初夏の日差しが、大地を照らしている。
 練兵場の隅で、ラギスは剣を振るっていた。騎士団の稽古には混じらず、離れたところで独り励むラギスを、騎士達は遠巻きに見ている。誰も声をかけようとはしないが、ラギスはかえってありがたかった。
 剣を持つと精神と肉体に芯が入る。
 躰中の筋肉、血管、神経、細胞の一つ一つが目醒めていき、鋼に呼応していく。
 無心で続けていたが、一刻半ほど経つと、手が汗で滑り集中がきれた。いつの間にか、全身汗みずくになっていた。
「ふぅ――……」
 剣を置いて汗を拭いていると、壁際に控えているジリアンと目があった。どういうわけか、少年は頬を仄かに染めて目を逸らしてしまった。
「おい」
 声をかけると、ジリアンは大げさなほど、びくっと肩を揺らした。
「はい、ラギス様?」
「相手になってくれ」
「私ですか?」
「他に誰がいる」
 ジリアンの戸惑った顔を見て、ラギスは首を傾げた。
「どうした? 剣は扱えるんだろう?」
 刺客に襲われた時に、彼の腕前は目にしている。華奢な体格をしているが、練習する分には問題ないだろう。
「はい……でも、ラギス様は鎧を着用されていませんし」
「お前だって軽装だろ。あんなものは邪魔なだけだ」
「甲冑とはいいませんが、せめて楔帷子くさりかたびらを着用されませんか?」
「いらねぇよ。何も殺しあいをしようっていうわけじゃない。久しぶりだから、ちょっと躰を慣らしたいだけだ」
「……かしこまりました」
 ジリアンは仕方なさそうに対峙した。
 だが、革鞘から剣を抜くと、儚げな雰囲気は一変して、油断ならぬ鋭い空気を纏った。
「いくぞ」
 試しに剣を振りおろすと、ジリアンはしっかりと受けとめた。
 鋼を二、三、打ちあわせて、問題がないことを確かめてから、ラギスは本格的に剣を振りおろした。
「いいぞ!」
 ラギスが褒めると、少年は嬉しそうな顔をした。
 剣をあわせながら、少しずつ速さを増していく。不意打ちで死角を狙った攻撃を混ぜてみると、ジリアンは正確に刃の動きを読んで、後ろへ飛びのいた。
「やるじゃないか」
 剣だけの攻撃なら申し分ない。これはどうだ? 足払いを仕掛けると、今度もジリアンは避けてみせた。
 彼がなかなかしくじらないので、ラギスは一歩を踏みこみ、ジリアンの間合いに飛びこんだ。少年はぎょっとしたように目を見開いた。あまりにも無防備な表情に、ラギスの方が面食らってしまう。軽く腕を捻って転がすと、ジリアンは地面に伏したまま、茫然とラギスを仰いだ。
 そんなに痛くはなかったはず……訝しみながら、ラギスが手を差し伸べると、ジリアンはその手を凝視してきた。
「平気か?」
「は、はい……」
 おずおずと差しだされた手を握る。ラギスが少し力をこめるだけで、少年の躰はいとも簡単に持ちあがった。勢いあまって、ラギスの胸にとびこんでしまう。
「も、申し訳ありませんっ」
「平気か?」
「は、はい」
「なんだ、調子が悪いなら早くいえよ」
「いえ、そういうわけでは……」
 困ったように視線を揺らす少年を見て、ラギスは剣を鞘にしまった。
「まぁいい、今日はやめておこう」
 背を向けて廊下の方へ向かっていくと、お待ちください、と焦ったように呼び止められた。
「なんだ?」
「その恰好で、お戻りになるおつもりですか?」
「そうだが?」
「これを」
 ジリアンは肩にかけていた外套を脱ぐと、ラギスに手渡した。
「いや、いい」
「ですが、その恰好では……」
「なんだよ」
 みっともない、そういいたいのだろうか。ラギスは片眉をあげたが、ジリアンは馬鹿にした様子もなく、頬を染めて俯いている。
「ジリアン? 顔が赤いぞ」
 指摘すると、ジリアンの顔は増々朱くなった。
「ラギス様のせいですっ」
「あ?」
「そ、そのような格好をされていらっしゃるから」
 自分を見下ろして、ラギスは愕然となった。
 汗に濡れそぼった布地が胸にはりつき、朱く色づいた突起が透けている。
 ぞっとするほど、卑猥な光景だった。
 剣を振るっていた時は気づかなかったが、意識した途端に、乳首の周囲にじんわりと熱を感じた。
「……お判りになっていただけましたか? あ、ラギス様ッ!」
 背中に呼び止める声を無視して、ラギスはその場から逃げだした。胸のあたりを抑えながら、部屋をめがけて一目散に駆けていく。廊下でヴィシャスと鉢あわせたが、顔をあげる余裕はなかった。
 寝室に駆けこみ扉を閉じると、胸を見下ろして項垂れた。
(乳首から滲みでてきてやがる……)
 自分が得体のしれない、怪物になり果ててしまった気がする。
 寝台に座り、麻布を胸に押し当てると、溢れでる霊液サクリアを吸いこんで湿ってきた。その様子を力なく見下ろし、気分は最悪に落ちこんだ。
 部屋の扉を叩く音がして、ラギスは顔をあげた。
「ラギス様?」
 うかがうような声で、ジリアンが問うた。
「くるな!」
 ラギスは鋭く咆えた。扉の向こうで気を揉んでいるジリアンに悪いと思うが、今は思い遣る余裕がない。
 麻布に霊液を吸わせているが、なかなか収まりそうにない。呪わしいおのが乳首を見下ろして、恐る恐る、指で摘まんだ。
 先端に琥珀の滴が盛りあがる。感情が千々に乱れて、頬を涙が滑り落ちた。
「……ちきしょうッ」
 屈辱に打ちのめされているのに、躰は快感を拾って熱くなる。性器を扱かれる悦楽に近い。これまで何とも思っていなかった肉粒が、これほど敏感になるとは思ってもみなかった。
 何遍呪ったか知れない、聖杯への憎悪が胸の底で燃えあがった。
(俺は剣闘士だ。誰にも負けない。どんな相手にも! ……なぜ、こんなことに……なぜッ!?)
 心が悲鳴をあげている。
 剣を取り、百の疫獣を相手に戦える。万軍が相手でも敢然と立ち向かっていける。不屈の精神と躰で、王国に鉄槌をくだしてやるのだ。
 それなのに――
 現実では、いうことをきかない躰を持て余し、浅ましく乳首を掻いている……堕落した魔女のように。
「はは……みっともねぇ……」
 自嘲めいた、乾いた笑みが零れた。
 乳首から溢れた雫が、指を濡らしていく。絨毯に堕ちて沁みを作った。浅ましい躰を見下ろしながら、暗澹あんたんとなる。
 この世から、跡形もなく消えてなくなってしまいたかった。