月狼聖杯記

7章:過ちの代償 2


 星歴五〇三年。九月五日。
 陽がさんと降り注ぐ中、シェスラの率いるセルト軍一行はネロアの本拠地、ベルタルダ城に到着した。
 堅牢な城塞を中心に、街全体を高い壁がぐるりと囲んでいる。遠く聳える丘陵きゅうりょうには、背の低い頑丈そうな家々が点在しており、放牧された羊の群れが見える。
 聳え立つ塁壁るいへきの前までくると、拱門きょうもん型の鉄扉てっぴ が開き、中から騎馬した族長が姿を見せた。
 歴戦の将を思わせる、厳めしい顔つきの壮年の男だ。ネロア族の礼装に身を包んでいる。真珠をあしらった純白の長衣を羽織り、腰に錦紗の帯を撒いて、たくしあげた裳裾の下から、絹地に金糸の縫い取りをほどこした袴を覗かせ、その先を縁に毛皮のついている群青の革靴にたくしこんでいる。身に帯びた唯一の武器は広刃の偃月刀えんげっとうで、身体に馴染んだ象牙の鞘に納めている。
「遠路から、よくいらしてくださいました。偉大なる月狼の王ドミナス・アルファング。ネロアの族長を務めております、ギュオーと申します」
 遠くまでよく通る、威厳に満ちた声で族長はいった。
「元気そうだな。歓迎いただき、感謝する」
 シェスラは満足そうにいった。ギュオーが恭しく一礼すると、彼の後ろに控えている臣下達も、主にならって膝を折った。
「私の部隊は、丘陵に野営させてもらうぞ」
 シェスラの言葉に、ギュオーは感謝の目を向けた。
「大王様自ら出兵していただき、誠に感謝しております。必要なものがありましたら、何なりとお申しつけください」
「ありがたい」
「お礼を申しあげるのはこちらです。アレッツィア勢の侵攻経路を未だに捉えられておりません。勇猛なセルトの援軍は本当に心強い」
 隊伍たいごが野営の準備を始める傍らで、シェスラ達はギュオーに先導されながら楼門をくぐり抜けた。城を中心に、大通りの左右には、煉瓦造りの旅館や邸宅が並び、どの家も雨戸がしっかりしていて、扉には乾燥させた花が飾られていた。
 厩舎に馬を預ける間、歓迎にやってきた領民や、歩哨ほしょうに就いている兵士達から、シェスラは崇敬の眼差しを向けられていた。ネロアでも彼の人気は健在である。
 城内に入り、長い廊下を渡り歩き、ようやく広々とした応接間に案内された。
 赤と茶色で調えられた重厚な部屋で、左右に暖炉がある。石壁は厚い羊毛のタペストリーで覆われているので、冬でも暖かそうだ。天井からレイール女神の聖像がんが吊るされ、燈明とうみょうが灯されている。
 部屋の中央に、鏡のように磨きぬかれた棕櫚しゅろの机が鎮座しており、羊皮紙に刷られたネロアの詳細な地図が敷かれている。ギュオーは机の方へ歩いていき、シェスラを振り返った。
「我が大王きみ 。私の子供達を紹介させていただいてもよろしいでしょうか?」
 シェスラが頷くと、ギュオーは感謝を口にし、子供達を傍へ呼んだ。男が二人と女が一人で、全員が藍色の瞳をしている。
「左から長男のラハヴ」
 濃い茶色の髪を後ろで束ねた青年は、緊張した様子でお辞儀をした。薄くそばかすの散った鼻梁に、金縁の丸眼鏡をかけており、大人しい印象を受ける。
「隣が三男のガルシアです。身体は弱いが、数字に強く、帳簿を任せております」
 淡い白金の髪を襟足にかからぬよう揃えた、線の細い少年が恭しくお辞儀をした。
「最後は、長女のモルガナ。ネロア一の弓の腕前をしております」
 波打つ濃い金髪の肉感的な美女を見て、ギュオーは目を細めた。視線から、娘を愛している様子がよく判る。
「この三人が私の子供です。残念ながら、次男は手の施しようのない放蕩ほうとう者で、見限っております」
 ギュオーは感情を押し殺したように淡々といった。その話はあらかじめ諜報から報告を受けており、シェスラも承知していた。次男は手癖の悪い伊達男で、自領を顧みず酒に溺れ、哀れな端女はしためを手にかけた末にネロアを追放されたらしい。
「次男は残念だな。だが、兄弟が三人もいれば充分であろう」
「ええ……」
 ギュオーは言葉を切って、含みのある視線をシェスラに向けた。
「モルガナは自慢の娘です。我が大王きみ のお傍に置いていただけたら、私も安心なのですが」
 ギュオーの言葉に、ラギスは鳩尾に一発もらったような衝撃を受けた。さりげなく隣をうかがうと、シェスラは如才ない笑みを浮かべていた。
