アッサラーム夜想曲

第2部:シャイターンの花嫁 - 20 -

 午後になると、光希はルスタムを連れて公宮の庭園を訪れた。
 少し離れた所から広大な庭園を眺めてみると、今日も数多の美女達が自由に過ごしていた。
 傍から見ただけでは、人が減っているようには感じられない。
 春風駘蕩しゅんぷうたいとうたる常世の楽園。
 蒼空の下、巨大な円形噴水で肌を濡らして戯れている美女達。
 日傘の下で本を読む美女。
 四阿あずまやでは優雅に西妃レイランが寝そべっている。
 シェリーティアは真っ白な蔓薔薇の傘の下で、幾人かの女達と歓談していた。
 別に話したいわけではないのだが、かつてジュリアスの婚約者だったのかと思うと……つい気になって、観察するように眺めてしまう。
 見れば見るほど、綺麗なお姫様だ。彼女に勝てるとは、到底思えない。なぜお前なのかと詰られても、何一ついい返せる自信がない。
 美女達の輪の中に、半裸で寛ぐ男の姿を見つけて、光希はルスタムを振り返った。

「彼は、男ですよね? どうして公宮に?」

「男でも容姿の美しい者は、召し上げられることがあるのです」

「男でも……?」

「まぁ公宮ですから……中には男色家もいますし、孕む心配がない分、好んで召し上げる方も居るそうですよ」

 怪訝そうな光希の顔を見て、ルスタムは判りやすく教えてくれた。絶句である。こんなにも美しい公宮が、途端にいかがわしい場所に見えてきてしまう。

「ジュリの姫の中にも男はいますか?」

「はい。何名かいらっしゃったと思います」

 くらり、と眩暈がした。もう、公宮に関して驚くまいと思っていたが、甘かったようだ。

「シャイターンは公宮を顧みない方でしたから……彼が好んで男を召し上げた訳ではなく、周囲の計らいで用意されただけですよ」

 打ちのめされ、悄然しょうぜんとする光希を気遣うように、ルスタムはつけ加えた。

「ジュリは、男を抱いたことあるのかな」

 ひっそりと呟いた。聞こえたであろうルスタムは何も応えなかったが、あるだろうと光希は確信していた。
 思えば、彼は何もかも手慣れ過ぎていた。
 キス一つにしても、顔を傾けることすら知らなかった光希に対して、ジュリアスは当たり前のように頬を寄せて、唇を合わせれば舌を入れてくる……
 臆せず光希の肌に触れて、舌で、手で、全身を愛撫する。痛くないように、念入りに後ろも解してくれる。知っていたとしても、なかなかできる行為ではないだろう。

(ジュリが遠いよ……)

 知れば知るほど、距離を感じる。
 入り口で足踏みしていると、西妃の使いの者がやってきた。言伝ことづてを聞いて四阿に目をやると、儚げな美女が手を振っていた。

「お誘いありがとうございます。では、少しだけお邪魔させていただきます」

 光希が誘いに応じるや、使いの者は再び主の元へと走り去った。
 ようやく庭園に踏み入ると、こちらに気づいた美女達がたおやかに膝を折る。会釈しそうになる衝動をどうにか堪えて、正面を向いたまま四阿へと向かった。

「ごきげんよう、殿下。気持ちの良い午後に、殿下にお会いできて、とても嬉しいですわ」

「こんにちは、西妃様」

「東方から珍しいお茶を取り寄せましたの。ぜひ殿下にもお飲みいただきたいわ」

 リビライラは穏やかにほほえむと、手を鳴らして召使を傍に呼んだ。たおやかで典雅な所作に、つい見惚れてしまう。
 紅茶の芳醇な香りが辺りに漂う。
 お茶の準備が整うと、小さな可愛らしいお菓子や果物を載せた、白磁の大皿が光希の目の前に置かれた。
 彼女はジュリアスの公宮解散については少しも触れず、当たり障りのない公宮話を朗らかに話してくれる。空気を読むことに長けた、話しているだけで癒される聡明な美女だ。

「僕はまだ、この庭園しか知りませんが、西妃様は他にどんな場所がお好きですか?」

 光希が訊ねると、西妃はかわいらしく小首を傾げてみせた。

「そうですわねぇ、私も午後は庭園で過ごすのが好きですの。あとは大噴水や蒸風呂にもよくいきますわ。とても気持ち良いのですよ。良ければ殿下もいらしてくださいませ」

「……大噴水や蒸風呂って、服を着て入るのですか?」

 リビライラは不思議そうに首を傾げた。

「まぁ殿下、それでは衣装が濡れてしまいますわ。もちろん裸で入るに決まっております」

 誘っている相手は、一応男なのだが……彼女は、判っているのだろうか?
 狼狽える光希を見て、リビライラは察したように説明してくれた。

「公宮内では男女の区別はありませんの。主人を癒し、お守りする使命は等しく同じですから。本殿の泉や風呂では男女共に裸で寛いでおりますわ」

 唖然茫然。光希は開いた口がふさがらなかった。

(自由すぎるだろうッ!)

 裸の男女が同じ風呂に入って、間違いが起きたりしないのだろうか? そもそも羞恥心はないのだろうか?

「興味がおありでしたら、今度いらしてくださいませ。ご案内いたしますわ」

「……アースレイヤ皇太子や、ジュリもいくのですか?」

「アースレイヤ皇太子は時々いらっしゃいますが、シャイターンはお見かけしたことはありませんわね」

 安堵しつつ、アースレイヤがいくことに驚きを隠せなかった。優しげな美貌だったが、見た目によらず、酒池肉林なのだろうか?
 もう、ここまで想像を突き抜けていると、いっそ天晴あっぱれという気がしてきた。
 大勢の裸美女に囲まれて風呂に入るのは、どんな感じなのだろう。男なら一度は夢見る展開ではなかろうか?
 むしろ、どうしてジュリアスはいかないのだろう?
 風呂が嫌いなわけではあるまい。光希とは嬉々として一緒に風呂に入っていた。では、美女に興味がないのだろうか?

(そんな馬鹿な)

 ふと閃いた。いっそ腹いせに、好き勝手に振る舞ってやろうか。光希が公宮の頂点だというのなら、思うがまま美女を侍らせ、奉仕させたとしても誰も文句をいえないのでは?
 心の内でため息をついた。張り合ってどうする……そんな真似をしたら、余計にこじれてしまう。

「いいえ、僕はいきません。教えてくれて、ありがとうございます」

「残念ですわ。楽しそうだと思ったのですけれど……そうですわ、ブランシェットを誘ってみませんこと?」

「えっ!?」

「うふふ、あの娘がお気に召したのではありませんこと? 昨日は随分、熱心に見つめていらっしゃったわ」

 図星を指されて、心臓が跳ねた。悪戯っぽい光を瞳に灯して、リビライラはほほえんでいる。

「近くにいると思うの。ブランシェットを呼んできて」

 止める間もなく、リビライラは使いの者を飛ばしてしまった。

「西妃様、彼女はかわいいなと思うけど、僕は……」

「実は昨日、ブランシェットから、もっと殿下とお話ししたいと相談されましたの。内気な娘だから、つい力になってあげたいと思ってしまって。私、お節介だったかしら?」

「えっ?」

 本当だろうか?
 すっかり光希が動揺している間に、リビライラの使いの者がブランシェットを連れて戻ってきた。