アッサラーム夜想曲

第2部:シャイターンの花嫁 - 33 -

「判りました。何とかしましょう」

「ジュリーッ!」

 勢いよく抱き着くと、いつものように、力強い腕で受け留めてくれた。

「ただし、私のやり方に従ってもらいます。コーキはもう、この件に関わらせません」

「ジュリのやり方?」

「宮女の安全は保障しますよ。その代わり、ブランシェット姫には二度と会わせません。それでいいですか?」

「パールメラ姫は、助けてくれる?」

「お約束します」

「ありがとう。お願いします」

 ほっと胸を撫で下ろしながら、光希は頭を下げた。

「コーキ! 止めてください、頭を下げたりしないで」

「ジュリにしか頼めないから、きちんと、ありがとうをいいたい」

「コーキ……」

 仕方なさそうに息を吐くと、ジュリアスは腕を伸ばして光希を抱きしめた。弄ぶように黒髪を指に巻きつけ、離すを繰り返しながら、ゆっくり唇を開いた。

「全力でコーキの為だといい聞かせます。そうでもしないと、疑いそうになる私の気持ちを……判ってくれなくても、せめて知っていてください」

「うん……」

 遣る瀬無い声を聞いて、光希は申し訳ない気持ちになった。帰ってきたばかりで疲れているのに、面倒事を頼み、嫌な気持ちにさせてしまった。

「では、早速準備に取りかかります。朝休の鐘が鳴るまでに片づけないといけませんから、休んでいる暇はありませんね」

 名残惜しそうに光希の身体を離すと、彼は脱いだ服を再び着込み始めた。

「えっ、今からいくの?」

 手際よく身支度を整えるジュリアスの背中を、光希は慌てて追いかけた。

「仕方ありません、時間がありませんから。コーキは先に休んでいてください、帰りは遅くなると思います」

「ううん、待ってます。ごめんなさい。疲れているのに、仕事を増やして……」

「いいえ、コーキの為ですから」

 少々わざとらしく、コーキの、という点をやけに強調した。
 しかし、光希の沈んだ表情を見て、ジュリアスは表情を和らげた。そっとおとがいに手をかけて上向かせると、頬に優しく唇を押し当てた。

「そんな顔をしないでください。大したことではありませんよ。なるべく早く戻りますから」

「うん、気をつけて」

 玄関まで見送ろうと、ジュリアスに続いて部屋を出ると、彼は苦笑と共に振り向いた。

「見送りはここで。書斎に用もありますし、もう少し準備をしてから出ていきますから」

「そう……」

 所在なさげに佇む光希を見て、ジュリアスは思わずといった風に手を伸ばした。

「かわいいな、コーキは……」

 甘やかすように耳朶に囁かれ、光希も逞しい背中に腕を回した。どちらからともなく、顔を寄せてキスをする。
 角度を変えて唇を合わせて……次第に口づけは深くなった。夢中になり、足の力が抜けそうになる頃、ゆっくり唇は離れた。

「もう、部屋に戻りなさい」

 額、瞼の上、まなじりに優しいキスが落とされる。そっと目を開けると、ジュリアスは天使のように綺麗なほほえみを浮かべていた。ぼぅっと見惚れている光希の頭を撫でて、お休み、と囁く。
 閉じた扉の前で、光希はしばらく動けずにいた。全く、どうしてジュリアスはあんなに恰好いいのだろう?
 ふわふわした気持ちが落ち着いても、眠る気になれず、光希は部屋の明かりを灯したまま絨緞の上に腰を下ろした。
 彼の帰りを、待っていたい。何も手伝えないけれど、せめて一番に労いたい。
 どうせなら勉強していようと思い、上着を羽織り、分厚い単語辞書を開いた。
 静かな室内に、紙を捲る音が響く。
 じっくり腰を据えて辞書を読みふけっていると、ナフィーサが温かい飲み物を差し入れてくれた。

「殿下、あまりご無理されませんよう」

「ありがとう」

 カップに口をつけながら、ジュリアスを想った。無事に帰ってきますように……

 静かに夜は更けていく――