アッサラーム夜想曲

第1部:あなたは私の運命 - 40 -

 オアシスの切ない夜が明ける――
 光希はジュリアスよりも先に目を醒ますと、そっと腕の中から抜け出した。軍服に着替えて、音を立てずに天幕の外に出る。
 しんとした朝の空気を胸いっぱいに吸いこんだ。大丈夫、心は前を向いている。
 昨夜は泣きながら眠ったせいか、どうも顔が腫れぼったい。念入りに泉の水で顔を洗っていると、天幕からジュリアスが出てきた。

「コーキ?」

「お早うございます、ジュリ」

 振り返ると、ジュリアスは安堵したように表情を緩めた。光希は顔を拭きながら傍に寄り、青い瞳を見つめて笑いかけた。

「天幕畳む?」

「はい……その前に食事にしましょう」

 ジュリアスは優しくほほえむと、しばらく光希の髪を撫でてから準備に取りかかった。
 火を起こして鍋をかける。手際よく南瓜かぼちゃに似た黄色い野菜をすり潰し、水で溶いて、肉と一緒に適当に切った野菜をごろごろと中に入れた。
 簡単な調理なのに、とても美味しそうだ。いい匂いが辺りに漂う。

「ジュリの料理は美味しいです」

「ありがとう、ここでは*****作れないけど、喜んでもらえて嬉しいです」

 ジュリアスは器にスープを注ぐと、自分よりも先に光希に手渡した。
 想像した通り、スープは素晴らしく美味しかった。

「ありがとう。すごく美味しいよー」

 手を合わせる光希の横で、ジュリアスは朝から酒を飲んでいる。この後、飛竜に乗るのによく平気なものだ。
 光希が暇そうに見えたのか、ジュリアスは杯の残りをぐいと煽ると、火を消して出発の準備を始めた。
 天幕を畳んで荷を片づけ、塵一つ残さず、あっという間に撤収準備を終えた。手伝う間もなく、殆どジュリアス一人でやってのけてしまった。
 ジュリアスと並んでオアシスを出ると、護衛兵達が既に出立の準備を終えて砂の上に跪いて待っていた。

「お早うございます、シャイターン、ロザイン」

 ジャファールが護衛兵を代表して挨拶すると、ジュリアスは軽く手を上げて頷いた。

「あぁ、**いきましょう」

「お早うございます、ジャファール……」

 光希もジュリアスの隣で控えめに挨拶した。幾人かの視線が光希に寄せられた。光希が口を利いたことが意外だったのかもしれない。
 少しでも良い印象を持って欲しくて、にこにこしていたら、ジュリアスに膝裏をすくわれて横抱きにされた。慌てて首に腕を回すと、超人的な跳躍で飛竜の上におろされた。
 またこれに乗るのか……と少々げんなりする。座り心地のいい位置を調整していると、早くもジュリアスが手綱を捌いた。

「コーキ、飛びますよ」

「はい!」

 砂塵で目や鼻をやられないよう、瞼をきつく閉じて覆面を手で押さえる。
 飛行が安定すると、オアシスを振り返った。いよいよ、オアシスも見納めだ。
 振り返ったままの光希を、ジュリアスはずっと支えていた。

 数刻後。昼過ぎにスクワド砂漠の野営地に到着した。
 飛竜の群れが着陸すると、武装兵達が周囲に集まってきた。ジュリアスが光希を抱えて降りると、膝をついてこうべを垂れる。

「お帰りなさいませ、シャイターン、***ロザイン」

 先頭で跪いている軍人が声をかけると、ジュリアスは光希を横抱きにしたまま彼の傍へ寄った。

「ナディア、戻ったのか」

「はい、昨夜。サルビア*は**に**しました」

「***」

 ジュリアスは鷹揚に頷いた。光希はジュリアスの腕からおろしてもらうと、ナディアと呼ばれた男をまじまじと観察した。
 年は二十代半ばくらいだろうか。
 中性めいた端正な顔立ちをしており、腰まで伸ばした艶やかな灰銀髪がよく似合っている。淡い灰緑色の瞳も神秘的で、見つめていると吸いこまれそうだ。
 他の軍人同様、彼もかなりの長身だろう。跪いているのでよく判らないが、もしかしたらジュリアスより背が高いかもしれない。
 光希が無意識に見惚れていると、ジュリアスに腰を引き寄せられた。

「疲れたでしょう。天幕に戻りましょう」

「はい」

 隣を見上げると甘くほほえまれて、思わず鼓動が跳ねた。誰よりも、ジュリアスが一番恰好いい。
 光希が照れくさそうに視線を伏せると、頭上でジュリアスがくすりと笑う気配がした。

 四日後。
 ジュリアスは光希を連れてスクワド砂漠を後にした。バルヘブ西大陸の中心都市、アッサラームに入るのは、更に二ヵ月後のことである。