きあげてもいい頃合いだろう。
「……にしても、なんで十冊もあるんだ?」
 雑誌を捲ってみると、大きなアルスランの絵姿が目に飛びこんできた。
「おお、アルスラン将軍恰好いい。ふーん、予選も進んでるんだな」
 ユニヴァースはいったん雑誌を閉じると、物資確認と書類を片づけた。
 時間を見計らって雑誌を休憩場に持っていくと、周囲の大男達は顔を寄せて覗きこんだ。十冊もあるので、適当にばらまくと、彼等は喜んで競竜杯の記事を読み始めた。
「シモンが予選勝ち抜きかよ」
 グエンの不満そうな声に、ユニヴァースは顔をあげた。
「不満そうだな」
「誰彼構わず金を無心する、鼻つまみ野郎さ。八百長の元締めに雇われたとしか思えねぇ」
 その言葉にユニヴァースは眉をひそめた。
「本当か?」
「地元じゃ有名だ。賭博で借金こさえて、とんずらしたんだ。久しぶりに戻ってきたと思ったら、えらい羽振りがよくてよぉ」
「ふぅん、買収されるほどの腕はあるのか?」
「まぁ、竜乗りの才はある。地元の大会でも何度か優勝しているしな」
「へぇ。その元締めってのはどんな奴か知っている?」
「クシャラナムン財団の幹部だよ」
「クシャラナムン財団?」
 ユニヴァースは頓狂な声をあげた。クシャラナムン財団といえば、悪名高い盗賊団ではないか。
「他の街でも、選手の買収をしているらしいぜ」
「確かか?」
「うちの者が、シモンが財団連中と高級娼館に入っていくところを見たらしい」
「へぇ……」
 調べてみる必要がありそうだ。不正取引が本当なら、アッサラームにも報告を入れなければならない。
「下手したら、一位から八位まで操作されるかもしれないぜ」
「いやいや、アッサラームの賭博管理局が許さないよ。これまでにも悪知恵を働く奴は、決まって厳罰に処罰されてきたんだ」
「数打てば当たるって戦法じゃねぇのか。こいつが目ぇつけられるくらいだしよ」
「調べてみるよ。詳しい話を聞かせてもらえるか?」
「おう、いいぜ」
「悪いな」
「構わんよ。俺も八百長試合は見たくねぇしな。頼むぜ大将軍!」
 肩を叩かれて、ユニヴァースは渋面をつくった。
「そう思うなら、揉め事は起こさないでくれよ。お前達の途方もない喧嘩のせいで、俺はアッサラームに帰れないんだからな」
「ぎゃはは、任せておけって!」
 さも愉快げに哄笑する大男を、ユニヴァースは胡乱げに睨んだ。