アッサラーム夜想曲

第1部:あなたは私の運命 - 9 -

 オアシスに戻ると、黒い一角獣は尾を揺らして主にすり寄った。食事の痕跡に気づいたジュリアスは、問いかけるように光希を見た。

「あ、うん。餌ならさっきあげたよ」

「*****、********」

 恐らく、謝礼の言葉を口にしたのだろう。ほほえみ合い、わだかまっていた気まずさは完全に消えた。
 ジュリアスは背負っていた大きな荷袋を下ろすと、軍服の上下を取り出して光希に手渡した。親切に、下履きまである。

「ありがとう!」

 満面の笑みを向ける光希の頭を、ジュリアスは子供にするように撫でた。定着しつつある仕草だ。
 早速、着替えると、想像以上にほっとした。全身を包まれる安心感。服の偉大さを改めて思い知った。
 我がままはいえないが、サイズはかなり大きい。裾と袖を幾重にも折り返した。
 愕然としていると、丈夫そうな軍靴ぐんかを渡された。大きいが、編み上げなので調節はできそうだ。これで思い切り動き回れる。
 銀と黒を基調にした軍服は、ジュリアスくらい背があれば凛と見栄えするのだろうが、一六五センチのぽっちゃり体系の光希が着ると、子供が晴れの日におめかしをしているみたいだ。折り返した袖と裾が情けない……
 光希が身なりに気を取られている一方、ジュリアスは何かを探るように、地面を触り出した。大きな石や枝を取り除いているようだ。調理か寝床の準備をしているのかもしれない。

「ゴツゴツしたものを取り除けばいいの?」

 傍に寄って光希も石ころを避けると、そうだ、というようにジュリアスは頷いた。オッケー、と返事をしてせっせと手を動かしていると、彼は細い竹のようにしなる枝を器用に組み上げ、支点を荒縄で縛り始めた。
 恐らく、テントを作っているのだろう。
 案の定、骨組みを完成させるや、鉄杭で地面に固定していく。雨露も凌げそうな頑丈な布を上からかけると、最後に重い岩で四方の布を固定した。あっという間に完成だ。
 テントは、大人二人が横になれるくらいの広さがある。中に布を幾重も敷くと、肌触りの良いクッションや布を入れた。簡易テントにしては豪華だ。
 ジュリアスは鈍色にびいろの照明に火を点けると、テントの傍に置いた。
 今、どうやって火を点けたのだろう?
 硝子照明の中で、青い炎はゆらゆらと揺れている。そういえば、昨日の焚火も青い炎だった……普通は、もっと赤くないだろうか?

「コーキ」

 呼ばれて岸部へ寄ると、青い炎の焚火が燃えていた。本当に、一体どうやって火を点けたのだろう。じっと炎を見つめていると、真鍮しんちゅうの杯を手渡された。

「何? 酒?」

 喉に流しこんだ途端に、身体はカッと熱を帯びた。

「バ**ィー」

 今の単語は、この飲み物の名前だろうか。

「バ・・?」

「バゥリー」

「バウリー」

 何度か繰り返すと、ジュリアスは満足そうに頷いた。どうやら、バゥリーというらしい。未成年なんだけど、大丈夫かしら……と思いつつ、光希は興味を惹かれてちびちび煽った。度数はきついが、味は美味しい。
 酒のさかなに、ジュリアスは火で炙った串焼きを渡してくれた。どれも美味しいが、特に薄く伸ばしたナンは格別であった。

「すごく、美味しいよー」

 美しいオアシスで満点の星空を眺めながら、美味しい食べ物に舌鼓を打つ。地球でこんな贅沢をしようものなら、結構なお金がかかりそうだ。
 昨日からの出来事をとんだ災難だと思っていたけれど、得な面もあるのかもしれない。そう思えるのも、全て彼のおかげだ。
 端正な横顔を眺めていると、ジュリアスはおもむろにウードのような楽器を取り出した。

(マジか、楽器まで弾けんのかよ!)

 驚愕する光希の傍らで、ジュリアスは堂に入った仕草で楽器を構えた。
 異国のオアシスに、甘く、切ない旋律が流れ出す。
 なんて美しい音楽なのだろう……
 本当に奇跡のような人だ。天から、あらゆる才能を約束されて、生を受けたのではなかろうか?
 演奏が途絶えて、我に返った光希が手を鳴らすと、ジュリアスは甘くほほえんだ。男と知っていても、心臓を撃ち抜かれそうである。
 すると今度は、演奏に合わせて歌ってくれた。
 砂漠を思い浮かべるような、異国情緒たっぷりな音色に乗せて、心地よい声が言葉を紡ぐ……
 歌詞は判らないけれど、甘くて優しい歌声が心に沁みいる。聴衆が光希しかいないことが、勿体ないくらいだ。
 演奏が途切れると、光希は盛大に手を鳴らした。

「良かったよ! 歌も演奏も素晴らしかった。ジュリって何でもできるんだね」

「*****、コーキ********」

 光希が楽器に手を伸ばすと、ジュリアスは快く渡してくれた。つま弾けば、ポロンと柔らかな音色が響く。彼のように自由自在に演奏できたら、さぞ楽しいのだろう。

「俺も一曲披露するよ。演奏は無理だけど」

 弦を悪戯に掻き鳴らすと、ジュリアスは瞳を輝かせて手を鳴らした。
 光希は、よく知っているアニソンを歌った。ノリのいい明るい曲のはずなのに、学校帰りに寄り道をした、カラオケや友達の顔を思い出して視界が潤んだ。