アッサラーム夜想曲

第2部:シャイターンの花嫁 - 16 -

 今夜はじっくりジュリアスと話し合おう――そう決めていたはずのに、初めてというくらいの大喧嘩をした。
 喧嘩のきっかけは、夜も更けた頃、女物の香水を漂わせて、ジュリアスが帰宅したことから始まる。
 昼間、公宮で数多の美女を目の当たりにしていた光希は、気だるげなジュリアスの姿を見た途端に、心に影が差すのを感じた。

「随分、遅かったね……酷く酒と香水の匂いがする」

「ただいまコーキ、遅くなってすみません。祝賀会に引っ張り出されてしまって……」

「ふぅん……どんな人がいたの?」

 脱いだ上着を椅子にかけると、ジュリアスはご機嫌をうかがうように、背後から光希を抱きしめた。
 彼から漂う甘い香りが不愉快で、光希は首に回された腕から、さり気なく逃げた。

「コーキ?」

「臭いから近寄らないで」

 そっぽを向いて告げると、ごめんね、とジュリアスは微苦笑を浮かべた。清めてきます、といい置いて部屋を出ていく。
 苛立つ感情を制御できずに、冷静になろうとテラスで風に吹かれていると、しばらくしてジュリアスは戻ってきた。

「コーキ、風邪を引きますよ。中に入っておいで」

 返事をする気になれず、背中を向けたまま夜空を見つめていると、ジュリアスの方からテラスにやってきた。包みこむように背中から抱きしめられる。
 急いできてくれたのだろう、髪が濡れている。金糸のような髪を伝う雫が、光希の肌をひんやりと濡らした。

「髪……濡れてるよ」

「中に入りましょう?」

 優しく耳朶に囁く。そこで意地を張るのは止めて、大人しく中に入った。絨緞の上に並んで座ると、昼間見た公宮の話を振ってみることにした。

「驚いたよ、あんなに多くの女性がいるなんて知らなかった。三百人はジュリアスの為に居るって聞いたけど、本当?」

「あぁ……結構いるのですね。誤解しないでくださいね、私が望んで公宮に入れたのではありませんよ。周りが勝手に見繕って入れたのです。もちろん、花嫁ロザインを得た今の私には不要ですから、公宮を解散するよう神殿には伝えてあります。これから次第に公宮の女も減っていくでしょう」

 ジュリアスは平然と答えた。全く動じない杓子定規な説明に、なんとなく腹が立つ。

「公宮のこと……どうして、もっと早く教えてくれなかったの?」

「……そうでしたか?」

『とぼけてんじゃねーよ』

 白々しい返事に、光希は日本語で悪態をついた。
 宥めるように肩に回された腕を、鬱陶しそうに跳ね除ける。苛立ちを堪え切れずに立ち上がると、悪びれのない端正な顔をめつけた。

「本当のことを教えて。絶対に答えて。公宮にいる女と寝たことはあるの?」

「……ありますよ」

「……へぇ、そう……シェリーティア姫とは?」

「ありません」

「じゃあ、いつ、誰と寝たことがあるの?」

「十三で成人して神殿を出たあと、公宮での暮らしと共に夜の習いが始まりました。宮女を抱いたのは、その時が初めてです。それからは……気が向けば公宮を渡り、正直に話せば、あの頃どれだけ抱いたか覚えていません」

「僕とオアシスで出会ったあとも……誰かを抱いていた?」

 真顔で問い質すと、ジュリアスは心外といわんばかりに眉をひそめた。真剣な眼差しで光希を見つめる。

「それは絶対にない。オアシスで巡り会えた日から、コーキしか抱いていません」

 一途な青い瞳に、やましい色は浮かんでいないように見えた。
 嘘はついていない……?
 けれど、もう既に傷ついている。
 過去をとやかくいっても仕方ないと判っていても、感情が追いつかない。
 ジュリアスが与えてくれる熱はいつも心地よくて、身体を重ねることは、愛を交わすことなんだって、昨夜は実感できたばかりなのに。
 あんなに特別なことを、親密な時間を、例え過ぎた日々でも、誰かと交わしていたのかと思うと……胸が締めつけられるような苦しさに襲われた。

 光希だけのジュリアスではなかったのだ。