月狼聖杯記

8章:夜明けの鬨 10


 シェスラがネロア防衛戦でアルセウスに勝利したことは瞬く間に広まり、ドナロ大陸の勢力図は新たに上書きされた。
 六都市――ノア、ルクィーセ、エヴィト、リスム、ジュナ、ブルテリアはアレッツィアに従っている。
 一方、チェスカ、ネロアに加えて、北方のチェル・カタが新にセルト国と同盟を結んだ。これはアレッツィアにとって大きな脅威であり、背後に懸念材料を抱える事態になった。
 ペルシニアは相変わらずの二枚舌外交で、アレッツィアにもセルトにもいい顔をしているが、シェスラの幾つかの要求を渋々ながら了承せざるをえなくなった。
 また、静観していた草原の部族や山間の部族もシェスラと協定を結んだ。軍の総数はアレッツィアの方が数倍上だが、シェスラも小部族をまとめあげ、軍事の規模を拡大しつつある。
 氷像のように美しい男の空恐ろしいまでの軍事才能に、周辺諸国の長は身震いを覚えずにはいられなかった。この男なら、長い史上において、誰もなしえなかった大陸制覇をやり遂げるかもしれない――
 法を重んじるアルトニア帝国と違い、実力主義の月狼族は、敗戦の責任者に罰として、挑戦者と生死を懸けた一騎相の勝負をさせる習わしがある。敗れた方は死ぬのだ。
 冷酷無慈悲といわれるシェスラは、十五で戴冠した時から、自ら先陣を切って戦場に立ち、二十数回に及ぶ連勝を成し遂げてきた。
 戦場に身をおいて生き残り続けるということは、それだけで武勲の証となるのだ。

