アッサラーム夜想曲

第4部:天球儀の指輪 - 17 -

 合同模擬演習から二日後。早朝。
 光希は、典礼儀式に参列する為、ジュリと共にアルサーガ大神殿を訪れた。
 聖都アッサラームのどこにいても仰ぎ見ることができるように……と意図された大神殿は、実に巨大な建造物だ。
 およそ三万人以上を収容できるとも言われている。
 一番高い玉ねぎ形の尖塔に至っては、もはや陽が眩しすぎて仰ぎ見ることすら叶わない。
 重厚な石造りの堂内は林立する石柱に囲まれ、高みに穿たれた大きな窓からは清らかな陽光が降り注いでいる。
 あまりの美しさに、光希はしばらく圧倒されていた。
 大神殿は一般参列者にも開放されており、堂内は見渡す限りの人で溢れかえっている。
 皇族やジュリ達の座る内陣には座席があるが、一般開放されている主身廊にはない。皆床にじかに座って、礼拝の始まりを待っていた。
 朝休の鐘が鳴り響く――
 典礼儀式の開始を告げる鍵盤の演奏が始まると、少年聖歌隊による天上の調べが堂内を満たす。
 特に先頭に立つ少年の歌声は、群を抜いて素晴らしい。容姿にも恵まれている。流れる灰銀髪、利発そうな灰青色の瞳。純白の聖衣を纏い歌う姿はまさしく天使だ。

「綺麗な声だね……」

 こっそり隣に座るジュリに囁くと、ジュリも顔を寄せて耳元に囁いた。

「エステルです。素晴らしい歌声ですが、十三になったので残念ながら聖歌隊の在籍は今年が最後です」

「へぇ……声代わりしていないなら、続ければいいのに」

「聖歌隊の伝統ですから」

「ふぅん……」

 聖歌は楽しく聞いていられたが、星詠神官メジュラが祭壇に上がり、祝詞を詠み始めると、間もなく眠気に襲われ始めた。
 頭がふらふらと左右に揺れ動く度に、隣でくすりと微笑が漏れる。

「だから言ったでしょう? 退屈だって……」

 密やかな囁きに、思わず口元には苦笑らしきものが浮かんだ。
 退屈ではないのだが、淡々とした韻律、呪文の如し祝詞を延々聞かされると、どうにも抗いがたい眠けが……。
 周囲の様子をそっと窺うと、信心深い人々は目を閉じて黙祷――胸の前で両手を交差し、静かに祈りを捧げていた。

「あと少しですよ」

「うん……」

 気合いを入れ直して瞳を閉じると、光希もアッサラームの安寧や皆の無事と幸せを無心に祈る。
 神は、敬虔なる者をよみしたもう……。
 星詠神官の祝詞は一刻ほど続き、最後は「アッサラームに栄光あれセヴィーラ・アッサラーム」といった定型祝詞を参列者全員でそらんじて終わった。
 その後は、邪気を祓う聖水をいただき、典礼儀式は終了となる。
 ここからは自由退出が許されるので、静まり返っていた神殿は、俄かにざわつき始めた。
 まだ幼い下位の神官達が、祭壇の泉から汲み上げた聖水を、参列者に配ってまわっている。
 皇族と同様、内陣の先頭列に座っている光希は真っ先にいただいた。
 十にも満たない少年が、頬を染めて恭しく差し出す様子に、自然と笑みを誘われる。

「ありがとう」

 少年は嬉しそうにはにかむと、ぺこりと会釈して次なる信徒の前に立つ。

「では行きますか?」

 ジュリは対岸で手を振るアースレイヤを無視して、光希に声をかけた。アースレイヤの隣には、リビライラとサンベリアの姿もある。
 控えめに会釈するサンベリアに気を取られたが、ジュリに手を握られて視線を戻す。

「うん。とりあえず、出ようか」

 主身廊に降りると、道すがら大勢の参列者に声をかけられた。笑みを貼り付けて素通りしていると、ケイトの姿を見つけた。

「殿下! もうお身体は平気なのですか?」

「ケイト! ありがとう、もう平気。明日から復帰するんだ」

 久しぶりに会えて嬉しい。お互いにはしゃいだ声が出た。近況報告をしようとすると、ジュリに肩を抱き寄せられた。

「――! ムーン・シャイターン、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

 ケイトは顔色を変えて最敬礼でかしこまった。

「お早う、ケイト。光希は病み上がりですから、明日からよく様子を見てあげて欲しい。どうかよろしく」

「は、は、はい……っ! こちらこそ、よろしくお願いいたします。一同、殿下の復帰を心よりお待ちしております」

 ケイトは真っ赤になって、何度も頭を下げている。
 名残り惜しいが、同行してくれているジュリにあまり時間もないので、後ろ髪を引かれつつ大神殿を後にした。