寝台に座って垂れていたラギスは、扉を叩く音に顔をあげ、力なく誰何すいかを発した。
「ラギス」
 シェスラだ。
「入ってくるな」
 不機嫌も露に返事をしたが、王は構わずに入ってきた。ラギスはなんでもない風を装って、胸に押し当てていた布を椅子の下に落とした。
「……すごい匂いだな」
 シェスラは獣性のきざしを瞬時に収めると、ラギスの前を通り過ぎ、窓を全開にした。
「……何の用だ」
 椅子の下にくるまって落ちている麻布の塊を見て、シェスラは唇を開いた。
「そう、落ちこむな……ただの生理現象だ。定期的に空にしておけば、昼間に滲むこともなかろう」
 その声には気遣いが滲んでいたが、ラギスは余計に惨めな気分になった。
「俺は、もう終わりだ……気色悪い化け物になっちまった。発情した雌みたいに乳を垂らして……おぞましい」
「馬鹿をいうな。霊液サクリアは自然に生成されるものだ。溢れでる前に処理してしまえばいい」
「聖杯なんて……くそッ、何てザマだ」
 乳首が熱い。またしても滲みでる感じがして、今すぐに露台から飛び降りたい衝動に駆られた。何度拭いても、勝手に滲んでくるのだ。
「ラギス……」
 あまりにも惨めで、視界が熱くなる。
 腕を組んで胸を隠し、唇を戦慄わななかせているラギスを見やり、シェスラは慎重に手を伸ばした。頬に触れられるのをラギスが嫌がると、彼は少し躊躇ってから、頭に触れた。力なく横に伏せた耳をそっと撫でる。
「……触るな」
 さざなみのように細かく震えている肩に、シェスラは手を伸ばした。ラギスは勢いよく手を弾くと、席を立ってシェスラに背を向けた。
「でていけ」
 冷たく吐き捨てるが、背後に立つ男はでていこうとしない。ラギスは苛々しながら、見えぬ敵を牽制するように、尾を左右に振りはらった。
「でていけよッ!」
 シェスラは、ラギスの後ろに立ち、両肩に手を置いてささやいた。
「聖杯であることを、恥じる必要はない」
「てめェの都合だろ! 俺はご免だ! 俺は、こんな……ッ」
 慰めるように肩を抱きしめられ、うなじに唇を押し当てられた。ため息がでそうになり、歯を食いしばる。
 シェスラは一瞬でラギスを寝台に押し倒すと、唇を重ねて、容赦なく貪り始めた。
 抵抗しようと思うが、舌を搦め捕られると、欲情の焔が燃えあがった。浅ましくも、躰の芯がシェスラを求めて昂ってゆく。
「よせッ!」
 どうにか顔を離して、ラギスは咆哮をあげた。
「……昂りを鎮めてやるだけだ」
 シェスラは耳に囁くと、そっと甘噛みした。
 慄くラギスの動きを封じて、烈しく口づけをかわしながら、掌は胸をいやらしくまさぐり、濡れた尖りを指ではじいた。
「ンッ」
 更に美しい顔を胸に沈めると、濡れた乳輪の周囲に舌を這わせた。背筋がぞくぞくする。弓なりに背をしならせるラギスの横腹を、シェスラは慈しむように指で撫でた。
「あッ」
 乳首を口内に含まれた瞬間、嬌声が迸った。互いの昂った下肢がこすれて疼く。
「そなたは……人より感じる場所が多いだけだ。何もおかしいことはない……誰でも性欲くらいもちあわせている」
 苦悶の表情を浮かべるラギスの頬を、シェスラはなめらかな掌で包みこんだ。
「躰に熱が溜まれば、外にだすしかない。誰でもしていることだ」
 シェスラはラギスの手を掴み、二人の昂りに導いた。困惑する金瞳を覗きこみ、淡く笑む。
「……私も、ラギスに触れるだけでこの身が昂る。そなたと同じだ」
 緩く扱かれて、ラギスは息を呑んだ。
「お、俺は……」
 シェスラはラギスを見つめたまま、胸の突起を指で掻いた。
「ッ」
「一物に熱が溜まるのと同じで、ここにも溜まる。吐きだせば、楽になる」
 次から次へと与えられる刺激に、腰が跳ねる。その手を止めるべきかどうか、ラギスには判断がつかなかった。
「ほら、ラギスも……」
 猛った互いの屹立を掴むラギスの手の上に、シェスラは手を重ねた。そのまま上下に扱く。
「ッ、は……」
 呻き声をあげながら、ラギスは手を動かした。そうすることが、ごく自然なように思えたのだ。
 もう片方の手も掴まれて、一瞬、手に力をこめたが、シェスラは力がほどけるのを待って、ゆっくり琥珀の滲む乳首へと導いた。
「何も、おかしいことはない。下と同じように、扱いてみろ」
 淫靡な命令というより、手ほどきするような口ぶりに、ラギスは迷いつつも突起を指で摘まんだ。
 胸に走った刺激に、救済と破滅を感じる。瞼を伏せて、シェスラの視線を避けながら、指先に力を籠めた。
