アッサラーム夜想曲

第3部:アッサラームの獅子 - 6 -

 続いて、ローゼンアージュの部屋を見に行った。
彼も窓際右奥の下段が自分の寝台で、ユニヴァース以上に武器の陳列ぶりは炸裂していた。おまけに、怪しげな小瓶の数々が、所狭しと並べられている。
 不穏なそれらを、見なかったことにした光希を不満に思ったのか、ローゼンアージュは自ら小瓶の恐ろしい用途について説明し始めた。聞くに堪えず、光希は不気味な解説を封じる為に、彼の頭を撫でる。

「うん、判った。よく判った。もう、十分かなぁー……なんて。ありがとうね」

 頭を撫でられた少年は、大きな瞳を更に見開いて、驚いた表情で光希を見つめた。

「あ、ごめん! つい……」

「いえ……」

 照れたように、眼元に朱を散らして俯く。その様子に狼狽える光希を見て、ユニヴァースが言う。

「アージュは無害そうに見えて、実害しかないから……俺は平気だけど、怖がっている連中多くて、もしかしたら今、生まれて初めて頭撫でられているのかも?」

 そうなのだろうか? ローゼンアージュの瞳を覗き込もうとすると、困ったように視線を逸らす。
 生まれてから、一度も頭を撫でられたことがない?
 子供の頃に、誰しも一度は体験するものではないのだろうか……一体どんな家庭で育ったのだろう。
 アッサラームは美しい国だが、過酷な自然と争いを強いられている国でもある。家族や知人を、戦争や災害で亡くす人はとても多い。
 今日知り合ったばかりの相手に、踏み込んだ質問をすることは躊躇われた。
 かける言葉に迷い……肩を軽く叩いて笑いかけるに留める。様子を伺っていると、彼も穏やかに笑んだ。

「……なぁ、俺も撫でてやろうか?」

 やりとりを見ていたユニヴァースは、からかうように言った。

「何言ってるの?」

 人形めいた少年は、表情を消すと、氷のような眼差しでユニヴァースを見やった。
 たった今和んだ空気は、あっけなく霧散している。この二人、仲が良いのか悪いのか、どちらなのだろう?

「殿下の御前ですよ。殺気を出さないでください」

 ルスタムは静かに嗜める。二人は肩をすくめると、溢れる殺気を収めた。

「……ジュリの部屋は、どんな部屋だろう?」

 沈黙を埋めるように尋ねると、ルスタムが応える。

「大将は一階に個室を持っています。大部屋の二倍の広さがあり、浴室、武器庫、書斎付の好待遇ですよ。ですが、シャイターンはあまりお使いになりません」

「個室いいなぁ。使ってないなら、使わせて欲しいですよ」

 ユニヴァースがぼやくと、ローゼンアージュも同意するように頷いた。八人部屋での共同生活は、いろいろと不便なのだろう。

「これから立身出世されると宜しい。サイード殿のように軍曹に昇級すれば、個室がもらえますよ」

 ルスタムが穏やかに告げると、ユニヴァースは表情を引き締めて頷いた。

「出世しますよ、俺は。先の聖戦には行けなかった。あんな悔しい思いはもうご免です。場を与えられたら、一騎当千! アッサラームの獅子を名乗るからには、目指すは将だ。俺はいつか、シャイターンだって越えてみせる」

「シャイターンを?」

 いかにも胡乱げにローゼンアージュは問い返したが、ユニヴァースは不敵な笑みを浮かべると、大きく首肯した。

「そうだよ。越えてみたいって思うのさ。俺は宝石持ちの血を引いているから、特にそう思うのかもしれないけど。シャイターンのように、身体を巡る神力を変幻自在に操って奇跡を呼ぶ! どこまでも深淵な龍脈に漂いながら、神懸かむがりの剣戟けんげきを繰り出すんだ」

 そう語るユニヴァースの瞳は、不意に青色の光彩を帯びる。次いで、窓も開いていないのに、一陣の風が流れた。

「そうだね……少し似てるよ、ジュリに」

 ぽつりと呟くと、ユニヴァースは自信に満ちた表情で、嬉しそうに微笑んだ。ローゼンアージュの冷ややかな眼差しには、気付いていないらしい。

「さて、大分日が暮れましたね。今日はもうお戻りになりますか?」

 窓の外には、夕闇のとばりが降りてきている。光希はルスタムを振り返ると、そうですね、と頷いた。

「少し疲れました。帰りましょう。今日は本当にありがとう」

 笑顔で謝礼を口に乗せると、皆もにこやかな笑みで応えてくれた。