アッサラーム夜想曲

花冠の競竜杯 - 13 -

遊戯の進行役を務めるヘイヴンは、卓に座った光希とジュリアスを見てほほえんだ。
「チェルカという遊戯をご存知ですか?」
 いいえ、と光希はかぶりを振った。ジュリアスを見ると、彼は知っているようで、カード遊戯ですよ、とつけ加えた。
「チェルカは、最小懸け金から遊べる、当店でも人気の高い遊びです。遊んでみますか?」
「はい! よろしくお願いします」
 光希が姿勢を正して即答すると、ヘイヴンはにっこりした。
「本来はゲームの前に、最小チップを遊戯卓の元締めから購入しますが、今夜は無料で構いませんよ」
「あ、払いますよ。せっかくだから、いつも通りの進行で遊んでみたいです」
 光希の申し出にヘイヴンは頷いた。
「畏まりました。それでは、チップを置きますね」
 ヘイヴンは光希とジュリアスの分のチップを卓の上に置いた。次に装飾の入った小箱から、真新しいカードを取り出し、さっと卓に弧を描くようにして並べた。再び一つの束に戻すと、鮮やかな手つきでシャッフルする。
「すごい」
 思わず感嘆の声をもらす光希を見て、ヘイヴンは片目を瞑ってみせた。目が釘づけになっている光希の為に、彼は幾つかの熟練の技を披露してくれた。見惚れるほど鮮やかな手つきに、周囲の客からも感嘆のため息がこぼれた。
「すごいなぁ、手品を見ているみたい」
「ありがとうございます、殿下」
 はしゃぐ光希の手もとに、ヘイヴンはカードを裏返しにしたまま配った。
「チェルカの遊び方は単純明快です。三枚のカードの合計の一の位が、九に近い者の勝利になります」
 光希は手持ちの札を見て頷いた。合計値は五だ。
「手元に二枚しかありませんよ?」
「二枚のカードは神の采配、三枚目に幸運を祈って、引くか引かないかを選択します」
「なるほど」
「それでは、殿下からどうぞ」
「はい」
 光希はカードの山に手を伸ばし、表面の一枚をめくった。手持ちのカードに三枚目のカードを加えると、合計値の一の位がちょうど九になった。
「あ、チェルカ?」
 光希は勝負をコールして、手持ち札を卓の上に倒した。
「お見事、殿下」
「おめでとう、光希」
 二人の真鍮の硬貨が、光希の前に集まった。勝った者の総取りになるのだ。
「やった!」
 三人は、カードの山がなくなるまで続けた。最終的に、最もチップを集めたのは光希だった。
「おめでとうございます、殿下の勝ちですね」
 ヘイヴンが拍手すると、周囲から喝采が起きた。
「うわぁ、ありがとうございます」
 いつの間にか、遊戯卓の周囲に大勢の客が集まっていた。光希は頭を掻きながら、周囲にお辞儀をしてみせた。
 店の従業員が、さりげなく列整備をしているのを見て、光希が様子をうかがっていると、ヘイヴンは片目を瞑ってみせた。
「周囲のことはお気になさらず、好きなだけ遊んでくださって構いませんよ」
「じゃぁ、あと一回だけ……」
 そういって、光希は三回ほど遊んだ。楽しくてやめられなくなったのだ。
 注目を集めて最初は緊張していたが、勝ったり負けたりしていると、他の客から応援や賞賛をもらいすぐに打ち解けた。初めて会う人と同じ卓を囲み、身分に拘らず、皆で盛り上がれるのは賭博遊戯の醍醐味だろう。
 気持ちよく遊ばせてくれる、ヘイヴンの采配も素晴らしい。
 彼は高貴な紳士淑女だけでなく、高級娼婦や、頽廃たいはい的な放蕩ほうとう貴族、家族ぐるみできている中流階級、子供から大人までも魅了していた。さっきも、ゲームに注目が集まったのは、光希とジュリアスがいるからだけではない。ヘイヴンの手さばきと会話を楽しみに集まっている客は少なくなかった。
 ゲームを終えたあと、光希はジュリアスと二人で遊戯場をゆっくり見て回ることにした。ポルカ・ラセは、ただ眺めているだけでも、時間を忘れて優雅な気持ちにさせてくれる。
 部屋の隅で休んでいると、従業員がすぐに飲み物を運んできてくれた。
「あ、美味しい」