 星暦五○三年。九月三十日。
 司令官達が閲兵えっぺいするなか、ラギスはシェスラの隣にいた。浅黒い肌に黒絹仕立ての長袴と胴衣を纏い、その身にまとったもので色がついているのは、胸に留めた青い宝石と、鞘の佩環はいかんに垂れる翡翠の緒玉のみだ。相変わらず軽装を好み、無造作に羽織っていた外套すらも、早々にジリアンに預けてしまった。
 一方、冑をかぶり、鎧をまとい、長剣、斧で武装している紺色の軍服に身を包んだ将兵らは、整然と隊伍たいごを整え、王の号令を待っていた。
 白を基調とした軍の礼装姿で、宝冠を戴くシェスラは悠然と彼等を見やり、形のよい唇を開いた。
「勇壮な我が全将兵たちよ。長年待ち望んでいた時が、ついにきた!」
 万軍の頂点に立つ偉大なる月狼の王ドミナス・アルファングは、彼等の視線を一身に浴びながら、臆することなく威風堂々と続けた。
「冬のネヴァール山脈越えは不可能といわれている。これまで多くの指導者が挑み、霊峰に散っていった。十年前にはペルシニアが五千の兵を率いて挑み、登攀に失敗している。ならば、我々はどうか? 無謀な懸けだと思うか?」
 シェスラは一度言葉をきり、全員を見回した。彼等はじっと王の言葉に耳を傾け、続きを待っている。
「我々にとっても、かつてない試練となるだろう。餓えと寒さに耐えながら、何度も葛藤を味わうだろう。道半ばで味方が倒れ、その度に悲しみに襲われるだろう……過酷な行軍であることは判っている。それでも私は、ネヴァール山脈越えに挑む。ここにいる、全員で挑むのだ」
 しんと水を打ったように静まり返るなか、シェスラの声は遥か遠くまで響いた。
「我々がアレッツィアに屈した時、月狼の未来は潰える。小数部族が牙を剥いても、アルトニアには勝てぬ。帝国はドナロ大陸を支配し、冷酷な純血主義で月狼を迫害するだろう」
 水晶の瞳が蒼白い光を放つ。未来を視透すかのような口調に、耳を傾ける月狼たちの顔は強張った。
「我が兄弟、姉妹、同胞たちよ。諦めてはいけない。アレッツィアに対抗できる勢力は、我々しかいないのだ。今ここから逃げたら、永久に故郷や家族を失うことになる」
 そうだ、その通りだ――同意を示す控えめな声が、あちこちからあがり始めた。
「私がこうして呼びかけているのは、単にラピニシアを奪還し、全部族を掌握する王になるためではない。帝国や他のどんな勢力からも脅かされることのないよう、月狼の独立と自由を守るためだ。そのために闘う」
 さっきよりも強く、四方から闘志を鼓舞する咆哮があがった。
「ラピニシア奪還は始まりにすぎない。私の目指す世界は、月狼の結束を一つにし、同胞による国境をなくすこと。国の礎を築くことだ」
 シェスラは天を指さし、高らかに宣言した。はっとしたように息を呑む同胞たちを見回し、強い意思を宿した目で続ける。
「壮大な夢だが、生涯を懸けて追い求める覚悟がある。奴隷を解放し、首輪と流血の連鎖を断つ。統一国家の黎明を皆に見せたい。戦闘民族の誇りをもちながら、文明を築いていくことができることを知ってほしい。一人一人にその力があるのだと。愛する者と豊かな狼生を送るため、侵略の危機には全部族が一つとなって立ち向かう。今がその時だ」
 複数の声があがる。シェスラの言葉に胸を打たれた月狼たちが、本能ままに天に向かって咆えた。
「同胞たちよ、力を貸してほしい。月狼の結束を一つにし、ネヴァール山脈を越える! 全員でだ!」
 割れんばかりの喝采が沸き起こった。ラギスも拳を天にかざして咆えた。
「聖地を奪還し、混沌とした乱世に、夜明けの先触れをもたらすのだ!」
「「オォッ!」」
 麗々しい口上は彼の得意とするところだ。若く才能に満ちた大王の言葉を、将兵達は期待に目を輝かせ、或いは頬を紅潮させて拝聴している。
「行軍の成功を天に問う。雷鳥は自由の象徴、空へ飛ぶ方向に、我々の未来があると教えてくれるだろう」
 演説の仕上げに、シェスラは勝利をもたらすという白い吉鳥を空に放った。美しい鳥は、迷うことなく、ラピニシアの方へ向かって飛んでいった。
「天意は我にあり! レイール女神は、今日という運命の日に加護を授けてくださった」
 シェスラが女神の神佑しんゆうを確信したように告げると、万もの兵士達は拳を突きあげ、天に翳して喝采を吠えた。
「「大王ロワ・アルファ様、万歳!」」
「「偉大なる月狼の王ドミナス・アルファング!」」
 実際のところは、離れたところに配置した飼育員が鳥笛を吹いて飛ぶ方向を誘導しているのだが、兵士達は知るよしもない。要は、彼等が吉兆を信じればいいのである。
 ラギスはからくりを知っていたが、胸を熱くせずにはいられなかった。主君の言葉を、栄光を約束してくれる権威あるものとして、胸に刻んでいるかのような将兵らと共に、拳を突きあげて咆えた。シェスラも声を張りあげて続ける。
「我等を野蛮と笑う帝国軍は、ラピニシアを穢し、月狼の結束を砕こうとしている」
「「そうだ!」」
「同じ思想、闘心を抱く誇り高い月狼の同胞が、貪欲なアルトニア人の餌食になろうとしている……だが彼等は知らない。月狼が、最強の戦闘部族だということを」
 オォッ!!
 鬨の声が、四方からあがった。勇ましい月狼の闘争心に不滅の火が灯る。
「帝国に教えてやろう! 月狼の結束を!」
 月狼の戦士達は双眸を爛と輝かせ、さらに声をあげた。
「燦然と輝くこの土地は、開闢かいびゃく以来から月狼のものだと。侵略者を勦滅そうめつするのだ!」
「「オオオォ――ッ!!」」
 熱狂的な大歓声に包まれた。ラギスも拳を天に突き上げて吠えた。この土地は月狼のものだ。アルトニア帝国になど渡すものか!
「民はいさおつわもの達の武勲を讃え、永久とわ頌歌しょうかを紡ぐだろう! アレッツィアの首級しるしをあげ、帝国の侵攻を打ち砕こうぞ!!」
 割れんばかりの喊声かんせいに変わり大地をどよもした。
 勇壮な叫びは収まることなく、騎乗したシェスラが歩むごとに、新たな喊声が不沈城グラン・ディオに反響した。
 城をでたあとも、外に控える、何千、何万という隊伍が空に向かってときの咆哮をあげた。

 遥かなる遠征が始まる。
 行軍には二万五千の歩兵と騎兵のほか、数先頭もの牛、山羊に羚羊れいよう戦蜥蜴いくさとかげも続いた。兵站へいたん部の二輪馬車には、生きた雄鶏、雌鶏、塩漬け肉、旅の必需食品たる小麦粉や紅茶、乾燥豆が山と積まれている。
 隊伍たいごを駆け抜けていく風は大分涼しくなり、冬の兆しを肌に感じるが、将兵たちの闘気で空気は熱かった。
 だがこの先、彼等の意思は挫かれ、何度も絶望の淵を見ることになるだろう……
 ネヴァール越冬の行軍が困難を極めるであろうことは、想像に難くない。二万五千の歩兵と騎兵のうち、果たして何割が、ネヴァール山脈を越えられるのだろうか?

 乾坤一擲けんこんいってきの試みの行方は、神のみぞ知る――




 第三部「試練」(連載時期未定)




8章:夜明けの鬨 10


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