「ッ、ん……」
 目を閉じていても、熱い視線を感じる。シェスラの顔を思い浮かべた瞬間に、躰は昂った。
 ぱっとラギスは目を開けた。
 美しい水晶の瞳と遭う。
 シェスラは雄の顔をしていた。瞳に青い炎を燃やして、ラギスの肌をじりじりと焦がす。
 だが、彼は征服する力を全面に押しだそうとせず、ぐっと堪えていた――ラギスの為に。
 王に対して初めてといってもいい、暖かみのある、賞賛めいた感情が芽吹いた。
「ッ!」
 意識した途端に、カッと躰が燃えるように熱くなり、乳首から琥珀にきらめく霊液サクリアが噴きだした。
 動揺して視線を揺らすラギスを見下ろしながら、シェスラは追いあげるように、二つの焔のような笏杖しゃくじょうを手に握った。
「く……ッ」
「ラギス」
 琺瑯ほうろうのように白い手で、ラギスの混乱を鎮めるように、頬を包みこむ。
「あ、あぁッ」
 シェスラの手のなかで二つの熱塊がぜた。お互いの下腹部に熱いものが飛び散り、つと垂れる。
「……ほら、どうということはなかろう?」
 ラギスは痺れたような頭で、頷くことしかできなかった。
 此の世のものと思えぬ美しい顔が、ゆっくり降りてくる。
 シェスラは、慈しむようにラギスの鼻梁に唇を落とし、唇にも優しい口づけを与えた。
 魂が震える――シェスラに共鳴している。
 彼の全身から、ラギスに敬意を払い、大切に扱おうとする意志を感じとり、頑なな魂を揺さぶられた。
 いつものように心に防御を張ることができずに、ラギスは陶酔に満ちた目でシェスラを見つめた。彼はラギスの頬を優しくて撫でて、ゆっくり躰を起こした。
「恐れることも、嫌悪する必要もない。これは、ただの生理現象なのだから」
 軽い口調でいうと、シェスラは清潔な麻布を手に取り、濡れたラギスの躰を拭い始めた。
「……いい」
 自分でやる、とラギスは布をシェスラの手から奪った。
 身づくろいをしながら、彼にどう接するべきか迷っていた。
 胸中は複雑すぎた。
 その混沌とした内面を知ってのことか、シェスラは長居しようとはしなかった。
 服の乱れを直して髪を無造作に後ろへ払うと、何事もなかったかのように、透度の高い水晶の瞳でラギスを見つめた。
「……正直にいえば、そなたのことを想うだけで、私の股間は硬くなる」
 ぎょっとするラギスを見つめたまま、シェスラは更に続ける。
「一日の間に、何度もラギスの名が脳裏を過る。戦略を練っている時ですら、そなたの唇を思いだして、息が止まりそうになる」
 ラギスの思考は完全に停止した。耳に聞こえる言葉は音の連なりでしかなく、意味をなさない。
「一人で眠っていても、そなたの肌を夢に見る……私は、どうしてしまったのだろうな……」
 シェスラは物憂いため息をついた。
 水晶の瞳に見つめられて、ラギスは息ができなくなった。
 彼の独白が、或いは柔らかな心の披瀝ひれき、投げかけられた問いが、うまく呑みこめない。言葉に秘められた意図も思想も、永遠の虚無の中に溶けこんでしまった。
「……そなたにも、一人になる時間は必要だろう。しばらく、人を遠ざけておく」
 沈黙のあとでシェスラはいった。寝台に腰かけるラギスに、もう一度切ない一瞥を投げて、静かに部屋をでた。
 残されたラギスは、途方に暮れた。
 危険なほどの自己憐憫からは解放されたが、今度は別の感情に苛まれている。
 さっきの聴覚を疑う言葉の数々は、本当に王の唇から零れたものなのだろうか?
 王に対する感情――聖杯に堕とされた惨めさ、屈辱、故郷に纏わる増悪、反感、怒り……そこまでは判る。だが今は、かすかな恋情まで芽生えつつある。
(――は、恋情?)
 ラギスは口元を片手で覆うと、目を見開いた。
 驚愕が全身に浸透し終えると、ゆっくりと息を吐きだし、項垂れた。
 十七年間、ラギスを捕らえ続けている復讐という名の堅牢不動の檻が、揺らごうとしている。
 復讐のほのおが翳ったわけではない。
 ただ、ヤクソンの怨嗟を、シェスラにぶつけることに限界を感じ始めている。彼を知れば知るほどに、頑なな冷徹さが失われていく。柔らかな魂が、開こうとしていくかのように……
(……つがいだから?)
 胸に沸いた疑問に、ラギスは頭を巨岩で殴られたかのような衝撃を覚えた。
 あれほどつがいを否定してきたのに、自然と思い浮かんだのだ。
 一体、自分はどうしてしまったのだろう?
 混沌とした感情の揺れを、どう対処すればいいのか、まるで判らなかった。