アッサラーム夜想曲

第3部:アッサラームの獅子 - 31 -

 謹慎処分から、二十日後。
 光希は久しぶりに、黒と銀の隊服に袖を通した。
 ようやく屋敷の外に出られる……といっても、屋敷に籠っていても、不満はそうなかった。
 ジュリアスは暇を持て余す光希の為に、私室の隣の応接間を、光希専用の工房に改装してくれたのだ。
 おかげでチャーム制作は捗り、作業に没頭することで心も晴れた。
 一階へ降りると、ナフィーサとルスタム、そしてジュリアスがいる。彼等の表情は明るい。
 苦難の二十日間を、全員で乗り越えたのだ――光希も笑みを浮かべると、彼等の傍へ歩み寄った。

 +

 午前七時。晴天。
 アッサラーム・ヘキサ・シャイターン軍本部基地。

「光希。いってらっしゃい」

「ジュリも、気をつけて」

 馬車の中で、久しぶりに四点を結ぶキスを交わす。
 下りると、二十日ぶりにローゼンアージュが出迎えてくれた。光希を映す瞳には、二十日前と変わらない親愛の色が浮かんでいる。
 緊張しながらクロガネ隊の工房へ向かうと、隊員達は温かい笑顔で迎えてくれた。

「殿下! もう復帰されて平気なのですか?」

 戸口に現れた光希を見るなり、ケイトは傍に寄ってきた。喜びに輝く不思議な光彩の瞳を見て、光希も微笑んだ。

「うん。ご迷惑をおかけして、すみませんでした」

 そういって手製のチャームを渡すと、

「えっ、そんな! いただいていいのですかっ!?」

 恐縮しつつ、とても喜んでくれた。
 他の隊員にも渡したが、反応はケイトと似たり寄ったりだ。光希の胸は喜びに満たされた。もちろん、ローゼンアージュにも渡した。彼は天使のような微笑みで受け取り、その場でネームプレートの鎖に通してくれた。
 朝時課の鐘が鳴り、哨戒しょうかい任務を終えた隊員達が続々と工房に戻ってくる。
 光希に気付くと、気さくに声をかけてくれる。チャームを渡すと満面の笑みで受け取ってくれた。

「いやぁ殿下、お久しぶりです」
「ありがとうございます! 大切にします!!」
「殿下、平気なのですか?」

 光希を囲み、あれこれ話かける隊員を見かねた班長のサイードは、殿下に寄るな群がるな、と人の輪を散らした。ぱん、と手を鳴らして、注目を集める。

「朝礼始めるぞ。内乱鎮圧で通常任務が大分遅れている。ノーグロッジ作戦決行まであと十日だ。飛竜隊第一から第二、それから第三と第四、残り第七まで装具一式、進捗はどうなっている?」

 空気は引き締まり、ざわめいていた隊員はぴたりと口を閉ざした。真剣な表情で姿勢を正す。
 内乱鎮圧とは、先日光希を誘拐したヴァレンティーンの一族、ヘルベルト家主導による、クーデターである。
 当主更迭を申し渡されたヘルベルト家は、賛同する貴人諸侯を引き連れて、アッサラーム軍に反旗を翻したのだ。
 これに対し、ジュリアスは皇帝陛下勅命の元、反乱軍を十日かけて鎮圧した。その後方支隊をクロガネ隊も務めたらしい。

「……強化鋼のくつわ、手綱、前装甲の新調まで完了しています。あぶみ、鞍、背面装甲は残り半分、軍靴ぐんかに仕込む鉄板が手つかずです」

 飛竜隊で最も重要な選抜隊、第一から第二を担当しているアルシャッドは、目の下にくまをこさえている。よく見れば、周囲の隊員も疲れた顔をしていた。
 ノーグロッジ作戦は、東西衝突――対サルビア戦に向けた、バルヘブ中央大陸の渓谷経路確保の偵察任務である。
 深く入り組んだ渓谷の谷間を、海面すれすれの超低空飛行で駆け抜ける高度な飛行技術と、高速飛行に耐えうる強度のくろがね装具が必要だという。
 大量受注の為、一部は市街に外注しているが、殆どはクロガネ隊で引き受けている。緊急任務で制作時間が削られている為、クロガネ隊は、納期に向けて連日徹夜で作業を続けている。
 朝礼後、光希はアルシャッドに声をかけた。

「すみません、先輩。僕、明日は朝から、歩兵隊の訓練に参加させてもらう予定なんです」

「あぁ……班長から聞いてはいますが、それ、本当なんですか?」

 アルシャッドは心配そうに訊ねた。ローゼンアージュも訝しげに見ている。確かに、狂気の沙汰かもしれない。そう思いつつ、光希は苦笑いを浮かべた。

「自分の為にも、少しずつ身体を鍛えていこうと思いまして……」

「しかし……午前中の基礎訓練だけでも、腕立て伏せ百回、腹筋百回、二十分以内の鍛錬場外周の持久走を三本ですよ?」

 光希は青褪めた。具体的な訓練内容を聞くと、とてもついていけない気がする。

「や、やるだけやってみます。ユニヴァースにも面会したいし……」

 無事訓練を乗り切れば、面会を検討するとジュリアスは約束してくれた。完遂できずとも、誠意を見せれば認めてくれる可能性もある。

「彼も殿下を心配していましたよ。もしかしたら会えるかも、とよくここを訪れていました」

「ユニヴァースも復帰しているのですか?」

「はい。特殊部隊に配属されて、訓練に参加しているそうです。彼もノーグロッジ作戦の構成隊員なんですよ」

「特殊部隊って、飛竜隊の構成部隊なんですか?」

「いえ……特殊部隊は、別名、懲罰部隊と呼ばれています。彼等には、危険度の高い任務への強制参加が義務づけられるのです」

 光希は息を呑んだ。懲罰部隊と呼ばれているとは知らなかった。しかも、その作戦は――

「ノーグロッジ作戦の指揮は、ジュリが執るって聞いているんですけど……危険なんですか?」

「難易度の高い任務ですが、シャイターンならば問題ないでしょう」

 アルシャッドは安心させるように微笑んだが、光希は不安な気持ちを拭えなかった。胃がじっとり重くなるのを感じながら、そうですよね、とどうにか淡い笑みを浮かべた。