月狼聖杯記

5章:閃く紋章旗 6


 部屋にもどったあと、ラギスはいいつけを守り、一歩も外へでなかった。気がつけば空には月が浮かびあがり、窓から流れてくる微風に、燭台の灯が揺れている。
 ラギスは窓辺の椅子に座り、涼しげな虫の音色に耳を澄ませながら、無心で刀身に油を塗っていた。今夜はもう、シェスラはやってこないのかもしれない――そんな淡い期待を抱いていたが、
「ラギス様。間もなく、大王様がいらっしゃいます」
 控えめなノックのあと、近衛が扉の向こうから告げた。ラギスは手を休めると、浮かない顔で返事をした。
 凛々しい軍装で部屋にやってきたシェスラは、自分の与えた剣が丁寧に扱われているのを見て、満足そうな表情を浮かべた。なんとなく、ラギスは居心地が悪くなった。
「何の用だ?」
「用がなくては、きてはいけないか?」
「抜刀の件なら謝らないぞ」
「謝る必要はない」
 あっさりシェスラが肯定したので、ラギスは拍子抜けして返事に詰まった。
「しかし、理由は気になる。諍いの原因はなんだ?」
 そういいながら、シェスラは正面の椅子に座った。頬杖をついて、水晶の瞳でラギスをじっと見つめる。
「……別に、いつものことだ」
「目障りな輩がいるのなら、消してやろうか?」
 意表を突かれて、ラギスは唖然とした顔つきでシェスラを見つめたが、
「たいした問題じゃねぇよ。ちょっと生意気な坊ちゃんに喧嘩売られただけだ。話はもうついてる」
 と、すぐに肩をすくめてみせた。
「私のつがいに手をだしたのだから、相応の覚悟あってのことだろう」
 シェスラは静かな声でいった。ラギスは苦虫を潰したような顔になり、やめとけ、とかぶりを振った。
「なぁ、今夜は貴族の相手をしなくていいのか?」
「もう済ませてきた」
「ペルシニアの助力はもらえそうなのか?」
「私の問いの答えが先だ。何が原因で揉めた? アレクセイは侮辱を受けたのだろうと話していたが、そうなのか?」
「ああ。俺のことが気に食わなかったんだろう。お互い様だけどな……まぁ、やり返したから気は済んだ」
「そなたを騎士にしたのは私だ。それが不満だというのなら、私の采配に不満があるということだ。見せしめに――」
「やめろ。もう済んだ話だ」
 ラギスは言葉を遮り、きっぱりといった。顎をしゃくって、続ける。
「そっちも教えろ。ペルシニアの助力はどうなんだ?」
 シェスラはものいいたげにラギスを見つめたが、一つ瞬きして、思考を切り替えたように続けた。
「ペルシニアを含め、静観している諸都市は、私が帝国に勝てるとは思っていない。現時点では、要請に応じないだろう」
「得意の演説とやらはどうした?」
「したところで、やはり自信がないのかと思われるだけだ。実際にアレッツィアと戦い、勝利してみせれば態度も変わってくるだろう」
「それじゃ、間に合わないだろう。アレッツィアと開戦する頃には、全面戦争になっているぞ」
「いや、ちょうどいい小規模戦が近く起こる。今も、五千を超えるアレッツィア勢が南下している最中だ。今朝、ネロアから援軍要請が届いた」
「何?」
 ラギスは仰天してシェスラを見つめた。
「もしや、あんたが自らいくのか?」
「うむ。二十日後には軍を発する。アレッツィア勢が布陣を整える前に、準備をしておきたい」
「ネロアがそこまで重要か?」
 平原立地にあるネロアは、シェスラの代からセルト国に追従している交易の要衝で、栄えし商都だ。セルト国とは山を隔てており、仮にネロアが敵に侵略されたとしても、セルト国に被害は及ばない位置にある。
「納得がいかないという顔をしているな」
「そりゃな」
「そなたは、最も警戒すべき要衝はどこだと思う?」
「ペルシニアだろ」
 ラギスは即答した。ペルシニアは、ラピニシアから最も近い平原にある要塞で、ネヴァール山脈の玄関でもある。聖地を目指すなら、ここを通らないわけにはいかないのだ。
「いや、ペルシニアよりネロアだ」
「どう考えてもペルシニアだろ。攻め落としてでも、領地にしておくべきじゃないのか」
「地理上、ペルシニアはアレッツィアと私の板挟みにならざるをえない。老獪ろうかいなペルシニアの二枚舌と講和を交わしたところで、ただの紙切れになる」
「だが、ラピニシアを攻めるには、あそこを通らないわけにはいかないだろう?」
「いかにも。それに関しては策がある。現時点で確実に味方につけておかなければならないのは、ネロアだ」
「だから、なんでだよ」
 怪訝そうにラギスは訊ねた。
「ラピニシアに向けて軍を発したら、国で何か起きても簡単には引き返せない。謀反むほんを起こされて最も厄介な相手が、ネロアだからだ」
「あの地方領が?」
 不満そうにラギスはいった。
「そうだ。ネロアは、規模は小さいが地の利に恵まれている。山岳に囲まれているセルトと違い平原にあり、諸国へ移動しやすく、動向を監視しやすい」