「魅力的な申し出だが、私には唯一無二の伴侶がいる。今もこれからも、側妃を迎える気はない」
 そういってラギスの背を軽く叩く。ギュオーは硬直しているラギスを見て、口元を笑みにやわらげた。
「いやはや……噂には聞いておりますよ。ドミナス・アロの英雄、無敗の剣闘士を聖杯に迎え、深い寵を授けていらっしゃると」
「そなたの娘を妃には迎えられぬが、ネロアとは百年先までも講和を結びたいと思っている」
 シェスラは魅力的な笑みを浮かべていった。ギュオーは少し残念そうにほほえんでから、恭しく臣下の礼をとった。
「勿体ないお言葉です。我が大王きみ の盟友になれるのなら、これほど嬉しいことはございません」
「よろしく頼む」
「私の力が及ぶ限り」
 緊張を強いられる話題が終わったことを悟り、ラギスは顔にはださなかったが、内心で安堵のため息を吐いた。
「早速だが、状況を教えてもらえるか?」
「仰せの通りに……地図をご覧ください。アレッツィア勢は、小数の部隊を頻繁にネロアの国境付近に送りこんできます」
 地図には、敵の出現した地点に赤い印がつけられており、その数は十数か所にも及んでいた。
「領土の境目で、合戦になっているのか?」
「ネロアに踏みこんできた三か所では、小競合いに発展しました。あとは睨み合いの状態です。広範囲に及ぶ為、こちらもこれ以上は兵を割けないのが現状です」
「敵の総数は見えていないのか?」
 シェスラの指摘に、ギュオーは苦い顔になった。
「我々が把握しているだけでも、五千はおります。実際には、一万から三万の兵が隠れているでしょう」
「布陣はどのようにしている?」
 ギュオーは地図に細かな駒を置いて説明した。
 実際に小競合いに発展した地点の付近に、最も兵数を裂いて、二千ずつ配し、その他の敵の出現地には五百から千を配し、ネロアの城塞と本陣に残りを当てているようだ。
 今の陣容を聞く限り、これ以上敵が増兵をした場合に、兵力が枯渇してしまうことをシェスラは悟った。
「昨夜、この地点に敵の篝火かがりびを確認したと、斥候せっこうから報告がありました。兵の補強にお力添えいただけないでしょうか?」
 ギュオーの申し出に、まぁ待て、とシェスラは鷹揚おうようにいった。
「アレッツィアに総数勝負を仕掛けても勝ち目はないぞ」
「ですが、アレッツィアの侵攻は目前です。出現地点を結ぶと、恐ろしい線が浮彫になるのです」
 ギュオーが地図上の襲撃地点を指でなぞると、シェスラは一つ頷き、
「敵の揺さぶりだ。広域戦の対応をネロアに迫り、本陣を手薄にしたい魂胆だろう」
 その確信めいた口調に、ギュオーは訝しむような視線を投げてよこした。
「敵の総大将をよく知っていてな。アルセウスという男だが、ギュオーは知っているか?」
「アレッツィアの守護神の噂は、ネロアにもよく聞こえてきます。バングル様の侵攻を、僅か百の精鋭で打ち砕いた時は、私も衝撃でした」
「アルセウスは忍耐の将と呼ばれる通り、堅実な闘いをする男だ。盤上の駒を俯瞰し、相手の失敗を待ち続け、機を逃さず絡め捕る……父とは相性が悪かった」
「まさか、彼が敵の指揮官ですか? 我がネロアに広域戦を仕掛けてきていると?」
「いかにも。兵を使って探索網を張り巡らし、こちらの動きを探ろうとしているのだろうな」
 蒼白な顔で押黙るギュオーを見て、シェスラは不敵に笑った。
「案ずることはない、勝算はある。布陣してからどれくらい経った?」
「最初に合戦が起きた地点で、十日が経っております」
「なるほど」
 今度はシェスラが地図を眺めて黙考した。全員の視線が彼に集まる……やがて顔をあげたシェスラは、
「やはり、鍵を握っているのはネロアの秘密だ」
 ギュオーは言葉に詰まった。
「そなたが秘密を明かしてくれるのなら、アルセウスが百の軍勢で我が父を討ち捕ったように、私も万軍を五百で搦め捕ってみせよう。どうする?」
 族長同士の視線が行き交う。ギュオーは半ば瞑目してから、決意を秘めた眼差しをシェスラに向けた。
「そのつもりで同盟を結びました。お見せいたしましょう……ネロアの秘密を」




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