アッサラーム夜想曲

第2部:シャイターンの花嫁 - 14 -


 思いのほか楽しい時間であったが、いよいよ時間が危うくなり、光希は中座させてもらうことにした。宮女達の笑顔に送り出されて、間もなくルスタムと共に馬車に乗り込んだ。

「お疲れのようですね……サリヴァン神官には、また後日いらしていただきますか?」

 光希の顔色を見て、ルスタムは気遣わしげに声をかけた。

「いいえ、いろいろと訊きたいことがあるから……」

 帰りの馬車では外を眺める気力もなく、揺れに眠気を誘われるまま、瞼を閉じて微睡んでいた。
 少しうたた寝してしまったようだ。目を醒ますと、身体の上にルスタムの大きな上着がかけられていた。

「ありがとう……」

「いいえ、殿下」

 ルスタムは先に馬車を降りて梯子を準備すると、光希に向けて手を差し伸べた。諦めの境地でその手を取ると、降りた先でナフィーサが出迎えてくれた。

「お帰りなさいませ」

「ただいま」

「公宮はいかがでしたか?」

「うん……すごかった」

 その一言に尽きる。疲れた足取りで私室に戻ると、力尽きて絨緞の上に倒れ伏した。

「殿下?」

「少し疲れました……一人にしてもらえますか? サリヴァンがきたら、教えてください」

「かしこまりました。お飲み物を置いておきますね……では、失礼いたします」

 部屋の扉が閉まり、独りになると、光希は殆ど無意識にため息をついた。

『ジュリめ……』

 公宮には、皇族が住んでいるのだとばかり思っていた。このお邸にしても、これほど豪邸とは聞いていない。てっきり、公宮の一室を使わせてもらえるのだと思っていたのだ。
 以前、公宮について訊ねた時は、皇族の家族が住んでる、としか答えなかった。聞いていた話と大分違うではないか。
 少し、いや大分、説明が足りないだろう。
 公宮で見た光景が瞼の奥に蘇る。
 美しく、優しいリビライラ。彼女がアースレイヤ皇太子の一番の妃で、パールメラは愛人という認識でいいのだろうか? そもそも、何番目までいるのだろう?
 それにしても、ブランシェットはとても可憐な姫だった。光希が知らないだけで、ジュリアスにも囲ってる相手がいるのでは……?
 想像してみたら、途端に嫌な気分になった。
 あれだけの美女に囲まれて、一切手を出さないなんて、ありえるのだろうか。
 らちもない思いにふけっていると、ナフィーサに呼ばれた。

「殿下、サリヴァン神官がお見えになりました。客間へお越しください」

「はーい……」

 一階に降りると、階段下で待っていたナフィーサが、上着の皺を伸ばしてくれた。

「ありがとう」

「いいえ、殿下。さ、こちらへ。客間にご案内いたします」

 玄関広間を抜けて広い客間に入ると、懐かしい老師が笑顔で出迎えてくれた。

「お久しぶりです、シャイターンの花嫁ロザイン

「こんにちは! サリヴァン」

 固く手を取り合って挨拶をする。久しぶりに敬愛する師に会えて、落ち込んでいた気分は多少浮上した。

「凱旋の様子を賓席から見ておりました。ご立派でしたよ」

「ありがとうございます」

 褒められて、照れくさいような、誇らしいような気持ちになる。
 嬉しそうに笑う光希を、サリヴァンは優しい眼差しで見つめた。

「良い邸ですね。シャイターンも寝る間を惜しんで設計した甲斐があったというものでしょう。花嫁をお迎えすることができて、さぞお喜びでしょうな」

「素晴らしい家です。僕は、公宮の一部屋に住むのだと思っていました……」

 しみじみと呟く光希を見て、は、は、は……とサリヴァンは楽しそうに笑った。

「花嫁に公宮の一部屋を宛がうなど、彼が許すはずがない」

「僕には……立派過ぎます」

 光希は苦笑いを浮かべた。皮肉な気持ちが顔に出ないよう、意識しなければならなかった。

「相変わらず謙虚でいらっしゃいますなぁ。今日は公宮の庭園へいかれたと聞いておりますが、いかがでしたかな?」

「はい……とても驚きました」

 死んだ魚のような眼差しで答える光希を見て、サリヴァンは苦笑を浮かべた。