「ふぅむ」
「同時に、セルト国に攻め入る恰好の拠点になる懸念もある。ネロアは交通の要衝であり、平和を維持するうえで重要な拠点なのだ」
 セルト国は、四方を突兀とっこつとした山塊に護られし自然の要塞だが、北東面は開けており、そこから最も近い領土はネロアだ。
「ネロアを敵の手に渡すのはまずいってことか」
「そうだ。ラピニシアの遠征は、数万にも及ぶ大軍勢になる。今のうちに、補給経路の確保をしておかねばならぬ」
 兵糧の確保は、長期戦争の生命線になる。シェスラのいわんとすることは判るが、ラギスはどうしても府に落ちなかった。
「ペルシニアはどうするんだ? こっちが何もいわなければ、アレッツィアの手をとるんじゃないか?」
「牽制はする。ペルシニアにはダイワシンを派遣する」
 ダイワシンは怜悧な容貌の四十過ぎの男で、シェスラの右腕とも呼ばれる参謀の要である。
「領地を通ることを納得させるのか」
 そうだ、とシェスラは頷いた。
「補給や兵力の支援はいらぬ。ただ、夜陰に紛れて沿岸沿いを進む我等の行軍に、目を瞑ってくれればよい――と約束させる」
 攻めない代わりに、ラピニシアへの行軍を邪魔するな、という暗黙の了解を得るということだ。
「夜陰に紛れてラピニシアに駒を進めても、あそこはもう帝国に包囲布陣されているぞ。陽が昇れば蜂の巣にされるんじゃないのか」
 シェスラは不敵に笑った。
「帝国軍が、わざわざ布陣して待っていてくれているのだ。期待に応えてやらねば悪いだろう?」
「は」
「もちろん、馬鹿正直に正面衝突するつもりはない。ペルシニアを北上する行軍は、ただの目晦ましだ」
「目晦まし?」
「詳しくは軍議の場で説明しよう。そなたもこい」
 まるで茶に誘うような口ぶりに、ラギスは目を瞠って驚いた。
「軍議は上級士官が参加するものだろう。俺がいっていいのかよ?」
「構わぬ。そなたも近いうちに士官になるのだから、戦術会議に列席しても問題ない」
「士官なんて柄じゃねぇよ! 俺は剣を振ることしかできないぞ」
 ラギスは顔をしかめ、吐きだすようにいった。
「すぐに慣れる。そなたには、いずれ私の右腕になってもらうつもりだ」
 真顔で答える王の顔を、ラギスは唖然とした顔になって見つめていたが、
「無茶いうなよ」
 と、我に返って答えた。
「案ずるな。そなたには、上に立つ者の資質がある」
「気違いの沙汰だ。俺は元奴隷だぞ?」
「戦場で必要とされるのは身分や教養ではない。強さと、兵をまとめる求心力だ」
「俺にそんなものがあると思うか? 訓練している時の連中の顔を見てみろよ」
「城の中ではそうだろう。だが、生死を懸けた闘いともなれば、身分への拘りなんてものは頭から消え失せる」
 そこまでいってから、シェスラは眉をひそめた。
「……しかし、そなたを軽んじる者はそれほど多いのか?」
「当たり前だろ。俺が近衛騎士に見えるか? 浮くに決まってんだろ」
「報告を受けた者とは別か? 誰だ? 名をいえ」
 翳った水晶の瞳で、シェスラは脅すようにいった。おかしな方向に話が流れて、ラギスは少し困った。
「覚えちゃいねぇよ。頭にくるが、貴族の坊ちゃんに剣で負けたりしないさ。俺がいいたいのは、奴隷が騎士を名乗っていちゃ、連中も面白くないだろうってことだ」
「才能に身分は全く関係ない。そなたの背中を見て、部下は心を決めるだろう。命を預けるに値する男だと」
「どうだか……」
「案ずるな、そなたを参謀にしようとは私も思わぬ。軍議の空気に慣れておいて損はない」
「ふん」
「自分を奴隷と貶めるのはやめろ。剣闘士は尊敬されて然るべきだ」
「剣闘士を恥じるつもりはない。だが、首輪をつけられ、獣化を制限されていたことは事実だ」
 憤りを抑えこみ、ラギスは低い声で重々しくいった。
 無言のまま、シェスラは手をさし伸べ、無精髭の生えたラギスの頬を撫でた。心を汲み取ろうとするように、身を屈めて金色の瞳をじっと覗きこんだ。
「……悪かった。首輪は廃止されるべきだな」
 ラギスの視線が揺れた。正体不明の居心地の悪さに襲われ、席を立っていってしまいたかったが、シェスラに顎を優しく掴まれ、身動きすることができなくなった。
 シェスラは、一点非の打ちどころのない美貌を寄せて、唇を重ねようとした。
 吐息が唇に触れ、ラギスが瞳を閉じようとしたその時、扉を控えめに叩く音が響いた。我に返ったラギスは、シェスラの両肩を掴んで引き離した。
「……お寛ぎのところを申し訳ありません。アミラダ様がいらっしゃいました」
 近衛はすまなそうな声でおとないを告げた。
 一瞬、シェスラは落胆を顔に浮かべたが、すぐに思考を切り替えて、入れ、と扉の向こうに声をかけた。




5章:閃く紋章旗 6


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