 発酵させたハーブ水を果汁と炭酸で割った飲み物で、爽やかな味がする。
「ジュリも飲んでごらんよ」
 光希が杯を渡すと、ジュリアスは一口飲んで、ほほえんだ。
「子供が好きそうな味ですね」
「大人も好きだよ」
「美味しいと思いますよ」
「うん」
「光希、そろそろ帰りますか?」
「ん~……」
 光希は曖昧に返事をして、周囲を見回した。ふと、煌びやかな衣装の官吏に目が留まった。金糸の縫い取りをした丈の長い外衣を羽織り、先の尖った繻子の靴をあわせている。確か、理財局の副官であるハーラン・クモンだ。
 目があうと、彼は従者を引きつれて光希とジュリアスの方へやってきた。
「シャイターン、殿下。ご機嫌麗しく」
「こんばんは、クモンさん」
 恭しく敬礼する男に、光希も礼儀正しくお辞儀をした。
「先ほどは随分と盛り上がっていらっしゃいましたね」
「あ、見ていたんですか? とても楽しませていただきました」
「お楽しそうで何より。今度はぜひ、私もご一緒させてください」
 ハーランの瞳は逆光で翳り、青灰色の瞳は濃い藍色に見えた。その瞳を見た途端に、光希の足はすくんだ。
「光希?」
 光希の動揺を感じ取ったジュリアスは、ハーランに二、三の言葉をかけて、光希をその場から連れ出した。
 人気のない壁際に寄って光希は安堵したが、逃げるようにハーランの前から去ったことに罪悪感を覚えた。
「……失礼じゃなかったかな?」
「挨拶はもう済ませましたし、問題ありませんよ。気分が悪いのですか?」
「うん、少し……」
「休めるところにいきましょう」
 ジュリアスはヘイヴンを探して声をかけた。彼はすぐに高級客室を手配し、部屋に冷たい果実水、暖かい茶、果物などを運んだ。
 二人きりになると、ジュリアスは長椅子にもたれる光希の隣に座り、労わるように肩を抱き寄せた。
「大丈夫ですか?」
「うん……大丈夫。落ち着いてきた」
「さっき、ハーランを見て怯えたのはどうしてですか?」
「うん……」
「光希?」
「実は、彼の顔を見た瞬間、死相が視えてしまって……苦悶の表情をして、喉がね、焼け爛れて……う、思い出したら気持ち悪くなってきた」
 ぎゅっと抱きしめられて、光希も甘えるようにしがみついた。慰めるように髪を撫でられ、頭の天辺に優しいキスが落ちる。
「かわいそうに、怖かったでしょう」
「うん……忠告してあげた方がいいかもしれない。彼の身に、危険が迫っているのかも」
「彼のことは私に任せてください」
「どうするの?」
「別件ですが、気になることがあって、彼のことを調べています。今の情報で核心に迫れそうですよ」
「そうだったの? もっと、頑張って視てみようか?」
「いいえ、もう充分です」
「いいの?」
「ええ、ありがとうございます」
「……判った」
 瞼の上に口づけられて、光希は柔らかく息を吐き、ジュリアスの胸にもたれた。
「もう帰りますか?」
 光希は、ぱっと目を開けてジュリアスを見た。
「いや、まだ帰りたくない。少し休めば、落ち着くと思うから」
 ジュリアスはじっと光希の瞳を覗きこみ、顔を近づけた。
「……なら、今夜は泊まっていきますか?」
 唇が触れあう距離で囁かれて、光希は朱くなった。腕を突きだして、ジュリアスの身体を押しのける。
「ううん。せっかくきたんだから、もうちょっと見て回りたい」
「もう十分見たでしょう?」
「まだ足りないよ」
 ジュリアスは光希のうなじに手を添えると、唇を重ねようとした。光希が唇を両手で覆うと、その指を啄み、甘噛みする。
「う、こら、噛んじゃだめ。せっかくきたんだから、もっと堪能したい」
 腕の中で暴れる光希を捕まえて、ジュリアスはくすくすと笑った。
「急に元気になりましたね」
「復活」
 光希はぱっと立ち上がると、少し不満そうな顔をしているジュリアスの手を引っ張った。
「いこう」
「……仕方ありませんね」
 ジュリアスは組んでいた足を解いて立ち上がると、ぎゅっと光希を抱きしめてから、身体を離した。